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“タナトス”。
その言葉をベルベットルームの老人に伝えた時、初めてその意味を知った。驚くと同時に、依然として残るファルロスの謎がさらに深まり... それが、俺の新たな悩みになった。
空は薄曇の夕暮れで寒々としている。
それでも、橋の見える人気のない公園で、今日もヴァイオリンを弾いた。
風は冷たい、でも曲に集中すれば指は思うとおりに動く。
帰宅前の時間、時々の空や海を伴奏に練習するのは気持ちがいい。
湾から吹く潮風はあまり楽器によくないけれど、誰もいない場所で思いつくのは、ここしかなかった。
思うさま音を出せない、という理由だけではなしに、最近はあまり寮の自室にいたくない。
あの部屋にいると、どうしても、 ...一つの思い出に耽ってしまうから。
月高の管弦楽部に欠員ができたと知って訪ねてみたのは六月だったか... 丁度ヴァイオリンが足りないといわれたので、その場で入部を決めた。独りで弾くのは気楽でいいが、他人のポジショニングも見てみたかった。平賀と名乗った部長は、趣味にしてはかなり奇麗なヴィブラートの持ち主だから、しばらくは勝手にお手本にさせてもらうつもりだ。
昔は親の勧めで、ちゃんと教室に通っていた。
両親はクラシックが好きだった。期待に沿おうと来る日も来る日もウォルファールトやカイザーの教本を練習していた。でも、親戚の家を転々とするようになってからは、何の指導も無い独学だけ。
自然と、練習曲よりも気に入った曲だけを演るようになった。
なにより、今の俺には義務もないし、聴かせる相手もいない。
しばらく易しい曲で肩慣らししたあと、日暮れが迫った空に架かる橋に向けて弾きはじめる。母が好きだった、あの夜想曲。
...色々な事があったよ。もう何が何だか分からない。
初めて出来た友人らしい友人はどこかへ行ってしまった。
理事長は俺たちを騙してた。 ...影時間は終わらない。
父さんや母さんに手向けが出来なくてごめん。
俺は何のために戦っていたんだろう。わからなくなってしまった。
ストレガの言った事は本当だ。
...俺は事実を消してしまいたかったんだ。
小さいときにあの橋であったこと、ぜんぜん覚えてない。
皆はショックの為だと言ってた...
どうしてあなた達が死んだのか、どうして俺だけ生き残ったのか。
覚えてないから余計に黒く大きくなっていく。
...何も出来なかった罪が。
...弾き終わって腕を下ろすと、誰もいないはずの後ろで拍手がした。
驚いて振り返った。
「君は... 望月(だっけ)? 」
「やぁ、たしか北川君、だよね。 途中で声をかけちゃマズイかな、と思ってさ 」
望月。名前は変わった読みだったような。今日来てしょっぱなからアイギスにダメ出しくってた転校生。彼女の基準が分からないな。機械に好みがあればの話だけど。
...というか、全然気付かなかった。いくら演奏に集中していたといっても... 夜毎の活動に鍛えられて”気配”には敏感なはずなのに。
「いやー、いい曲だね。 何ていうの? 」
「ショパンのノクターン...の、ひとつ 」
「ふぅん。 聴いたことがあるような気がするよ 」
「有名だからな 」
まるで俺の”オルフェウス”みたいに、つい後ろから引っ張りたくなるような長いマフラーを潮風になびかせて、少し距離をおいた所に何をするでもなく飄々と立っている。不思議に思って訊いてみた。
「...君は散歩? 」
「ま、そんなとこかな? ここの景色はキレイだねえ。今度誰か誘おうっと 」
自己紹介の時に眼が合って、そのとき以前にも遭ったことがあるような気がした。でも、海外にいたというから、それは無いな。
そう思ってから気付いた。
ファルロスと同じ場所にホクロがある。いままで気付かなかった。
...それでだろうか? 他はそれほど共通点はないのに。
あまりじろじろ見ても変に思われる。 とりあえず場所を変えよう。
「そう。 ...じゃ、俺はこれで 」
傍らのケースに身をかがめると、転校生が近づいてきた。
「このあと何か予定でもあるの? 」 にこやかに顎をひいて見おろす。
少し迷った。 “ある”と言えば嘘をつくことになるし、“ない”と答えたら相手はいったい何を言うつもりなのだろう。
「別に... 」 結局、口癖がでた。
「よければ、もう一回聴かせてくれないかな 」
そういうことか。でも、観客がいるなんて慣れてないから、ぎこちなくなりそう。
「...人に聴かせるようなレベルじゃない 」
なぜかなってしまった硬い声に、相手は眼を丸くする。
「ご謙遜でしょ? BGMが欲しいじゃない、こういうロマンティックな時間にはさ 」 そう言って、優雅、といっていいような手つきで辺りを示した。
どうもマイペースな人らしい。 「BGMって... いいけど。 一曲だけな 」
それを聞いた望月は、昔のイギリス紳士みたいな大げさな礼をすると、近くのベンチにマフラーを払って腰を下ろし、足を組んだ。
「...何弾けばいいわけ? 」
「さっきのがいいな 」
「あれは... ちょっとパス 」 あの曲はただ一人のためのものだから。
「えー、って言っても...うーん、そーねえ、曲名全然知らないし 」
首を捻っている。クラシックに触れる機会の無い外国ってどこだろう、と疑問に思った。 誰でもたいてい一つくらいは知ってそうなものだが。
「詳しくないなら、こっちで勝手にやる 」
「僕にぴったりのやつ、よろしくね、フフ 」
バーで聞くようなセリフだ。“今夜の私にぴったりのカクテルを”
日は落ちかかり湾口の風景も暗く沈み、近くの照明がなければ手元もおぼつかない時間になった。
ベンチにくつろぐ骨のような白い雰囲気に、やはり既視感を覚える。
(ファルロス... )
イゴールは言った。“タナトス”は死神のペルソナだと。
それなら、と悪戯ゴコロが芽生え、俺は調弦しなおした。
「...じゃ、君にぴったりのやつを 」
マーラーの第四交響曲・第二楽章...ヴァイオリン独奏。
作曲家はそのパートを、“我が友ハイン”と呼んでいた。
ハイン...それは“死神”の事だ。
望月に、ではなく、彼が面影を喚起したファルロスに向けて、心をこめて弾いた。
死神のヴァイオリンを...俺に絆を残して去った、あの碧い目の友人に。
夜、寮に帰るとロビーにたむろっていた順平が、
「なあ、今日転校して来た望月ってやつ、オマエどう思うよ? つか、転校初日から女子に声かけまくりだよ、あいつ 」と言った。その割にさっきは一人でいたから、釣果はなかったらしい。
「声かけまくり、なんてのは女子だって嫌なんじゃないか、遊ばれてるみたいで 」そう答えたら、
「だよなー、やっぱハートっしょ? よしっオレは諦めねーぞ 」得たり顔になって、順平の心はたぶん病室へと飛んで行った。俺は部屋に戻った。
次の日の朝、学校で、転校生キラー(真っ先に話しかけるという意味で)の順平と望月が談笑している場面にでくわした。
「おはよー。昨日はステキなの、どーもね、北川君 」
「...あ、どうも 」
なんだ? という顔の順平に、彼は「ちょっとね 」と笑い返し、俺には「北川君っておねーさんか妹いないの? 」とニヤニヤした。
「いない 」 こういう場合の真意はお約束なので、俺はそっけなく答えた。
望月は、胸をおさえて順平と顔を見合わせた。
「北川君って僕の事キライなのかなー。 アイギスさんみたいに 」
「ここんとこ元気ないからコイツ。 なーアキラよぉ、マジどうしちゃったわけ? 」
「...ちょっと前の順平と同じような理由 」
そう答えると順平は、しばし心当たりを検索したのち、「う 」と唸った。そして、「そーかーそーなのかーオマエさんがねー。可哀相だから帰りに『はがくれ』でラーメンでも食わね? 」と肩をバンバン叩いてきた。
「おごりなら行こうかな... 」わざとらしく上目遣いで見てやると、
「なんでオレがおごるんだよ! オマエの方が稼いでんじゃんッ 」と口を滑らす。
「...なんの話? 」タルタロスで拾った金は活動費だから使えない。っつかそれは秘密だろ。
シマッタ顔の順平を不思議そうに見ていた望月が、
「えーっと、よかったら、僕もついてっていい? その、ラーメン?食べに。キャッシュならあるしさ 」と、順平にとってまたとない提案をした。しかし、俺はやっぱりその横顔を見ると、気分がどんよりしてしまう。ホクロと色白くらいしか共通点が無いのに、なぜだろう。雰囲気かな。
落ち着かない気分を味わっている間、話はまとまり、放課後は3人で帰った。
数日後。
「ちょっとこの教室、まーたヨソより寒いわねえ。暖房入ってないのかしら? 」
授業開始直後、鳥海先生はぶるっと震えて両腕をさすり、「これじゃ授業にならないわよ 」と、空調を確かめるべく、そそくさと教室を出て行った。
望月が隣の女子に気さくに話しかけている。「君も寒そうだね? 僕のでよかったらこれ、貸すよ 」
隣の順平がイスごとグラッと傾いて、あきれ声で耳打ちしてきた。
「ホントあいつ見境ねーよなー。こないだもゲーセンでオンナとメルアド交換しまくりんぐだったし。ちっとはオスソワケしろってーの 」
順平がいうのも無理はない。暇さえあれば教室や廊下で目撃するたびに違う相手をナンパしている望月の姿は、いまやすっかり校内の風物詩となっていた。つまり、(ああ、望月クンってそういう人なんだぁ )と、全校生徒が認識したということだ。
近頃では相手選ばずなのがバレたのか、あからさまな誘惑のコトバに頬を染めるコはいても、マジカレの対象にはされていないらしい。いつだったか「オンナにはオンナのプライドがあるんだから! 」とゆかりが言っていた。なぜか少々キレぎみの形相で。
鳥海先生が戻ってきた。「んー、ボイラー室はどこもおかしくなかったわ。でもこの教室だけ普通より温度を上げてもらうことにしたからね。もし暑過ぎると思ったら先生に言うのよー? ひょっとしてスキマ風でも入ってるのかもしれないから、ガマンできなかったら望月くんみたいに自分であったかくしなさいねー。あさってから修学旅行なんだから、風邪なんか引いちゃ損でしょー 」
望月か...ヘンなやつ。教室くらいマフラー取ればいいのに。
そんな事を考えてたら、唐突に古文のエヅラが出欠を取るとき披露した短歌だか和歌だかを思い出した。
「あーキミが転入生の望月クンね...望月と言えば、藤原道長だ。
”此の世をば~ 我が世とぞ思ふ望月の~ 虧けたることも無しと思へば~”
いいかね、いつの世も栄耀栄華を極めた権力者というものはだな... 」
その後の話はすっかり忘れたが、望月が満月の事だというのは前からなんとなく知っていた。中学で習ったのかもしれない。
欠けていない、満月。 ...ファルロスは満月のシャドウを”試練”と呼んだ。
そしていま、プライベートが謎に包まれている望月という満月の異名が。
...偶然だろうか。
先日、一緒にラーメン屋に行った先でも、彼は順平のなんでもないような日常の質問に何もハッキリと答えられないようだった。まるで記憶喪失にでもなっているかのように。
いつしか望月について考え込んでいた頭に、ひとり食堂で沈んでいたアイギスの警告がよぎる。
(あの人は...ダメです。彰さんにとって危険です。とにかくダメです )
彼女の嗅覚はいったい望月に何をかぎつけたんだろう。女子にとって危険、というなら分からないでもない。なぜ俺?
考えても答えの出ない問いに軽く眼を閉じたとき、先生の指名攻撃が鋭く炸裂した。
「じゃ、ここの解釈、北川彰。
さりげなく寝てないで述べなさい。ぜーんぶ見えてるわよ! 」
(前の時間も当たったのに... ) 思わず顔にでた抵抗は、鳥海先生には、通じなかった。
-claplog darkside-
曖昧な冬空を、ひゅんとカットして... 弓が綺麗な弧を描いた。
盛りを過ぎた薔薇の黄昏に向けて、北川君はヴァイオリンを構えた。
落日の似合う細い肩、それに続くうなじ...
..清潔さが寝乱れたような後姿だ。
頭が傾いだ。楽器の丸みを挟む、冴えきった形の顎。
伏せた睫毛の細密画みたいな横顔。
...見惚れ、た。
音が雨雫の匂いを運ぶ。哀しいけれど、どこか慣れを感じさせる。
海の夕風が運ぶ旋律の悲哀。声も無く泣いている。
(きみは、何を悲しんでるの。)
演奏のあいだ、横顔は一度もこちらを見ない。
気付かれていない。こうして、僕が見てること。
鈎裂かれたように焦れてるけど、いまは胸を謐たす音に酔っていたい。
...きみは知らない。
そうやって、きみが音を掬い取るたび、僕まで掬われそうになってること。
こんな風に僕を誘う、無意識なのかもしれないな...
...僕が女の人に対して夢想していたのは。
あの子達はみんな、僕の事を知りたがる。
『知る価値もない、平凡な男だよ、きっと 』 僕が答えたら、
『私、そういうのも好きだな...』って、眼を濡らす。
なんでもいいんだよね、君たちって。
僕は思う。(僕も好きだよ。なんだってかまわない )
温かい肌さえくれればいい。その下で何を考えててもいいんだ。
...気持ちなんて、曖昧だろ。
記憶だって...
体が離れたら、その瞬間から色褪せる。
不思議な曲だ。胸を締めつけられる。
氷雨のように細い音色。
なんて名前の曲なのか... それを知らないと、安心できない気がする。
どこかで聴いた気がするのに。
きつい形に曲げた指を見てる、半開きの険しい眼。
でも.. なにも見ていないみたいだ。ひそめた眉の先は。
弓を引くと肩が揺れ、髪も揺れる。
風をはらんで校章の赤が弾む。
寒いのに、制服のボタンは留めないきみは、
誰とも似ていない。
突然、体がしなった。風をねじ切り、叫ぶみたいな強い音が響いた。
背筋がひび割れそうに叫ぶ楽器の音。
あの内側...
どんな体なんだろう。
毒蜘蛛みたいに抱え込んで、夜通し燃え上がって..
きりきり噛み鳴らすくらい.. 気持ちいいって.. 叫ばせてみたい。
そうなってしまったら、
きみは、ただ僕を見つめるだけの生き物になればいい。
フフ、驚いたな。
僕はあの人を、こんな風に思うんだ。
どこにいるんだろう。
ずっと抱き合っていたはずの人。
思い出せないけれど...
...僕には、たしかに、そんな特別な人がいた。
どうしてかは分からないけど、確信があるんだ。
いまと違って僕は、とても満たされていたと感じるから。
..どんな人だったのか。
そんなふうに、微熱の内側に、僕を抱いてくれていたのは。
「...きみに、」
いますぐ。
「ここで、試してみてもいい?」
僕の呟きには気付かないまま、彼は弓を下ろした。
何かを終わらせた暗い眼で、白い溜息を吐く。
手が、
勝手に合図を鳴らした。
こっちだよ。僕を見て。
僕はもう、君の傍にいる。
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