Persona3小説 IN THE MIRROR
P3 NOVEL
IN THE MIRROR (綾時&風花)
IN THE MIRROR
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IN THE MIRROR
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ひとつだけ確かなのは――
その時はじまった私と彼の些細なやり取りは、
世界の命運にとってちっとも関係なかったということ。
2-E組の私の席は、教室の中なのになぜか無電波地帯だった。携帯に届くメールをチェックするには、休み時間のたびにこうして廊下に場所を移さなくてはいけない。
誰かが話しているのを聞いた、携帯の裏技。
これで通信が早くなる根拠なんてないことは、知っているけれど...
「――きみ、ちょっといいかな、」
アンテナを揺らしながらぼんやり焦れていた私は、突然話しかけてきた声が知らない人のだったことに驚いて、両方の肩を跳ね上げた。
「この近くに鏡、ない? 」
とても困った感じのする声は、高いところから降ってくる。持ち主の顔を探して上を向いたら、首がぐきっと痛くなったくらい。
(わあ、外人さんだ...日本語、じょうずな。)
その人はとにかく背が高い人で、初めは(学校に来たお客さんかな、)って思った。
一目では、学生には見えなかったから。
制服のアレンジにしては、よく分からない格好をしている。
私ならきっと廊下を引きずってしまうくらい、長い長いマフラー。
髪をすくように頭を押さえて、うつむきかげんに顔を隠している。
目が合うと、男の人はちょっぴりタレ気味の綺麗な碧眼を細くして、にっこりした。
「ええと...向こうに真っ直ぐ行ったら、つきあたりが水のみ場になってます 」
「ありがとう! 」
その人は左腕にはめた時計を見るなり、さっと顔色を変えて――たしかあの時は、休み時間が終わる一分前くらい。私も急いで戻らなくてはいけなかった。――指差して教えた方向へ、一目散に走って行った。
後ろ姿を追ってたなびくマフラーが、主人にようやくついていっている、という感じ。
――いま思い返すと、あの時の彼の印象は...
迷い込んだ世界で帰り道を探している、不思議な旅人のようだった。
そのノッポの外人さんが転入したてのれっきとした学生だってことを、
私は寮に帰るまで知らなくて。
だから今このとき広がる自由な想像は、
私の手の中の小さな私から始まり、いくつかの時間を越えて甦る。――
∮
いつもより日差しが暖かい。こんな日は、素敵な寄り道日和だと思う。
放課後、私はショッピングモールの雑貨屋さんで、店内をさ迷っていた。
部活はお休み。
画材屋さんで残り少なくなった絵の具を補充したあと、(なにかお気に入りがみつかるといいな。)と思ってフラリと立ち寄った、輸入雑貨の小さなショップ。
うっかりするとあっという間に真っ暗になってしまう季節...と分かっていても、やっぱりこういうお店は、いつまで見ていても飽きることができない。――だって、何もかもが可愛すぎるもの!
そろそろ乾燥する季節になるし(と、自分に言い訳して)、色とりどり、形もさまざまに並んだリップクリームの売り場に近づいた。
離れた場所からでも漂ってくる、うきうきするようなカラフルな空気。思いつく限りあらゆる種類の香りがまざり合って、頭がくらくらしてくるけれど、それさえ楽しい。
ヨーロッパ製のシンプルなケースのふたをひねって開けると、繊細な艶をもつ花の香りと、バターの滑らかな質感。
唇に色が乗らないほどうすい青や
翠
(
みどり
)
もあって、柔らかな宝石みたいに輝いてる。
(ほんとにきれい...)
中南米辺りの民族調イラストが賑やかに描かれているものは、植物油脂そのままの色をしていて、熱気や湿度を感じるオーガニックな雰囲気がある。容器も、不思議な魔力を秘めている御守りみたいなデザイン。鼻を近づけるとほのかにオリーヴの香りがして、心まで風通しが良くなる気がした。
片端から次々テスターを開けては眺めて、その列の最後の一つを手に取った。他の容れ物と違って、薄いコンパクトのような形をしている。
(これって、リップなの?) 一瞬だけ仕組みに戸惑ってから、ぱちりと金具を外し――私は、私と出会った。
リップの蓋の裏側にしつらえられた小さな鏡の中に、縮小された私が填まってる。
“こんな仕掛けがあったなんて思いもよらない”って顔をして。
手のひらで軽やかに光る鏡の可愛らしさに見惚れているうちに...ふと、学校の廊下で遭遇した碧い眼の彼を思い出した。
視線を外して、そういえば...と考える。――
今朝の、鏡を探していたあの人は誰だったのかな。大慌てで時計を気にしてた背の高い人。白と黒と、黄色のヒラヒラした彩り。デッサンのモデルになりそうなくらい整った外見のことよりも、なぜか声の困った響きばかりが印象に残っている。
(あの人、時間に間に合うように鏡を見つけることができたかしら...)
鏡に囚われた私が、私を見つけた。
しばらくあちらとこちらで見合ったものの、恥ずかしさに負けて目を逸らしてしまった。
水飲み場みたいに人が大勢通るところで鏡を覗くのって、ほんとに勇気がいると思う。
ゆかりちゃんのように、ノートの半分くらいもする大きさの鏡を持ち歩いたり、休み時間の教室で鏡を覗き込み前髪を直す。――そんなこと、とてもじゃないけど私にはできない。
(自信、ないもの...)
小さな鏡は沈んだ顔になっている私を控えめに映していた。
(...いけないいけない。 )
後ろ向きになるのはやめなきゃ。また夏紀ちゃんに笑われちゃいそう。
細くなっていた目を無理して開いて、暗さを払った顔を見る。
...これくらい小さい鏡なら、恐がらずに覗けるようになるかも。
ちょっぴり、微笑んでみた。
(大切な鏡に、なってね。)
結局その風変わりなリップを買った私は、ほんのり楽しい気分で帰ったのだった。
∮
「あー、そいつはリョージだな 」
寮のみんなに学校で会った不思議な格好の人のことを話してみたら、順平くんはすぐにそういって笑い声になった。
「“もちづきりょうじ”ってんだよ。
満月の望月に、綾波レイの綾に、時間の時。 変わってるっしょ 」
その隣で話を聞いていたゆかりちゃんが、妙な顔つきになった。なんだか気になって周りを見てみたけれど...ソファに座って沈みがちに本を読んでいる桐条先輩や、真剣にグローブを磨いている真田先輩は、顔もあげずに(ふーん、)と頷いている。
しきりに合図をしてるゆかりちゃんに気づいた順平くんは、ハッとしてアイギスを見た。つられて私も同じ方を向く。すると横に立っていたアイギスの横顔は、とても険しくなっていて、――たぶん、普通の人なら“思わず身構えた”という感じで――ガシャン!と手首のマシンガンを動かした。
安全装置を解除した音だ。
私はびっくりして固まってしまった。(何が、...どうなっちゃったの?)
しん、となったラウンジを鋭い眼で見渡して、彼女は顎を持ち上げた。
「そういえば風花さんへの報告が遅れていました。
あの人はダメです。とにかく全然ダメであります 」
聞いたことがないくらい低いアイギスの声。こんな風に誰かを『ダメ』と言い切るアイギス、見たことない。彼女の言葉も、一瞬空耳かと思うほどドスが効いていた。けど、この『ひゅいいいいいーーん』って音は、アイギスが駆動系を温めている音だ。
彼女が臨戦態勢になるほど怒るような、何かが起ったのだとして、今この場でこの状況はすごく危ない気が...
「え、えーと...どうしたの? ってあの、2-Fにあんな人、いたっけ? 」
うろたえた頭が、言葉を探すひまもなく質問を弾きだしてしまった。
深く突っ込んじゃいけない話題だったのかもしれない。戦闘モードに移行しているアイギスからオイルが温まって揮発する良い匂いが漂ってくる。ゆかりちゃんが、順平くんにモールス信号の速さで危険を伝える目配せをしたのが見えた。
「う...いんや、転校生。今日からってスゲー妙な時期だけどよ 」
時折アイギスの方を気にして口ごもりながらも、順平くんは教えてくれた。
昨日まで噂の影もなかったのに、とつぜん転入してきたその人が、望月綾時さん。
順平くんいわく、初日から2-Fの女子のメルアドはほぼ入手したに違いない猛者なのだそう。
アイギスはそんな望月さんに、のっけから『ダメ出し』を言い渡したんですって。
「えっと、アイギスは、そういう男の人が苦手なの? 」
男の子の好みが設定されてるのかな?...(でも、何のために?)
彼女は、耳飾りからずっと鳴り続けていた高くて長い回転音を徐々に落としていた。
私が訊くと、やがて膝の上で組んだ両手を静かに見つめた。
そして、とつとつと話し出す。
「性格の好悪について判断する仕様はありません。
原因の解析を何度か試みましたが、マーカーがロストしてしまいます。
苦手というか、とにかくダメなんです 」
「生理的嫌悪ってヤツか? ドンマイリョージだなー 」
「生理的...って、アイギスに? あるわけ? 」 ゆかりちゃんが瞬きをした。
「次の定期メンテナンスの時に、ラボの人に訊いてみます。
生理的嫌悪があるかないかも含めて。
どうして彼を見ると、こんな...」
言葉を切ったアイギスは、床に眼を落として考え込んでしまった。
「...申し訳ありません。 私にも、分からないのであります 」
「そう...」 彼女と望月さんの間に何かあった、という訳じゃないみたい。
ちょっぴり安心したら、最初の疑問が甦ってきた。
「でもあの人、どうして鏡を探してたのかな... 」
「それはだね山岸くん、」
順平くんは、背もたれの向こうに回した片腕をあげて、人差し指を一本立てた。「知りたければ、このワタクシが語ってしんぜましょう! 」
(あ...)
これは、伊織順平アワーの合図。 こくん、と飲み込んで、私はうんうん頷いた。
「時は今朝、HRの出来事。――
女教師鳥海に連れられてやってきた我らが2-Fの新たな仲魔、つまりは転校生というヤツですね。
先ほどもお話しましたが、カレこそがその名もエキセントリックな、ミスター望月綾時でした。
一目みたとたんキャーだのヒャーだの女性たちが騒ぐのなんのって、やかましい事この上なかった。少なくともウチのクラスの大和撫子含有率は二割以下ですね。悲しいけどこれ、現実なんですよ。
リョージくんってのはね、見た目外人のくせにやたら日本語ペラペラなんです。でもカレシ、ツラはともかく、ちょっと変なとこあるんですよ。皆はミステリアスって言ってましたけどね。女性は特にね。ですがワタシは騙されません。
何よりもまず、カレはひとつの大きな問題を抱えてるんです。
そう、『ビョーキ』なんです... 可哀そうに、女性を攻めて攻めて攻めまくらずにはいられない、何かの呪いが掛かってるみたいなんです。ある意味被害者と言えるかもしれませんね、リョージくんは。
恐らくねえ、明日には2-Eまでカレの攻略は完了するであろう、とワタシは予測してます。
...これは警告ですよ? 」
順平くんは(ニヤリ、)と笑って、私に片目をぱちっとつぶってみせた。(...?)
「ゆかりさんもご覧になったでしょう?
休み時間が始まったとたん手近な女子に片っ端からコナ掛けた、あの無差別ジュータン爆撃の凄まじさ! カレ、繁殖馬に生まれるべきだったんじゃないかな、そしたら呪いを生かして社会に貢献できたのに惜しいなって、ワタシなんかは思うんです。ひょっとして前世がソレだったのかもしれませんね、ほんとに怖ろしいです前世の呪いって。
ワタシ、なんだか興味がわきましてね、一番最初に訊きました。『キミ一体どこの国から来たの?』。そしたらカレ、『国か...それも必要なんだね。じゃ、良さそうなの探しておくよ 』って言ったんです。
(アレ?妙だぞ、おかしいぞ、)って、ワタシ思いました。
でも、ひょっとして出身を言いたく無いのかな、複雑な事情でもあるのかな、とも考えました。で、話を合わせてあげようと思ったんです。『イタリアとかギリシャなんかイイよ。フランスなんかもお勧めだよ。』 ワタシ、リョージくんにぴったりなアドバイスができたと自負しております。どっちも世界的に有名な、絶倫のお国柄ですから。
ともかくこの謎は、いつか突き止めてやろうと思ってます、ハイ。
風花さんが知りたがってる事件が起こったのは、今日の午後でした。
休憩終了が三分前に迫った折も折...ついにカレが、魔の手を宿敵アイちゃんにまで伸ばしたんですよ。
どう聞いても作ったネコ撫で声でしたね、あれは。
『やあ、さっきはゴメンね。
キミもひょっとして、ボクと同じで海外から来たのぉ? 』...」
順平くんの“どう聞いても作った声”は、その、――鳥肌立っちゃうくらいオカマっぽい!
「これにアイちゃんは何と応えたと思います?
『パーツも含めて純日本製であります。
それよりも貴方はこれ以上近づかないでください。』
ハトが豆鉄砲喰らった顔とはこのこと、つーカンジでした、リョージくんは。
『パーツはねーだろパーツは! 』とワタシがNGワードにツッこもうとしたその時、カレは鼻の下を伸ばしてアイちゃんにすり寄った。ええもう、目にもとまらぬ光の速さで近づいて、甘ったるぅーくこう言いました。
『ん、どうして? キミのようなき、』
たぶん、
『キミのような綺麗なコに声をかけるのは礼儀だよ。』
とでも言いたかったのでしょうが、残念。
ビュン!
唸りをあげて風を切る音が走り、カレの言葉は無残にすっぱりとちょん切られたのであります!
ワタシの動体視力じゃ追えない素早さで、アイちゃんが本気の手刀を放ったんですよ。モロ、首狙いでしたアレは。絶対アタマが吹っ飛んだと思ったんですけどね。ビックリした、カレ、間一髪でよけやがった。さすがに目が白黒ンなって絶句してましたけど。イヤー、ホント危なかったです。ヘタしたらですよ? 転校初日で、机に菊の花飾られちゃうとこでしょ、コレ!
もうその頃には、教室中が2人に注目してました。特にアイちゃんの気迫に呑まれて、周囲はすっかり静かになっちゃってた――ところがその時、詠める空気を詠もうともしないアイツが!」
とつぜん腕を振り下ろした順平くんは、ビシッと玄関を指差した。
そこには、たった今帰ってきたSEES現場リーダーが、立っていた。
mp3プレイヤーのイヤフォンを外しながら、集まる視線に面食らった顔をしてる。
「な、何だ? 」
「お帰りなさい 」「オカエリー 」「おつとめご苦労様であります 」
「...ただいま 」
このアットホームな挨拶のやり取りは、理事長の提案で春から始まったのだそう。私が加入する前の話だけれど、幾月さんはこう言ったのだという。
『みんなご家族と離れて暮してるのは寂しいだろう?
お互い家族のようになれたら素晴らしいじゃないか。 はっはっは! 』
教えてくれたゆかりちゃんは、『あの時の理事長ってば、モロ、独身貴族の哀愁~って感じ。』とタメ息をついていた。
私は、あやふやな表情で近づくリーダーに、説明しようと声をかけた。
「いまね、転校生さんの話をきいてたの。
今朝、...望月さんが鏡を探して必死になってたのを見たんだ。
でもその時は、あんな人学校にいたかな?って思って... 」
「ああ、」
リーダーは、うっすら苦笑のようなものを浮かべてアイギスのほうを見た。やっぱりなにか事情があるみたい。
「何でそこでアイちゃんを見るよ。
リョージがダッシュしたおもな原因は、オマエだっつのオ・マ・エ!
こいつが『今、パラパラって髪が散ったぞ? てっぺんハゲたかも 』なんて言うもんだから、ヤツはおおかた頭が逆モヒカンになったんじゃねーかと心配したんだと思うぜ。
それで、もう昼休みも終わるっちゅーのに、教室を飛び出した、ってわけですよ 」
飲みかけのジュースを一口ごくんとしたあと「ふぃー、」とため息をついて、順平くんはポテチの袋を破った。ぱっと広がるじゃが芋の匂いに誘われるように、棒立ちになっていたリーダーがフラフラ動き出す。
「腹へったー。俺にもくれよ順平~ 」
「待て待て、オスワリ! 」
袋を奪い合う二人の小さな攻防を眺めながら、
私は、なるほどなーって言いたくなった。
記憶の中の、とても困った形のエクボと、今聞いた話の想像がつながる。
胸の中でたゆたう、いくつかのピース。
(あの人、望月綾時って名前なんだ...
...ウサギみたいな人だったな。)
鏡に向かって飛び跳ねるように走り去った後姿を思い出したら、口元が勝手にほころんだ。
∮
でも、綾時さんは「り」で始まるけど、つづり的には「R」...だよね。
「だめ...埋まらない 」
(そうよね...あたり前だけど。)
胸の中で付け足してから、ハッとして口を手で押さえる。今、私、思いっきり独り言いってた...
焦って周りを見渡して、不審な目で私を見ている人がいないのにホッとした。
放課後の図書室は人影も疎ら。身動きひとつにも遠慮したくなる静けさがずっと続いていたけれど、...誰も聞いてはいなかったみたい。
つい知ってる人の名前に逃げてしまったヨコのカギの13、クロスワードの答えを考えるのに、もう10分が過ぎていた。
空欄とにらめっこしていても埒が明かないから、他のカギを先に埋めようかな。
でも、そうすると、この10分を棒に振ることになるし。
(むー。)
すごく小さなことだと分かっていながらためらっていると、指先がペンをくるくる回しはじめた。
(だめね、) 頭が単語を捕まえられなくて、詰んじゃった...
いったん、雑誌から意識をむりやり引き剥がした。それでもヨコのカギのヒントが、紙から浮き上がって私の目をひっぱっていくように感じてしまう。
「『L』で始まるっていうのは、分かってるんだけどなー 」
「何が? 」
やっぱり声に出してしまった、と反省する前に、不意の誰かが全身を驚かせた。反動で手が口を塞ぐのが一瞬早かったけれど、喉の辺りで高く響く、篭もった音が出てしまって――あえて文字にするなら「もひゅっ!?」という感じの――さすがに、カウンターの図書委員のひとが顔をあげて、目を丸くしてこちらをみた。
肩をすくめて、ごめんなさいをする。
それから恐る恐る横目をつかってみた。
ずいぶん、高い位置にあるベルト。
視線を上へ辿ると、斜め後ろから長い体を屈めて、机の上に広げたクロスワードパズルを覗き込んでいるのは...
望月綾時さん、その人だった。
(ひ...、)
ほっそりした顎をつまんで、ヒントと解を一つ一つ照らし合わせている。私はすぐ横にいる大きな望月さんの気配に肩の辺りがざわついて、落ち着かない気分に、息を殺してカチコチに固まっていた。漂ってくるのは、馴染んだ制服のじゃなく、ふわっと洗いたてみたいな服の香り。(わ、わわ、噂の人がーっ!)
「あれ? 」
顎から離れた手が雑誌の上を滑って、ヒントとカギを順番に指差した。
「ここ、書く場所が違ってるよ。すると...ヨコの13はLで始まるんじゃなくて2文字目がLだね 」
「...あっ、本当、」
(先に解いたタテのカギ、場所を間違っていたなんて...)
私は急いでタテの鍵に消しゴムをかけて正しい位置に書き直し、ワードの交差関係を改めて見直した。
ドギマギを止めたくて、...
私はパズルに集中しているんだって、自分に言い聞かせたくて。
問題をいっしょうけんめい見ながら、小声で読んだ。
「え...えと、ヨコの13の頭文字は...
タテの9、『チェスの特殊なルールで、ポーンに関するもの。』だから...」
「何だったかな...ちょっと待って、思い出してみるね。
9文字で...スペースは詰めるから、」
雑誌からずっと目を離さない望月さんは、私の隣の椅子を引いてストンと座った。
(え、あ...あれ?
なにか、とんでもないことになっ...)
周りがみんなこちらを見てる気がする。顔がこわばってしまう。でも望月さんは、自分が目立つ人だなんてちっとも気づいていないみたいに、うつむいた私の額に寄せ合うようにして考え込んでる。
(うぐ、...ちか、近い。)
息が止まりそう。ペンをぎゅっと握った。
沈黙が、まるで次の答え(ワード)を待ってるみたいに、なっちゃって...
「チェスの、歩兵(ポーン)か...」
呟きながら、雑誌の上をトントン鳴らしてる...アーチを描く、長い指先。
記憶を呼び起こすリズムに誘われて、いつのまにかぼーっと見ていると、
ぴたりと動きを止めた望月さんは、クスっと笑った。
「“アンバッサン”だ。 つづりは、えーとね、“en passant” 」
全然知らない、自分じゃ答えられない単語だった。
望月さんが教えてくれる、アルファベットのゆっくりした発音にあわせて、私はマス目をひとつひとつ埋めていく。
彼のちょっぴり得意そうな声は、意外なほど子供っぽくて。
自然に笑いがこみあげてしまい、書き終ったあと、音が出ないように小さな拍手を贈った。
「すごーい...」
「フフ。 ...次は? 」
「えと、じゃあ、改めてヨコの13は...
ALで始まる、『イギリス生まれの世界一の有名人で、冒険家 』ですって 」
(あ!) チェスのヒントがあったからかもしれない。すぐにピンと来た。
見合わせた彼の目もきらきらしていた。当然のように声が重なる。
「『
ALICE
(
ア リ ス
)
』!」
その呪文が鍵になって扉が開かれたみたいに、シャープペンが走り出した。
全てのカギが間違いなく繋がっている確信に後押しされて、ひらけたイメージの前で、現れたそばから謎がひとりでにほどけていく。陸上部の人ならランニング・ハイと言っちゃうような感覚(私は経験がないけれど)、思考がとめどなく、止まらない。
夢中の楽しさで、文字の迷路を駆け抜けたときには、
クロスワードは全て埋まっていた。
「...できたー 」
二重線で囲まれたマスのアルファベットを並べて、一つの単語を導いてお終い。ハガキの2ページ目に間違いのないように書き写して、ホッと息をつく。
胸の中でフワフワする達成感に、夢見心地で浸った。
「あっという間だったね 」
今の私の気分と同調するゆったり優しい声で話しかけられて、望月さんが隣にいたことを思い出した。
「あ...はい。
どうもありがとうございました、望月さん 」
親切にしてもらっちゃった。嬉しくって斜めに座ってこちらを向いてる姿に、丁寧にお辞儀をする。
自分だけで解いたんじゃないパズルは、なんだか特別たいせつな物のよう。
(折れないように、ちゃんと挟んで、と。)
頬杖を突いた姿勢の彼は、雑誌をリュックの中に片付ける私を見ながら、嬉しそうな雰囲気になった。
「ふうん...僕の名前、知ってたんだね。
でも、よかったら綾時って呼んでよ。きみの名前は? 」
「えっ ふ...ちが、あの、山岸、です 」
善い人だな、と思ってホンワカしたのもつかの間、ペースに巻き込まれてどぼんと落ちた。そういえば自己紹介もまだだったのに、つい...
(噂好きだと、思われちゃったかも。) 恥ずかしくて、顔が熱くなってしまう。
たぶん赤くなってる頬を伏せたいのに、望月さんを見上げてる目が、逃げてくれない。
(色白...やっぱり、白ウサギさんみたい。)
唇の端で微笑む仕種には余裕しゃくしゃくの悪戯っぽさがあって、最初に話した時とは全然違う雰囲気だった。
『アワー』で順平くんは『ヤツはビョーキ!』...と言ってはいたけれど。
話を聞いていて思ったの。(おもしろそうな人だな、)って。
「やだな、もっと仲良しっぽく話そう? さっきまでみたいにさ。
パズルに夢中になってる君、素敵だった...とっても 」
(イキナリそういうこと、言えちゃうの!? ) 私はドキリとして、拾いかけたペンケースを取り落とした。中からいくつか筆記用具がこぼれ落ちて(拾わないと)と思うのに、指先まで熱くかじかんで、うまく動かせない。(ほっぺた...が、ますます、)
“望月さんはこういう性格の人”って予備知識は、あったのに。
なんにも役に立ってくれていない...
(て、手が震えちゃうよ、)
普通にお話したいのに、どうしてこうなっちゃうの。
夏紀ちゃんの手をとった時は、勇気をだせたでしょ。あの時の私、もう一度帰ってきて...お願い!
(やっぱりダメ、かも...望月さん、男の人なんだもの、)
『ダメ』だなんて、アイギスのこと言えない。これじゃ同じだよ、私...
リーダーや順平くんや真田先輩とは、話せるのに。
どうして?
できないのは、みんなとは共通の目的があって、望月さんにはそれがないから?
ゆかりちゃんだったら、こういう時何て返すのかな。夏紀ちゃんだったら――?
ああ、考えれば考えるほど、あわてている私とヘンに冷静な私が離れていく...!
「えと、ご、ごめんなさい、私、」
「――ねえヤマギシさん。下のお名前は? 」
わたわたと散らばった筆記用具を回収する私を親切に手伝ってくれながら、望月さんは非情にもマイペースな会話を続行した。
処理する時間をくれそうにないスピード。(うう、)
もう、もどかしいほど口の中のモゴモゴが、言葉にならない。
気を悪くして欲しくないのと、もうやめてってお願いしたいのと。伝えたいのにうまく言葉になってくれない。
「......っ、」
逃げ出してしまいたい。ひと気のないところまで走って、頭を冷やしたいのに。
返事を待つみたいに、望月さんは黙ってる。
(どうしよ う、...)
最後にさっきまで使っていたシャープペンをつまんで、ケースに戻してくれた。
と思ったら、
不意に手首を下げて、ペンケースを持ってる私の手をすくい取った。(ッ!?)
「...ぅ、」「可愛い指、してるんだね。 ...触りたくなっちゃった 」
ケースが揺れて、底にカタン、と収まる音。響きと一緒に、心臓と体を巡る流れがサーっと引いていく。反射的にのけぞって、望月さんの顔を真正面から見つめてしまった。
(ドラマみたい、)なんて、片隅でこちらを眺めてる冷めた私...
(ちょっと! 遠くにいないでよ、お願い、助けてってば――!)
図書室の大きな窓からなだれ込んでくるオレンジ色の光が、すうっと鼻梁の通った望月さんの横顔に、影を投げかけていた。
左目となきぼくろのまわりだけ強く明るく照らし出されて、口元と顔の全体が暗く影の中に沈んでいる。それはどこか、――レンブラントの油絵みたいで...
サラサラした、大きな手のひらが離れた。
現実感のないまま、自分の手と目の前の人とを、見比べた。
どんな表情をしているのか、上手く読み取れない。
蒼い陰影の内側で唇が動いた。それが、...
「...お腹空かない? 」
「え、」
ちょうど図書室の蛍光灯がついて、辺りが急に明るくなった。
望月さんは椅子に真っ直ぐ座りなおして、組んだ両手を前の方へ気持ちよさそうに伸ばしている。
授業が全部終わった時みたいな、開放感に満ちた顔をして。
「僕、考えたらお腹空いちゃったよ。
もうとっくに4時回ってるし...夕火の時間だものね 」
(ユウヒノ ジカン?) ...聞き慣れない言葉。
...そういえば、海外生活が長かった、って順平くんが言ってた。
“夕方”のつもりかな?
夕日の時間...なんて、不思議な使い方をする人。
(でも、ちょっと素敵かも。)
段々落ち着いていく胸の階調...
さっきまで異常なくらい動悸がしていたことに、今ごろになって気づいた。
「そうで、...そうだね。 もう11月だし、日が暮れるのもあっという間だよね 」
「でしょう? そうなる前に、さ。
何か食べて帰ろうよ。もちろん僕がご招待するから 」
望月さんは朗らかに、自分の薄い鞄と一緒に私のリュックまで拾い上げた。
たまに見かける...彼氏に鞄を持たせてる彼女の二人連れ。連想した瞬間、記憶の中の彼女たちの横柄そうな振る舞いと、そういう関係を想像してしまった自分への自己嫌悪が頭の中いっぱいに氾濫する。
「あ、いいよ! 」 発作的に私は、教科書・ノート・参考書でかなり重たいはずのリュックを、望月さんから奪い返していた。
それから、
「オゴリなんて、わ、悪いから。それに、私寄るところがあって、その、ごめんなさい。
さっきは色々ありがとう、楽しかったですっ 」
ここが図書室だという事を思い出したのは、勢い任せに今の言葉を言い切ってしまって、ぺコンと頭を下げて回れ右、早歩きで出入り口まで来て、――『静かに開閉』の貼り紙に、気づいた時だった。
いまさら振り向く勇気があるわけもなくて、注意書の通りにそろそろドアをあけて、下を向いたまま閉めて、――
(ひゃああ...) その場にへたり込みそうになるのを、 やっとのことでこらえた。
(...私っ、 あれじゃ、あまりにも失礼だよう! )
自分から自分へのダメだしでKO寸前...
今夜はこれで、一人反省会決定になっちゃった。
(
望
(
もち
)
、...綾時さん、本当にごめんなさい。
コンプリートセット当ったら、ダブってるフィギュア、プレゼントするね...)
まだ少し震えが残る手で、クロスワードの答えが書かれた懸賞はがきを、リュックから取り出した。2ページ目の応募専用部分だけを、ちぎれないように切り離す。
本当に悪いことしちゃった...あの人の助けがなかったら、これ、応募できなかったかもしれないのに。
(...うん、きっと当てるから。)
そのために、今日はコンビニに寄って、80円切手を買わなくちゃ。
ポストに入れたら神社に寄って、当選祈願のお参りをしようっと!
校門のところで、後ろを――まだ綾時さんがいる筈の校舎を振り返りそうになった。
ぶんぶん首を振って、ぐるぐる考えそうになる頭をリセットする。
綿菓子色に暮れていく空を見上げ、私は帰り道にあるコンビニへ歩き出した。
この話は、gr.杵島月莉さんとの合作です。
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