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雨上がりの夜風が、ちっとも嬉しくない残暑のぬめりを運んでくる、九月半ばの深夜。
俺はベッドの端...いつもファルロスが腰掛ける場所から、眼だけは、開け放しの窓の向こうに煌々と在る月を眺めていた。月がシャドウの活動に関わりがあると分かって以来、いつもなんとなく気になって見てしまう。今日は半月に近い。
考えていたのは、いままでファルロスがよく口にしてきた“終わり”の欠片を繋ぐこと。
彼はそれ以外の表現を知らないようだが、終わりと言っても色々だ。
彼の言う終わりとは、一般的な形容ではなく、なにか特定の現象を指す言葉のようだった。
10年前の出来事が原因で、大勢の人々に望まれ、もうすぐ来る“終わり”。
言葉のひとつひとつを思い出しながらの作業途中、一度、ふぅと息をついて頭を振った。俺は自他共に認める姿勢が悪いやつだから、長時間、顔だけ仰向くのは首が凝る。
いつからそうなったかは分からないけど、長年見たくないものを見ないで曲ばかり聴いていたら、俺はまるで他人の視線から閉じこもるような猫背になっていた。鏡を見るたび、直さなきゃとは思うんだが...
そうだな、これも終わらさなきゃならない事の一つだ。
ファルロスの言う”終わり”―――原因はこれまでの経過でなんとなく分かったが、問題は、その”終わり”がなんの”終わり”なのか、だ。
ここまで考えていた時、急に半月と空が、周囲の空気をまきこんで、汚れた海に沈むように様変わりした。影時間のおでましだ。 ―――そして、背後からはお馴染みの声。
「...久しぶり。 きれいだね 」
「そうかな。 かなり気持ち悪いと思うけど 」
身体をずらして斜め後ろを見ると、ベッドの上で膝を抱え、枕をクッション代わりに壁の角に寄りかかったファルロスと眼があった。
「そう? 」 アイギスそっくりな色の瞳が、彼女には無い驚きに見開かれる。 「僕は、君の顔、とてもきれいで好きだな。今夜は、そこに居るからハッキリ見えるよ 」
なんだ、そっちの話か。
「俺が言ったのは、月のこと。 それに、誰だったかに言われたよ。 「死んだら焼かれて骨壷に入って、イケてるとか、意味ないのに 」って。 ...俺も、そう思う 」
「そっか。 ...そうだね、誰にとっても、“終わり”は同じなんだ 」
どことなく、沈んだ調子で自分の膝頭に眼を落としていたファルロスが、急に寒さを感じたように身体を縮めた。
なるほど、と俺は頷いた。「ああ。 “終わり”って、死ぬことだったのか 」 頭のリストには、入っていた。不吉な予感だけはあって、実感はわかない。そんな風にぼんやり感じることだけど。
でも、ファルロスは弱々しくかぶりを振って、否定のしぐさを返した。
「そうなのかな... ちょっと違う気がする。
僕ね、今まで、君に話してたこと...
いろんなものが、見え始めたんだ。
...あの塔だよ。
最近、そのことばかり考えてる... 」
「うちの連中にもいるよ。 毎晩毎晩、タルタル行け行けって、うるさいのが。
最近は、そうでもないかな...? 」 チドリとかいう少女の存在を思い出して、俺は訂正した。
「ふぅん、それは、誰? 」
「じゅんぺい、伊織順平っていう、この寮の仲間。ちょっと前にいろいろあって、好きだったコに...まあなんていうか、一言でいえばフられた? ...みたいで、元気が無かったんだ 」
実際はもっと重い状況らしかったが、自分でもよく知らない事を、いまは説明のしようがない。
「ああ...あの、毒の花のことだね 」
「毒? え、順平が? 」
ううん、とかぶりを振ると、ファルロスはひっそりと笑った。
「彼が好意を寄せていた、あちらの花壇の花のこと 」
―――俺はやっと理解した。先月彼が言っていた、”みっつの毒の花”というのは、あの”ストレガ”とかいう三人組のことだったのか。 堕落したキリスト像のような不気味な青年が思い浮かぶ。でも、ファルロスは、俺の花壇にも毒の花がひとつ咲く、と言っていたはずだが...
「フフ... いいね、君たちって。
同じ場所に居て、ものを見て、知り、目的を持ってる 」
暗い隅の白い顔が微笑みの形をとり、けれど声は哀しみにかすれて問いかけてきた。
「僕は、僕の“決まり”が終わったら、どうなるんだろう。
僕らの関係は、変わらないものなのかな...
それとも、変わってしまうのかな... 」
「...その”決まり”とやらを知らないから、何とも言えないな 」
どうせ訊いてもファルロスは答えないから、と、こんな言い方しか出来なかった俺の返事に、みるみる彼の表情がやつれの翳に覆われるのをみて後悔した。だから慌てて次の言葉を捜す。
「...でも、君はどうしたい? 何かしたい事はあるの? ファルロス 」
「僕? ...僕の、したいこと...? 」
瞬きも惜しいようにじっとこちらを見て。
その小さな頭で何を考えているのか... 何かしてやれることは、ないのかな俺には。
ふっと半眼になると、彼は視線を横にはずした。辛そうな顔はそのままで、俺は、地雷を踏んだのだと自覚した。
「か、関係が変わるかどうかっ...て言ったけど、俺はべつに、君が来たきゃいつでも来ていいと、思ってるし... 」
ああ、何言ってるんだ。ヤバイ時はあるじゃないか、試験前とか部活の朝練の日とか。
でも、...そう言えば、彼は一度も、そんな都合の悪い日には、来た事が無かった。
...不思議だ。
狼狽していた俺を安心させるように、ファルロスが親しみを込めて
「ありがとう。 ...僕の望みは、たしかにあったよ。
君と友達になれて、それが叶ったと思っていたんだ。
ただ...手に入ってしまうと、変わってしまうのが怖くなるのかな。
それとも...自分が変わるのが怖いのかな... なにかが違うと、感じるんだ 」
最後はうなだれて肩を落とした。
俺は悩んだ。自分が彼の何も分かってないことに気付いたから。ファルロス自身にも分からない不安を、俺がどうにかできるのなら、してやりたい。でもたかが高校生の自分には、考え付く慰めの語彙にも、限界がある。いつか、ちゃんと想いを表現できるような大人になれたら...
もどかしく溜息がでた。いまはファルロスの傍にいよう... それ位しか、できることがない。
四つん這いでベッドに上がり、彼の肩に手を置いて、隣に腰を下ろした。枕ひとつ分高い位置から俺の動きを光る眼で追うファルロスにちょっと照れたが、くっついて彼と同じ姿勢で並んでみると、何か以前には感じなかった違和感を覚える。 ...なんだろう?
「彰... 」
おずおずと遠慮がちに、腕が背中にまわされるのを感じた。
それで気付いた。Tシャツ越しの、その手の以前にはなかった”温かさ”に。
たしかに、何かが変わりつつあることを、漠然とだが俺も気付かざるを得ない。
”何かが前とは変わった”その彼は、そっと寄り添い俺の肩にこつんと頭を預けて、呟いた。
「...そうだね。 僕は怖いの、かもしれない。
ただ、感じる。 ...最初から決まっているみたいに、僕に近づいてくる”それ”が 」
暗く紗のかかった眼が窓へ流れた。無言で首をすくめて、片腕で自分の肩を抱くその小さな身体からは、明らかな怯えが震えと一緒に伝わってきた。俺も同じ方をを見ると、月の位置は影時間の前と変わることなくそこに在った。俺たちが見ているのか、それとも見られているのか曖昧になる、怪しい輝きで。
「...何があっても、僕たちは友達だよね? 」
「ああ、友達だよ 」
反射的に答えた後に、...ようやく心で納得が追いつく。
いま自分が一番心を開いているのは、この、誰も知らない小さな友人に対してなんだ...と。
――だとしたら、自分は今まで、誰にも心を開いた事、なかったんだ。
そう分かったら、いきなり刺すような痛みが鼻の奥にはしった。
(まずい...泣く。)
あっと自制する間もなく、頬にぽろりと雫が流れた。
「...どうしたの? 彰。 どうして泣いてるの? 僕、なにか悪いことした? 」
嗚咽しそうになって身体を強張らせた俺に、気付いてしまった彼が急き込むように尋ねる。慌てている...みたいだな。ファルロスらしくもない。
それで自然に、笑いに似た気持ちがこみ上げた。気分が明るくなって、俺は軽く顔をこすり、ファルロスに向けて笑って見せた。
「どうしたの? 苦しいの? ...僕が君を、いじめてしまったの? 」 俺のシャツにしがみついている、心配でいっぱいの友達の顔。
「...違うよ、これは 」 大きく息を吸い。吐いたら、すっきりして落ち着いた。 「ちょっと気付いたことがあって、嬉しかったんだと思う 」
「うれしい? ...嬉しくても、泣くものなの? 」 全然知らなかった、という表情でファルロスは握り締めていたシャツにかかる指を緩めた。
「...うん、たぶん。 俺も、初めてだけどね 」
「そうなんだ。 ...よかった。
僕は、君が苦しむのは、イヤなんだ。 ...絶対に 」
ほっと安堵の表情になって、和やかになった視線が、どこか...俺の背後のなにかをみつめている。
「俺も...嫌だな。 君が怖がってるその...”なにか”が。俺に出来ることがあったら、遠慮なく言えばいい 」
これは、伝えたかった事の一つだ。何がいままで俺の口を封じていたんだろう。言ってしまえば、あっけない。つかえがとれて、心が穏やかになった。
「...怖いのは、彰と離れ離れになること... いまは、それしか、分からない 」
「それは、”結果”じゃないのか? 何かが”原因”なら、俺がなんとか...できるなら、 」
そこまで口にして、急になぜだか不安になった。
自分が、無責任でイイカゲンな事を、言っている...そんな予感がした。
「...それは、もう、始まっている... 誰にも... 」
微妙に焦点のあってない目つきでぼんやりと呟いたファルロスは、次にはっとして俺を見た。
そして、少し焦った感じでずっと俺の腹に置いていた手を離し、前を向いてニッと唇を歪めた。
「...でもね、僕は、ずいぶん例外みたいなんだ。
だから、”決まり”からハズれているのかも、しれないよね 」
独り言のように納得して、ようやく少年に普段の表情が戻る。
「今夜は、君が起きていたから、まだ時間がある。
もう少しここにいても、いい? 」
いいよ、と頷くと、彼は足を伸ばして、小さなつま先をゆらゆらと突き合わせた。
しばらく、俺たちは並んで穏やかな沈黙に包まれていた。
その間なんとなく、少年の細い足を覆う縞柄を眺めていると、一度訊いてみたかったことを思い出した。
「...前から思ってたんだけど、なぜそんな服を着てるの? 」
俺の問いの意味が分からないのか、「え...? 」 と上目遣いになる。
「映画に出てくる刑務所の、囚人服みたいだ、そのシマシマ 」
刑務所、という言葉も分からなかったらしいので、監獄や牢屋と言い換えると、
「ふぅん... 彰には、僕がそんな風に見えるんだね 」
と、感心している。 今度は俺が驚く番だった。
「本当は違うってこと? 」
「ううん。
君は僕と一番近い人だから、それがいまの僕なのかなって...思ったんだ 」
ファルロスはベッドから消えて床へ現れると、俺のシャツの袖を握り、「こっちへ来て 」と、洗面台へ引っ張った。正面に立つと片腕をあげ、
「ね? 」
指差す先の鏡には、あるべき筈のファルロスの姿は無く、ただ俺一人だけが映っている。
「...つまり? 」 これじゃ全然、説明になっていないから、バカみたいに尋ねた。
「君には、僕が見えてるってことだよ 」 と、彼が嬉しそうに見上げる。「僕がどうなってるかが、ね 」
「ごめん、全然わからないんだけど... 」 あやふやに答えた俺の手をとった彼の指は、子供らしく上気した頬にあわせて、少し汗ばんでいた。
「僕には、それでじゅうぶんだよ。 ...ありがと、彰 」
そう言うと、ファルロスは懐かしむしぐさで、俺の手を頬に押しあてた。何も言うべき言葉が思いつかず、しばらくされるがままになっていると、彼の閉じられた瞼が震え、唇が開いた。
「...何があっても、忘れない...絶対に 」
自分に言い聞かせるように、それだけを言うと、ファルロスは手を下ろして俺を見つめた。
「じゃ、またね...」
少年の姿が消えたあと、残された俺は、しばらく彼のいた場所から眼が離せずにいた。月光の中にあっても、床に影を落とさなかった、その場所を。
ファルロスが好きな言葉...“ずっと友達でいる”ことと、彼から感じる別れの前兆との間に横たわる暗い河を、俺は視たような気がした。
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