街が太陽の光を迎え、鳥たちがさえずっている。
目覚めて最初に受け取った歌の挨拶に、僕は上機嫌で伸びを返した。ベッドから飛び出した腕の指が痺れるほど冷え切った部屋の空気を握りしめる。日に日に空気が鋭さを増してるみたいだ。
(ン~、今日もさむそう...)
一瞬で凍えた肩にぶるっと震えた。急いで首をひっこめる。胸を抱いてぬくぬくっと丸まった。
(はー、あったかい...毎朝ながらこの瞬間ってほんとうに幸せだなあ。
人類が生み出した芸術の極みだよ... ダウン100%の羽毛布団って。)
期待以上の温もりをくれる軽やかな慈愛に感謝して、羽根枕に頬擦りした。大きな白鳥の翼に抱かれてるみたい。
こんな風にベッドの中で寝覚めを楽しめるってもう最高... 一日の始まりに相応しい、幸福なチューニングのひとときだな。
―――でも、頭の片隅では知っている。
たとえ誰もが忘れていても、時の神の皮肉な咳払いは鎖の冷たさで絡みつき、一瞬だって僕らから離れはしない。
今も砂時計の乾いた音が、絶えず後ろで囁いている。風化した過去の破片に埋もれた未来...それはいつか旅の終わりに姿を現すのだと。砂が落ちればイヤでも眼にするだろう、無慈悲に微笑んでいる、あの真っ赤な冷たい眼差し...が...
ジリリリリリリリリリリリリリリリ
「うわたっ! 」
悲鳴をあげたくなるほど痛んだ耳を押さえ、飛びあがった。あたふた枕元をさぐる。大音響のベルを止める。
「フゥ、...」 なんだろ? 一瞬、変な夢みた。「...うわー嫌な汗 」
たとえこいつが鳴る前に目覚めても、僕は予めベルを止めたりはしない。謹んで絶大なる音波攻撃を受けることにしている。
なぜって、仕事もさせずに時計の口を塞いでしまうと、仕返しに『二度寝コースへ一名様ご案内』されてしまうからだ。
もしも微睡みが手招きする誘惑に勝てなければ、バラ色の未来はニヤリと嗤って甘い仮面を外す。ユラユラと不安に揺れつつふたたび眠りの海に沈んでしまえば、意識の空白を経て僕は水底に降り立つ不吉な感触にドキッとして目覚めることになる。動悸をおさえて時計を見た瞬間、これは夢じゃないかと凍りつく。もう、自分でも呆れちゃう位の黄金パターンだった。
あとはお察しのとおり、水分補給や排出すら省略し、歯ブラシが折れる勢いで歯を磨き、昨日脱ぎ捨てた服を慌てて着こんで、死んでも忘れられない財布と鞄とマフラー三点セットをひっつかむやいなや部屋を飛び出す。自分で自分を褒めてあげたい猛スピードで通学路をかっ飛ぶ姿は、ちょっと知り合いには見せられない。それくらい、カッコ悪い。
ともかく完全に登校の人通りが絶えた月光館学園に着いたぼくが、青息吐息で恐る恐る教室のドアを開けると、そこには身震いするほど怖ろしい未来の権化が―――鳥海先生の姿をして立っていたのでした。《過去形》
(アレはほんっとに怖かったな。 ...っと、さっさと起きなきゃ。)
一応ぼくにも備わっているらしい学習能力が親切にも視せてくれた恐怖のNG集をぶんぶん振り払う。もう一度アクビをして時計を確かめた。まだ時間は充分にあるね。
(何枚焼こうかな~。)
朝はいつもパンだ。順平くんにいつか「意外とちゃぶ台で納豆メシだろ 」って言われたけど、僕はパンとコーヒー党なんだよ、朝はね!
え? 晩ですか?
晩御飯は、そのー、大体おっしゃるとおりですけども...
じんわり熱いヒーターの前に座って、ちょっぴり焦げ目のついたトーストをサクサク食べながら、気になる時間を横目でみる。時計は静かにコチコチ針を動かしていた。
(...朝は大活躍だね、きみ。)

この、いまだに鼓膜のヒリヒリが治らないほど大きな音をだす目覚まし時計は、友達がくれた大切な贈り物だ。
前まで使っていたのは控えめな性格だったので、僕はすっかり甘やかされてしまい、転校早々遅刻ばかりしていた。
『時計が合わないみたい 』とこぼしたら、みかねた彼が薦めてくれたわけで。そういえば、あんまり笑えないジョークも、一緒に頂戴したっけ...
『よかったら使ってくれ。効果は保証する。
...死んだ先輩の形見だけどな 』
『へー、いいのかい? ぼくが頂いちゃっても 』
隣で聞いていた順平くんは、喜んで手を出す僕を見て『気にしない奴だなあ 』と呟いたあと、至極心配そうな顔をした。
『リョージんとこよォ、壁薄いとかねーよな?
...あとガチで訊くけど、心臓は丈夫か? 』
その時は彼の善意(?)が嬉しくて、不吉な予感をすべて笑って流してしまったのだけど。
贈り物の威力を思い知ったのは、翌日の早朝だった。ベッドから転げ落ちた僕は、止め方のわからない時計に心底恐れを抱いて蒼ざめた。
(その先輩の死因って―――まさか! )
天変地異のように鳴り続けるベルの渦中、魔王のように哄笑する“彼”の顔が、もくもくと脳裏に湧き上がったものです。
でも、おかげさまで、その後は一度しか遅刻をしていません。
(えっと...いつかちゃんとお礼をしなきゃね。)
彼がぼくにくれたみたいに、ほんとうに賢い贈り物―――彼を嬉しがらせることができて、笑って受け取ってもらえる、ステキに役立つ“何か”。(うーん、ハードル高そうだ...)
登校の用意をしたあと、クロノスと名付けた愛しの騒ぎ屋に「行ってくるね 」と告げ、僕は足取りも軽く部屋を後にした。
「...ここに居たのか 」
「ん。
...(ふああ、)...やぁ、捜してたの? 」
学園中庭にある、まだ実もごく小さな、若い柿の樹の下――
昼食後、木陰に顔を隠して昼寝をしていた僕は、彼の声に目を覚ました。組んでいた脚をほどいて、うーんと思いっきり身体を伸ばし、ゆっくりと瞼をあける。
問いかけには黙ったまま、相手はちょっと辺りを見まわした。それからヒョイと肩をすくめ、渡り廊下の蔭から踏み出す。
「寒いだろ。天気いいったって、風邪ひくぞ 」
「ふふ、優しいお嬢さんだね。 そう思うならさ...温めて欲しいけどな 」
融けかけた白い息が、風に広がっている。
(そんなところに突っ立ってないで、おいでよ。) 冗談まじりに微笑んでみせ、僕は彼のポーカーフェイスにダンスを申し込む手つきで腕を伸ばしてみた。たぶんつれない調子の目線は、幸い逆光でぼやけているから気にしない。
呆れた様子でカリスマ様はため息をついた。ポケットに両手を入れたまま、つま先でカサコソと地面を蹴っ飛ばしている。
「変なヤツだよな、綾時って。調子狂うわ...マジに 」
「おやおや。
...それなら尚更、僕のエスコートが必要だと思わない? 」
僕は彼から天上に眼を移した。
青い縞瑪瑙の空をさえぎる梢から、金と赤に光る秋が降る。
無数の影が、枯葉の寝床にひらひらと。
差し伸べたっきり失くしてしまった行き場の代わりに、舞い散る一葉をつかまえた。陽に透けた斑、朽ち残りの葉脈が鮮やかに綺麗だ。つかの間の世界の色が、手の内の小さな空間で、平穏に、細かに砕けていく。
(こうして終わって行くんだね...秋は。)
移ろうもの全てが最後に輝く。なんて眼に綾な季節だろう。
冷たい指先が粉々にした葉を、そよぐ風に散らせてみた。尊さに去られた淋しい気持ちになる。視線を感じ、寝転んだまま手をパタパタはらって見上げると、たったいま僕をフッた相手は―――懐かしそうに(?)僕を見て細めていた気配を、瞳から消すところだった。
「どうかした? 」
訊いてもやっぱり知らんフリ。伏せてしまったせいで、変化していた筈のきみの瞳が見えない。黙って身体をかがめた彼は、地面から木の葉を一枚拾った。虫食いのない、綺麗なかたちのだ。指先で輪舞のようにくるくるまわした後、彼はオレンジ色の葉っぱがグレーに染まってしまいそうなくらいじっと見つめてから、ひっそりつぶやいた。
「久しぶりに行ってみるか...」
「どこに? 」
唐突な独り言に思わず尋ねたら、今度は不思議な答えをもらった。予想もできないような。
「古本屋 」
「ん、それって...古い本を売ってるお店のこと? 」
―――柿の葉っぱと、なんの関係があるんだろう。聞き違いかと思って尋ねてみた。大切そうに葉をポケットにしまった彼の口元に浮かんだのは、実に密かで謎めいたモナリザの微笑だ。
「それって確認するような事なのか? 」 逆に訊き返されてしまい、戸惑いを隠せない。(えっと、...) 眼が泳いだ僕の頭は、とっさに救済を探した。
「そうか。ゴメンゴメン、まだ日本語がいまいちでさ、」
何かマズったと思ったら、コレに限る。伝家の宝刀を抜き放ってひとまず安心し、手に入れたばかりの情報に思いをめぐらせてみた。(ふーん。きみは、古い本が好きなのかな。)
お礼するのにちょうどいい機会かもしれない。思い立ったが吉日って言うんだよ、確か。こういう時じゃなかったっけ。
「行くって、今日の放課後? 」
「まあ、そうだけど 」
「それじゃさ、僕もついて行っていいかな。
古本屋って、まだお目にかかったことないしね 」
「言っとくけどな、」 いつのまに腕組みをしていた彼は、眉をひそめて渋い顔になった。「女子高生や若奥さんがたむろってる場所じゃないぞ。何を期待してるのか知らないが 」
「あのねえ...」(僕だってソレ以外のコト考えたりもしますよ、たまに。) 何か抗議するつもりで口を開いたものの、話がこじれると面倒だ。やめておこう。
「...ま、そう言わないで。お供させて下さいませんか?
右も左も分からない異邦人ですからね~ぼく 」
いい笑顔で身体を起こしたら、彼はぱちぱち瞬いて戸惑ったみたいに髪をかきあげた。それから、その手首を顔に近づける。僕もつられて腕時計に目をやった。そろそろ行かないと、昼休みが終わってしまう時間だ。
「望月、」
「なんでしょう 」 立ち上がるついでに手助けを求めたら、今度は彼も腕を解いて、僕の冷たい手をとってくれた。見かけによらず力強く引き寄せる、重ねた手の平に通う血がとても...意外なほど温かい。
「柿の実って、英語でなんていう?」

「うんしょ、ありがと。
なんだっけな。あ、そうそう、シャロン・フルーツだよ。綴りは“SHARON FRUIT”」
「へー、合ってるな」 彼はちょっとのけぞり気味にこちらをじろじろ眺め、次にしみじみ頷いた。「ほんとに帰国子女だったんだ...」
「どーゆー意味かな? それ、」 知ってるなら何で訊いたんだろ? お尻と背中の枯葉を払いつつ首をかしげた僕に彼はクスっと笑うと、離した手を横に(ナイナイ)と振った。
「だってお前、箸の使い方めっちゃ上手いじゃん。眼が青いだけで、思いっきりエセ外人だと思われてるぞ 」
(ぴくっ) 僕の頬はひきつった。
「器用と言って欲しいね。僕は親日家なんだよ。
それに、どこの国だろうと、テーブルマナーは大切でしょ? 」
腕を広げて大げさに肩をすくめておく。ステレオタイプの外人らしく。
「器用で金持ちか。相場が決まらないヤツだな...ま、どうでもいいけど。 納豆好きな外人ってのは貴重だしね。珍獣並に 」
「ちょ、......」
だから、納豆は好物じゃありませんってば...
僕が好きなのは黒豆です、ク・ロ・マ・メ! お通夜と正月に出るつやつやして香ばしいアレですよ。すごい違いでしょ。
第一粘ってないもんね。
ごま塩振った黒飯の味わいって、三ツ星レストランのフルコースにも勝ると思うよ。噛みごたえだってバッチリなんだから!
「きみと順平くんの大いなる誤解を解いてあげたいな...いつか」
情けなくって顔をおさえた僕の悲哀なんか、まったく気にした風もなく、彼は両手をするっとポケットに突っ込んで校舎へ歩き出した。
「なんだか知らんけど、お手柔らかに~」
僕もマフラー巻きなおして慌てて後を追う。「...いいよ。キロ単位で買って、プレゼントしてあげる 」
「どうせなら金より油田がいいな 」
いきなり話が高額化したような気がする。気のせいだろうか。
「いつから僕は石油王になったんだ? 」
「違ったのか? 」
柱廊の蔭で振り向いた顔は、あまりにも真剣だった。(そんなズッコケる理由で、見つめないでくれ、ませんか、)
ただでさえ、菫も恥じて枯れそうに中身を裏切る可愛い顔なんだからさ~。
―――心臓が、壊れるじゃないか...
(なーんてね。) 眼の前の人が女の子じゃなくって、残念に思ってるのはホントだけど。
そんな自分に気づいていた僕は全てを笑い飛ばすために彼の袖を引いた。渡り廊下に片膝をつき、芝居がかった一礼で胸に手をあてる。前髪の奥の呆然を、マジメくさって見上げる。
「実は、僕ね...第四夫人に相応しい人を探しに来日したんだ。
クロ、じゃない、時計のお礼と言っては何だけど、僕と結婚してくれませんか? ―――ロンドンのステキな教会で! 」
「...よん?」 可愛らしく首をかしげた彼に驚く。
「突っ込むの、そっちなんだ...」 故意か天然か謎だけど、シャレの分かる人で助かった。この分なら持ち直せそう。「確かミュージシャンが男同士で結婚式挙げてたよねぇ、イギリスでさ 」
「ふーん。豪華な3食昼寝つき、という生涯保証には興味あるな 」
「...あんがい計算高いんだねハニー。
主婦が向いてるかも。 ...家事しないタイプの 」
「結婚前から所帯臭い話したくないよ」 彼は面倒くさそうに手を振った。こんな一面、あったとはね。僕は吹き出すのをガマンして立ちあがった。大股に突き当たりの大扉に近寄り、開けて「どうぞ、」未来のグータラ妻になるべき人を先へ誘う。
「...さんきゅ、」
おざなりに呟いた彼の目つきには片隅で何かを考えている光があった。「そりゃそうと望月、マジで行くつもりなら覚悟しとけよ? アホほどパンくれるからさ、あそこの爺さん。ひょっとして裏の稼業はパン屋じゃないかと、疑ってるくらいだし 」
「パン~?」
話の繋がりがよく分からないけど、とりあえず僕の頭に小麦の香り豊かなパンの想像がふっくら膨らんだ。
「パンは大好きだよ。毎朝食べてるし 」 一斤が2日もたないから助かるなあ。
「ならOKだな 」
ニンマリした僕をちらりと見て、なぜだか安心した雰囲気になり、彼は小さく笑った。
終業の鐘が鳴ってしばらくすると、教室のなかは掃除当番の人と僕らを残して閑散となった。
暖房が効いてるし、窓が彩る午後の光の香るような淡さも淋しさも、そして寒々しい空の色も体には届かない。
でも、心の方は―――
「ふうん...」
ゆかりさんの席に座って後ろの机に頬杖をつく。僕は彼の、屈託なく寝息をたててる幸せそーな顔を眺めた。なんだかこの角度、細部までよく見えて馴染みがない感じがする。新鮮だ。
(あ、眼の下にクマ発見。疲れてるのかな~。
これってもう、居眠りのレベルじゃないよね。)
そう、あろうことか帰りのホームルームの途中から彼は舟をこぎ始め、今はこうしてぐっすり眠りこけているのです。
(こんな前の席で? ほんっと君ってクソ度胸だな...)
「...ねえアイギスさん、彼って夜遊び激しいタイプ? 」
隣で核廃棄物も真っ青の破壊光線を放出している存在に和やかに話を振ってみた。毎日が非常事態宣言、彼女と僕のスリリングな関係は現在進行形でボルテージが高まりつつある。
(この先...ぼく、どうなっちゃうんだろ。)
...未来の心配なんかするだけ無駄かもしれない、現在すでに危険極まりない目だ。来るべき臨界点が怖ろしい。
でも、僕は誰かに否定されるのがとても辛いのに、なぜか彼女にそうされてもちっとも傷つかないんだよね。人間っぽくないせい...と言ったら失礼かな。逆鱗に触れたら困るし一生言葉には出さないでおこう。
微妙に目をそらしながら微笑むと、彼女は視線だけをこちらに動かした。魅力的な三白眼だ。
「貴方には察する心が足りないと思われます。目は確定的に明らかなフシアナであります。私がコミュニケーションを歓迎してるようにみえるでありますか 」
(きみこそ、ちょっとは僕の振ってる白旗、察するといいと思うよ!?)
掃除の人に退避勧告するべきかもしれない。冷や汗を吹き飛ばす心のワイパーが欲しいであります。
「ええっと、それ知ってる。“空気詠み人知らず”って奴でしょ。
実際、順平くんによく言われるけど。でも、空気って見えないのにさ、どうやって詠めばいいんだい?」
頭の上を会話が飛び交っているのに一向に眼を覚まさない彼も、あらゆる意味で空気読んでなさそうだな。眺めながら首を傾げると、アイギスさんは降りかかる汚物から守るような手つきで彼の顔を隠した。
「それは気違いであります。詠むのは空気の中の殺気や闘気、つまりオーラ。気の抜けたフニャチン野郎には理解できない領域なんであります」
(グサッ) 青ざめて胸を押さえる。
「...ぼ、僕の膨張率についてはご心配なく。君相手じゃどう足掻いても立ちそうにないですしね。
それにしてもよく寝てるよ彼。
まるで気絶してるみたいじゃない? 君だって心配じゃないのかな 」
「激しいと言えば夜間訓練は激しいような...」 僕の言葉に一瞬だけ殺意を忘れた顔になり、彼女の不安げに暗くなった碧い瞳は寝顔の上をさまよった。けれどすぐにジャキン!と音でもしそうに首を回して(むしろホントに聴こえた気が)、こちらをを振り向く。っていうか、何の訓練なんだろ?
「余計な詮索はするんじゃねーであります。貴方は私たちにとって真っ赤な他人で部外者ではありませんか。つまり貴方は無縁仏になりたいのでありますか? 」
ブロンドの下でふたつのスーパー・デンジャラスな瞳が底光りするのを眺めた。脳裏で警戒警報がウーウー鳴り響いている。
(君には少々神経を逆撫でされますよ。 ...いやそっちにしてみれば僕の存在そのものが苛つく原因なわけで...えーっと、これはもう、僕たちってお気の毒だねとしか! 《結論》)
「どうしてそこで疑問形なのかな...
だいたい何かが根っから間違ってる気がするよ。僕は日本語不自由だからお役に立てませんけど、 後で優しいご主人さまに添削してもらったらどう? 」 笑顔で勧めてみる。
「貴方にしては正論のようですね。 私もわりと不自由なので残念賞であります 」
「フフ。気が合ったみたいだね。 ...珍しく 」
(フゥ、戦闘回避、大成功。)
いきなり首に手刀を突きつけられるよりは、よっぽどましだ。 ..こういう皮肉な口合戦の方が、ね。
それにしても、全然起きないな。古本屋の件はどうなったんだろ?
「ねえアイギスさん、」 彼女は僕の猫なで声に無感動な視線を送ってよこした。でも僕はどうしても彼女の飼い主に時を告げるニワトリ役は遠慮したい。さっきも試みようとしたけれど、なぜか寝ている彼を起こすのにものすごくためらいがあるのだ。
(なんでかな、...この落ち着かない、ビクビクする気分。)
起こされた彼が不機嫌な顔になりぶっきらぼうに言葉を浴びせるさまがグワっと予感できて、背中にゾクっと寒気が走ってしまった。「外、暗くなっちゃうよ。 ...起こさないの? 」
「司令官の睡眠を守り、インターバルを確保するのも、私の重要な使命であります 」
「ふーん、熱心だなー。ほんとに盾みたいに頼もしいコだね。
君みたいのを、“右腕”って言うのかな?」
落胆を隠してからかい混じりに褒めてさしあげる。するとふっと顔つきが引き締まった。彼女は不思議なギミックをつけた自分の右手を広げて裏返し、点検するみたいに握ったり伸ばしたりし始めた。「......右腕? 」「......そう、右腕 」
つくづくアイギスさんって個性的な女の子だな。見掛けも...中身も。
「ライトアームだけでは、完全とは言えません。私は全てのパーツが揃ってはじめて、最高のパフォーマンスを叩きだすのですから 」 ふんぞりかえった彼女は低い声でつぶやき、生真面目な顔で僕を見た。「...もう二度と失敗するものかであります 」
(...パーツ?) まるで、機械の話でもしているみたい。
「えーと、右腕ってそういう意味だっけ?
ま、確かに間違ってはいない...か...」 面食らった僕など差し置き、冷めた眼で澄ましている―――そんな彼女は、非情なアンドロイドと呼んでも過言ではない非情なオーラを発していた。
(...っていうか何の話してたんだっけ?)
僕たちが顔を突きあわせると、いつもこれだ。当初のテーマが空回りして何処かの空へ飛んでいってしまうんだから。時には僕と一緒に。
でも、こんなに長く彼女とお喋りするのは初めてかもしれないな。
「そういえば彼ってさ、柿の葉コレクターなの? 」
せっかくだから、このちぐはぐな会話を継続することにした。(フフ、楽しいなー。真面目なヒトを、気づかれずにおちょくるってのは! ) ...意外と腹黒いですかね? 僕って。
とくに秀逸だったのは、修学旅行の露天風呂での一件だね。順平くんを誘導して仕組んだ、アレを思い出すたび...彼らの慌てっぷりが湯煙にほんわか浮かんで、クスっとしてしまう。
まあ...長引いてのぼせたのは、不覚だったけど。
「柿の葉でありますか?
ビタミンCとミネラルが豊富に含まれているです。血管を強くし、止血の効果があるので、戦場に生えていたなら第一に採集するべきでしょう 」
「すごいねー、アイギスさんって。
将来はフランスの外人部隊で、荒稼ぎ出来そうだよ 」
「この程度の知識はデフォルトです。標準仕様の搭載データであります 」
「う、うん...? 」
まずいな。さすがの僕にもちょっと分からなくなってきた。
なんなの、この...踵そろえて敬礼しておもむろに機械油を注したくなる空気。まさか、僕のほうが彼女に担がれてるとか、ないよね?
「貴方は先ほど、コレクターと言いましたね。
彼はいま、柿の葉を収集しているのですか? 」
考え深げにギギッと首を捻った彼女は、虚空をみつめた。話題が変わって内心ホッとした僕も彼の指先で踊っていた美しい葉脈を思い浮かべ、記憶の情景に戯れてみる。
「...かもね、素敵な趣味だと思うよ。
本のしおりにするのかな?
綺麗な葉っぱを拾ってた...中庭で。
秋はいいねえ、紅葉が美しくって。それに、...」
「まだここに居るつもりですか 」
白日の秋色空間で過ごす追憶は、うなり声に叩き落された。
それでもまだあの手の温かさを反芻していた僕は、少しボーっとして答えた。
「え? ...君がいるならね。
この際お近づきになったらいいんじゃないかなー、僕たち...
...それとも、アイギスさんのお相手には、僕じゃ役者不足? 」
このコの手、超合金なみに冷たそうだな。心の温かさと裏腹だなんて本当なのかな~? 確かにある意味、熱そうだけど...
...僕への危険な情熱ってヤツが。(これは有り難くない;)
「私や彼に、指一本触れてみろ。 飯食って出すだけのクソ虫めであります 」
に、睨んでる。すごい睨んでる。いつもながら、抑揚もなく凄い暴言吐くなあ。アメリカの新兵訓練所にでも実在しそうだ、こういう鬼軍曹。
「“触れてみろ”...それって命令? それともお許しなのかな 」
オサワリした僕を張り飛ばす金髪美少女、という連想に、頬杖の内側に隠れた唇の端が吊り上がった。こちらに突きつけた人差し指を下ろした彼女は落ち着きなく肩を揺らしている。
彼と教室の扉を、何度も交互にみて、しまいには僕を横目に小さく舌打ちをした。
(...黙っていても思い通りになりそうだな。)
とはいえ時間も気になるし、もう一押ししておこう。
「...柿の葉を採りに行くのかい?
彼、きっと喜ぶだろうね...
フフ、よければ僕も一緒に綺麗なの探してあげようか 」
うずうずしたボディランゲージが物語っていることを要約されて、彼女は心を決めたらしい。キッとした眼差しになり、机に両手をついて立ち上がった。
「これは私が私に課した任務であり、貴方には柿の種ほどにも関係ありません。後をついてきたら、その貧弱な睾丸をブチ割ってやるぞ。お安い御用かつ、おテのものであります 」
僕の微笑と彼女の敵意がぶつかり、線香花火程度の何かが散った。...ような気がしたので、片手で見えないそれを扇ぐ。
「そうか...きみのご主人さまにイイ所見せたかったのに、残念だな。
それと僕、あんまり種系食べられないんだ、のぼせやすいし。
ピーナッツとかカシューナッツとかさー、量考えないと鼻血出ちゃうんだよね、あれ。胡桃なんか、五個も食べたらブシーッだよ、あはは、」 のんびり喋っているうちに、相手はもう教室を出ていきかけている。
「っていうかきみ、手ぶらじゃ葉っぱを持ち帰るのに困るんじゃないの? 」
多ければ多いほどいいと思うよ。指摘してあげると彼女は短くタメイキをついて机に戻り、迷彩模様のラックサックをつかんだ。
「僕の分も頑張って集めてね~...アイギスさん 」
ツンと無言で振り返りもしない背中に、黄色いエールを送る。
砲兵がつけるような耳カバーの頭が廊下へと消えた。あのコ、後姿だけなら可愛らしい兵隊さんみたいなのに。(っていうかホントに兵隊みたいだね、しかし。)
彼女が去り、教室は静まり返った。いつのまに、僕と彼だけになっている。
「フフ...
ちょろ過ぎるね、きみの護衛は 」
相変わらずくーくー寝たまんまのあどけない横顔に、僕はそっと小声で囁いた。
「ン...、」
小鼻がぴくぴくして、細い呼吸に僅かに肩が動いた。さらりと前髪が、瞼と頬に流れ落ちる。
邪魔そうに眉がひそめられた。そっと除けてあげようとして、触れる寸前に―――僕の手は止まった。
(な、―――痛タッ )
心臓がおかしくなった。その場所を握りしめて押さえる。
奥歯の根からこみあげる奇妙な痛み。急に肺の中が焼け爛れたみたいに。
(っ、......)
眼が無意識にすがった、何も知らずに眠る、彼の姿が苦しい。
視界も意識も床に沈んでいく。どうしようもなく。
「っあ、・・・耳鳴り、・・・?」
耳の奥で何かがカチコチ刻みはじめた。
(...これ、)
ここにある筈の無い、時計の音だ。
―――僕は前にも、あの針音を聴いたことが。
どこかで...
(どうして、...どうして昔の記憶、取り戻せないんだ? )
子供の頃の思い出。僕を通り過ぎたはずの人、場所の名前、
―――誰もが心に描かれた、自分の世界の形見を手にしているのに。
『どこに旅行したか・・・覚えてないワケ?
あんま居ないと思うよ、そういう人 』
透明な壁、硝子の棺に隔てられて過去にいくら手を伸ばしても引き離される。届かせることができない。いつも、いつも。
凍えた瞼の裏、記憶はひび割れた月の鏡に囚われたまま。
...触れたならきっと、
鏡に映る現実が、砕け散ってしまう。―――
♪
藍が薄い夕暮れの天空にある、青白い月をみていた。すると、後ろから深い溜め息が聴こえた。
「はー...やば、いつのまに寝てた...」
窓辺から声を振り返ると、ようやく目覚めた彼がアクビを押さえて伸びをしている。次の瞬間には元の猫背に戻り、腕時計に眼をすがめた。僕はそれをぼんやり見つめて口を開いた。
「きみ...
どこかのお婆さんから、毒々しいリンゴ貰ったことない? 」
「...リンゴ? なにそれ、」 動きを止めてこちらを向いた眠気の漂う顔は、激しく瞬きを繰り返している。「毒? 」
黙って窓に寄りかかり、硝子の棺に眠る彼を想像して唇の内側で笑っていると、彼は不満そうな感情の矢を突き刺した。
(いてて、) ボーダレスな白雪姫だな。 ...危険な人だ。
「奇遇っていうのか、似た様な事を言ったやつがいた 」 斜め下に視線を投げかけ、彼は頬に指を丸めて小首を傾げた。
「...僕のほかに、いたの? 」 自分で言うのもなんだけど、こんなメルヘンな人間が?
「毒の花がどうとか。たぶん病んでたんだな、俺は 」 ごく自然に眼を伏せて嘲笑い、席を立った彼は、習慣めいたしぐさで隣の空席を一瞥した。「つかアイギス、起こせよ...て、」
帰ったのか。とつぶやいた後、こちらに何かを尋ねようとしたらしい。けれど、結局なにも言わずに俯いて、机の横から鞄を外した。僕もご同様に小脇に抱えて近づく。
扉を開けて一歩でた彼は、たった今気づいたように「あ、」と言った。
「そうか望月、俺を待ってたの? 」
「...まあね。
こんな時間だけどさ、お店まだ開いてるかな?」
「ああ、余裕だよ。寄ってく?」
「うん 」今ごろせっせと収穫中に違いない彼女を、苦笑で隅に押しやって、僕は彼に歩調をあわせた。
...あの樹が丸裸にされないか、ちょっと心配だな。
♪
まだかろうじて落日の名残が光の腕で街を抱いていた。
半歩だけ後ろから、僕は彼の足取りを追って歩く。時折、なんでもない会話を交し合ってはいるけれど、声も街も静かに張りつめて、考えるべきことを見失ってしまいそうになる。
モノレールのドアに映る僕たちの鏡像は、黄昏の夜景の中で黙りこくっていた。
彼の耳からは、かすかに、終わりを歌う詩が聴こえている。
♪失くし も 取 戻す キミを I've nev leave you ・・・
...僕は、どこか他の人とは違う。
何かに、自分が縛られていることには、気づいていた。
普通なら経験しているはずの事。
誰かと共に居たはずの記憶。
...みんな失くしてしまった。
皆がぼくを、遥か遠い異邦人のようにみる。“貴方は私たちとは違う。”
毎日、幾つものそんな眼差しを感じている。
でも僕は、それをまともに受け止めたりはしない。決して。
誰もが不思議がるだけで僕の背を押さない。それなら季節が何度も廻るあいだ、ずっと過去への目を塞ぎ、ずっと現在だけを大切に、こうしていられたら...
「ねえ、」 厳戸台駅に着いてドアが開いたとき、僕は出て行く彼を呼び止めた。
「贈り物...時計をありがとう。とても好きで気にいってる。
でも、済まないけど今日はこのまま帰るよ 」
「ああ、アレか。気に入ったならいいけど。どうかした? 」
「僕、卑怯だった... もっと、大切にしなきゃ。
アイギスさんが怒ってたら、ゴメンって伝えておいて欲しいんだ。
ちゃんと明日、謝るから... 」
(上手に、真心で言えたかな...)神妙に頭を下げた。
途中から彼は不思議そうな顔をしていたけれど、微笑んだ声で「そっか、」とうなずいてくれた。
そのまま「じゃ、また明日 」と手を振って、彼はホームに降りた。
「俺も寝ちゃったし、気にするなよ、」
少しだけ振り返り、そして何かを言ったのに。
...ドアは閉じてしまった。
彼の言葉を最後まで聴くことが、僕には出来なかった。
「しっかし、ホント似てる。
あいつも、クロノスが好きだったよな... 」
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