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それから10年―――
僕は、至福の刻に安寧し、心地よい繭の中で―――相変わらず何も視えてはなかったけれど―――力を回復し、めまぐるしく変化する外界を聴き、感じとっていた。
ときおり僕を揺さぶる、色をともなう波の動きが“感情”と呼ばれるものであることを知った。
まだ視ぬ世界の言の葉、それが時に感情の“仮面”に成り得ることも。
それほど、僕の繭を抱くアキラの言葉は、彼の持つ暖かな波の色とは裏腹なことが多かった。
アキラ。―――僕は、この癒しの暗闇の持ち主を、そう呼んでいた。外界の声が、そう呼びかけるのを聴いた時から。
でも、僕は全てを聴いていた訳ではなかった。彼の心が拒否した言葉は、僕に届くまでに殻に阻まれ、獏として把握できない塵へ変わってしまう。
アキラと僕とをとりまく高い音、低い声...それらは、全てが遅かれ早かれ、時とともにそっくり取り替えられた。
外界の言葉や事象に傷つき、あるいは失うそのたびに、アキラが悲しみ、打ちのめされ、寂しさを圧し殺すのを、僕はまるで自分の感情のように感じていた。いつしか僕は、繭...アキラを苛むそれら全てに憎しみを抱くようになった。
やがて感情の動きは、変化に対し虚ろになってゆき、ある日の泣きはらした目覚めの後、アキラは何かを諦めた。
諦め。 ...小さな自分ではどうすることもできない悔しさに倦み疲れ、もてあました感情を手放し、それから彼は極端に無口になった。
僕はもっとアキラの声が欲しかった。寂しかった。
“僕がここに、傍にいるよ”
響きをまねて、そっと呟いてみたりもした。けれど、まだ力の弱い僕の言葉はアキラの内側を守る薄い殻に阻まれ、微かに届いたはずのそれも、アキラの感情の波がすぐに打ち消し、否定し、遠くへ流し去った。
...会話を試みる努力は、その繰り返しの中で、次第に疎くなっていった。
アキラ自身の声は、やがて幼い響きから変声期を迎えて、感情を抑えた静かな低さへと移ろった。けれど、どんなに時が経っても、変わらないひと色の波に、気付かないわけにはいかなかった。
...ひとりぼっち。
僕には友達がいない。
トモダチ。手に入らない誰かを求めるその馴染みの感情は、哀しく冷たい雨となってたびたび闇の中の僕を濡らした。それは隠された静かな苦しみで、僕はそれで苦痛以外にも優しい苦しみがあることを知った。
いつからかアキラは、外界の、自分に向けられる言葉を遮断するかのように、誰にとも無く繰り返される“歌”を聴いたり、細くたなびく音色の楽器を弾くようになった。彼は得られないものの代わりに慰めを見出していた。
その様々な歌や曲は、高い響きの時もあれば低いときもあり、僕を包むアキラの鼓動とは異なる、速いリズムの時もあった。繭を揺らす波は歌の言葉と同調し、喜びや快感、ときに哀切の色を帯びた。
こうして...
貝に紛れ込んだ異物がいつしか真珠に成るように、
アキラの感情の波と鼓動に優しく抱かれ、僕は”僕ではないモノ”に変容した。
いつかはアキラと同じ存在に、なれるのかな。
...それは僕の願いなのか...希望に過ぎないのかもしれないけれど。
はやく、生まれて、アキラに伝えたい。
「僕の友達になってよ 」って―――
我が息子よ
約束の地へ来るがいい
いまこそ、おのが使命を果たす時だ......
なんの予兆も無かった。それは突然の出来事だった。
眠りの時の終わりを告げる、その怖ろしい呼び声を聴いたのは。
≪ 序. Moon Child | | P3 NOVEL | | 02. THE TIME HAS COME ≫ |