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#滑らかな殻の中で絡み合っている、柔らかな蛇の言葉。
#意識を刈られた痕に植えられた、終わりの種子。
#月の温もりで、君は孵る。
波が打ち寄せる水の音。
風が虚空を震わせる金色の響き。
眼を覚ました僕は、既に知っている風景に立っていた。(ここは...)
天空の濃い闇に、浮かび上がった銀紙細工のまあるい月がゆらゆらと揺れている。眩い舞台のように煙る大きな架け橋、その両側には、すっくと伸びた水銀灯が並び立っていた。それらは少し現実とは離れた様子で、光の失せた首を垂れている。まるで葬列のように。
遠ざかっていた日々の記憶が、めくるめいて呼び覚まされる。
ここは、あの頃の僕がずっと視ていた
(ってことは、
よかった!―――嬉しい。
(ありがとう、) 誰でもいい...何かに感謝したい。
僕は橋の上にひざまずいた。この胸の中にある、自分よりも遥かに大きな宇宙を仰いだ。形を成さない涙がこぼれるのを頬に感じる。人間達のようにもてあます感情の全てが、この世界を守りたいと願う祈りに変わっていた。
興奮が冷めやらないまま、辺りを見まわした。ここに、この場所のどこかに、まだ“彼”の中に居た頃の僕...小さなデスがいるはずだ。
橋に吹く風にまじる記憶の匂いが、羽毛のように軽やかに飛んでいく。
潮風の軌跡は、ゆるやかな弧を上空に描いていた。髪が風の流れを受けてはためく。そのざわめきはまるで、何かを教えるような動きを感じさせるものだった。
僕は感覚が指し示す方向へ駆ける風の後を追った。
肉の焦げる臭いが漂っている。現実の橋に落ちる焦土の影に、悲鳴と苦しみの名残があった。天にまで届く火の柱が消え、爆風が去ったあとの壊れた夜空に浮かぶ、蝕の月。僕が封じられた瞬間に、あの人の心が視ていた月...だ。
10年前の記憶は、まるで遠い異境の空気を帯びている。この一度も夕映えや朝焼けが訪れなかった空を、僕はずっと橋の上で見続けていた。本当の橋がある街に彼が戻る日まで、ずっと。
けもののように耳を澄まし、風に混じる淡い青の気配を探して歩いた。ひたひたと橋の中央まで来たとき、街灯を振り仰いだその先に浮かび上がる、逆光に縁取られた人影に気づいた。こちらを待ち受けるように瞳を見開いている。――
子供は背景に輝く月の中に座っていた。白と黒の縞模様の衣裳を着た小さな姿で、水銀灯の突端から垂らした両脚をぶらぶらさせている。
「――ソコで何をしているの? ...ここは、僕だけの場所だよ 」
威嚇を抑えた声が、
「逢いに来たんだよ。 きみに 」 上を見上げ、僕は大人しく呼びかけた。
「...退屈だったろう? 」
それを聞いた子供はちょっぴり肩をすくめた。不毛なためらいは欠片もみせず、すぐに両腕を振り上げたかと思うと、シマシマの裾をひらりとなびかせて羽根のように飛び降りた。
軽い身のこなしでアスファルトに立ちあがったあと、後ろ手を組んで散歩の途中みたいに近づいてくる。僕は無防備に腕を下げたまま、静かにその接近を待った。
とつぜん小さな顔にかすかな驚きを浮かべた彼は、何度も瞬きをした。数歩のところで立ち止まり、口を開けた。
「...きみが誰なのか分かったよ。 きっと、僕たちの救い主だよね? 」
“救い主”――
――シャドウとしてのその言葉が、苦く胸を刺した。
地球にとって滅びの宣告者の僕は、ニュクスの記憶のカケラにとっては、復活の時を告げる者だった。彼の瞳の憧れの光に裏打ちされた現実。改めて打ちのめされ、哀しみが声音にも出てしまいそうになる。言葉をかける寸前、急いで心を笑みの形に引き締めた。
「うん...そうだね、僕は救世主だ。 君たちにとっては 」
他人事のようにつぶやかれた自分の言葉にすこし呆然とする。
いまの僕が、人間とシャドウのどちらのつもりでいるのかは、これで明らかだった。
時を超えて逢えたこの小さな
まだ何も知らない、自分が何者か知らない、真っ白な記憶の欠片...
...喜びも悲しみも知らない、別人のような存在だった。
これから彼が、何を知り、何を手に入れてしまうのか。どんな風に変わってしまうのか...僕は知っている。彼の行く先に待っている、逃れられない未来を、知っている。
苦しみと一緒にかけがえのないものをくれた“あの人”を想った。僕を封じられたために、残酷な運命を与えられた人間――僕を宿したこの星の生命の顔が、瞼に浮かんだ。
たった二十四日間のわずかな日々。彼と彼の仲間との交流は、何にも代えがたい絆を地球の敵である僕に刻んでいた。それは僕が人の姿を失いかけても、こうして消えずに残っている。とうとう手放せなかった、最後まで消すことが出来ずにいたものを、僕は胸の奥で強く抱きしめた。
(大丈夫、今度の僕もまた、きっときみ達の幸せを願うよ。)
僕が、この子を信じることさえできれば。
温もりが自然に浮かばせた微笑のまま、小さな肩に手を置いた。人の心で見れば禍々しいだけの僕の腕は、囚われの子供をすっぽりと覆えそうなほどに大きくなっていた。でも、近い将来あの人にファルロスと名乗る子供は、安心の気配を滲ませて後ろ手をくんでいる。
今の自分の力なら、――この小さな僕を、殺せるかもしれない。
まだ、あの人の中で何も知らずに眠っている、この絶望の種を、
今なら跡形も無く消してしまえるかも...
(そうすれば、当面の滅びは避けられるかもしれないんだ。)
眩暈のように襲い続ける暗い可能性を押し隠し、こちらを見上げる瞳と見つめ合った。
――駄目だ。
時間を超える前に、何度も自分に誓った筈じゃないか。
オワリがハジマリをどう思うか知っても、決して過去を変えないと。
僕が時を操れるのは、地上に生まれた瞬間までだ。
始まりを消しても無駄なんだ。誰かが滅びを招いてしまえば、また同じことが繰り返されてしまう。それに。生命に眠るニュクスの記憶、その
「どうかしたの? 」
碧い眼がこちらを覗き込んだ。同じ空を見あげたまま凍結した水たまりみたいだった。僕の姿はいま、この“小さなデス”にどう映っているのだろう。かつての僕は、とつぜん眼の前に現れた者を、同類でありながら、どこか敵のように感じていた。
(敵、――フフ。その通りじゃないか。)
ニュクスの復活を望むシャドウにとって、僕は裏切り者になるだろう。
...それでも僕は望む。
過去に
あの人の手で、十三番目の力が黄昏に還るとき...
...この星の全ての魂のために、在るべき
(僕は間違っていない。 ...そう思うなら、誇りを持て。)
決心が甦ったとたん、ぼくの胸は落ち着いた。ずっと握り締めていた
「...いいかい、よく聞いて。
きみは“彼”と契約を交わすんだ。
彼と会えたなら、必ずこれにサインをもらうんだよ 」
絶対に失くさない様にしっかり持っていて。そう念を押して渡したリーフを小さな両手で受け取ったデスは、不思議そうに革表紙を裏返した。
「...契約って? 」
「君が完全になるために、“彼”の力を借りる契約だ。
散ってしまった自分の
「...うん、もちろんだよ。
でも、“彼”ってなあに? 」
「きみを包んでいる人間のことだ。
...覚えていて。 彼は大切な友達になってくれる人だから 」
「トモダチだって? 」 もうまったく訳が解らないと言いたげに眉を顰めて繰り返す。一生懸命になった僕に呆れたように手を広げ、チラッと辺りに眼を走らせた子供は、少しとがめる表情になった。
「それ...この、退屈な牢獄の名前?
ここでは、ずっと同じことの繰り返しだよ。
金の髪をした怖い使者がやってきて、僕を狭いところに閉じ込めるんだ。
オトウサン、オカアサンって叫んでる誰かの中にね。
ぼく、すっかり飽き飽きしちゃった... 」
何も知らない呑気な声で言った後、上目づかいで期待を覗かせた。彼は、自分をここから連れ出せる者が来たと思っている。でも、僕は首を静かに横に振った。
「この景色をみせているのは、“彼”ときみの出会いの記憶だ。
ここはね、彼にとって、とても...とても悲しい出来事が、起こった場所なんだ。
どんなに時が経っても、忘れられないくらいにね。
でも“彼”は...
僕らのような存在が持てるはずのない
奇蹟のように大切なものを、きみにくれるんだ 」
子供はほっそりとした首をかしげた。「...大切なもの? 」
月光に輪郭が融けた白い頬を、僕は壊さないように撫でた。僕を育ててくれたあの人が、いつも二人の部屋でくれた優しさは、僕の中にも芽生えている。
「その贈り物がなんなのか、
いつか君にも分かる時が来る。 ...きっとね 」
僕たちは、この星にとっての絶望だ。
元のように生きたいと願うことが、この星の者たち全てを死なせてしまう。
ごめんね。僕には、他にどうすることもできない...
...でも、どうか。
きみが僕と同じものを、世界から受け取れますように。
契約に隠された願いを、
「いま君は、たった一つの希望を受け取ったんだ。
それを、ずっと忘れないでいて 」
手にしたものを縞々の胸にぎゅっと抱いた子供は、初めてクスッと微笑んだ。
「希望か... ステキな、言葉だね 」
何ひとつ間違うことなく、授受の儀式は終わった。
あの時の僕と同じように、ハジマリの僕は契約書を受け取ってくれた。
安心が鎖を解き放ち、
やっと人の形を保っていた身体が、黒い瓦礫のように崩れていく。
僕は生まれ変わってみせるよ。何度でも。
忘れはしない、必ず
この星に残された唯一の可能性を、あの人が実現するその日まで。
色褪せることのない輝きを、未来に繋ぐために。
すべての僕は、永遠に時を駆ける。―――
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