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「(やっぱりなー・・・。) ・・・はーぁ」
年の瀬もあと一ヶ月を残すのみとなった、11月30日月曜の朝。
早朝独特のひんやりとした寒さが残る教室で、行われている授業の最中、綾時はこの日何度目かの溜息をついた。
自分の右斜め後ろ・・・・・・中央列の前から二番目にあるぽつんとした空席が、その原因だった。
行いの結果に後悔は無い・・・というか何度考えてもあれが自分に出来る全てだったと思う。しかし、どれほどの犠牲を相手に払わせたのか、その全貌がさだかではないだけに、ものごとに執着しないスタンスの綾時とはいえ、やはり落ち込みが忍び寄った。
空席を意識はしているものの、そちらを向いて多少なりとも自分の罪を直視し罰を受けるのは諦めていた。なにしろあの席の隣には、自分を親の敵のように睨むのを止めない、アイギスがいるのだから。
(・・・・・・どうしてあのコ、あんなに僕を嫌うんだろ? 理解不能すぎー。)
思えば登校初日に自分から挨拶して、彼女に即ダメだしされてから、彼の後頭部に突き刺さり続ける碧い眼の視線は、好意の裏返しと錯覚など、とうてい出来そうも無い、ひたむきな”敵意”といってよかった。
なのに、当の自分には全く心当たりがないときている。アイギス自身にもよく分かってないらしいと、順平から聞いた。以前の自分に関係あるのかな、と思った時もあるにはあるが。
(うーん、なんとなく気になったし可愛いと思ったんだけどな。
嫌われてる原因てなんだろ。 ・・・・・・まさか、僕の、顔!?)
いやいや、顔だけでここまで憎まれるなんて、そんなバカな。
と、こうしている間中にも、相変わらずアイギスの視線は、綾時に風穴をあけんばかりに突き刺さっているのだった。しかも、日を追うごとにそれは激しさを増しているような気がする。ここ数日なんかそりゃもう、視線だけで殺せるならとっくにそうしてるといわんばかり。
(ヘンなの。 ・・・ま、いいけど。)
もうすぐ期末試験だった。そっちの方が重要かもしれない。順位は校内に貼り出されるというし、あまりにバカをさらせばモテるものもモテないに違いない。
幸い自分の理解力や暗記力はいいようだった。記憶喪失なのが皮肉だが。自分が知らない試験とやらのコツを順平や彰に教えてもらえれば、何とかなるだろう。
(やっぱり、お見舞いに行こうかな・・・・・・。)
ふたたび意識は”彼”に向いた。
昨夜遅くに寮まで送り届けた彰は、この一週間の絶食、負傷、トドメに綾時との初体験によって、まともに歩くことも動くことも出来なかった。ロビーに誰もいないのを幸い、綾時が抱いて(そう、お姫様だっこで。フフ!)部屋まで運び、栄養補給や傷の手当てなど、彼としてはできるだけの事を尽くした。
その時に見た部屋の中は異常に片付いて寒々としていて、(ほんと間に合ってよかったよ・・・。)と、改めて胸を衝かれずにはいられないほどだった。
アンプルを飲ませてベッドに寝かせたとたん意識を失うように眠りに落ちた彰を見守り、(これでよかったのかな・・・。ごめんね。)と遅すぎる反省も一応し、いつまでも寝顔を眺めているわけにもいかないので、気持ちを切り替えて、先日、例の女に借りさせたムーンライトブリッジ近くのマンションに帰宅した。
しかし、予想通りだが翌日の今日、彰が欠席と分かって、綾時の胸は心配で満たされてくる。順平は、”風邪かなんかで熱だしてる”と周りに言っていたが、そうじゃないのは自分が充分承知している。欠席の理由が心身の回復のためならいいが、まさかまた世を儚んでやしないだろうか。
(結局、なにを悩んでるのか訊きだせなかったしな~。) ピロートークでさぐりを入れても、彰の口はがんとして堅かった。引き換えのつもりで自分の秘密を話したのに、かなり不公平だと綾時は思う。
(よし、帰りに寮に寄ってもいいか順平君に声をかけてみよっと!)
閉鎖的なルールがあるらしい寮に、部外者の自分が入るには誰かの許可が要る。綾時は順平をダシに使うことを速やかに決意した。
「アキラー、具合どうよ。 リョージが来てんぞ 」「・・・・・・こんばんわー?」
ドアのカギは昨夜帰った時のまま、かかってはいなかった。
暖房の効いた室内で、彰はベッドに起き上がってTVを観ていた。開けられたドアを振り向いたその顔には、昨日よりは生気が戻っている。
「まあまあ。 ・・・どうした?」 順平と綾時、それぞれを見て言った。内心、彰の反応にどきどきしていた綾時が、思わず唸ってしまった程の素晴らしいポーカーフェイスだ。
「あ、順平君と勉強したついでにお見舞いに。 ・・・大丈夫?」
万感をこめて綾時が尋ねたその言葉に、彰はいつものように表情薄くうなずいた。
「うお、もーこんな時間か。 リョージ、ちっとレンタル屋に返しに行ってくるから。 アキラなんか欲しいもんねえ?」
「特には・・・。 あ、後で払うから悪ぃけどアレ買ってきて」
「ああ、アレな。 おっけ」
「すまん」
出て行った順平を見送り、「アレってなーに?」 とドアを閉めて近づいた綾時を見据え、彰が言った。
「ただの薬。 それより・・・言わなくても分かってると思うけど」
「え? ああ・・・・・・うん。 一生ヒミツでしょ」
当たり前だ。
「でもこうやってヒミツを共有するのも、何か楽しいよね。なんていうか、共犯者ぽくて」 綾時がニヤリとした。
「楽しくないし、もし誰かにバラしたら、今度は・・・・・・マジに殺すから」
その軽薄さが不安要素なんだと彰は歯軋りした。自殺現場を見られ止められたあげく、姦られただなんて、絶対に墓までもっていかねば。学校を欠席した今日一日、綾時が順平あたりにでもホイホイ喋ってるんじゃないかと心配で心配で、いっそ綾時がもう死んでてくれたら・・・、などと頭を掻き毟ったぐらいだった。
「ひっどいなー。 ちょっとは愉しんでくれたと思ったのに? 特に最後のほうとか」 思い出を舐めまわすように眼を細め、さらに追い討ちをかけるような事を言い出す。
「・・・忘れろ。俺は忘れた」 一瞬カッと暴発しそうになった怒り、羞恥、殺意の三点セットを寸でのところでひっこめ、彰はヘラヘラ笑う彼を睨みつけた。
「ほーんと、つれないよね。全く・・・・・・」
大げさに胸を押さえ、ベッドの端に座りながら綾時が溜息をつく。 「・・・でもま、それだけ元気ならいっか!」 眼を伏せて微笑んだ。
いつも座っていた場所、同じ位置にホクロのみえる横顔。―――彰は、甦りそうなファルロスとの邂逅を、そっと胸の奥底に戻した。(・・・彼はもういない。綾時は、彼では・・・ない。)
「・・・・・・悪かった。 ・・・色々」
「ん? 気にしない。 考えすぎだよ彰は。 もっとこう、気楽にいかない?」
「・・・俺にも、綾時みたいな軽薄マインドがあればな・・・」
「そーいう事を言うのは順平君だな?」
「よく分かったね」
ちょくちょく似たようなこと言われるからさ、と綾時は笑った。
「・・・・・・ま、先は長いんだし、ぼちぼち行こうよ」
「長い、か・・・」
急に沈んだ顔になってしまった彰に、慌てて違う話題をさがす。
「そ、そういえば、アイギスさんって、どうして僕のこと睨むのかな。
最近ますます視線を感じるんだよね。 ・・・彰、なにか知ってる?」
「アイギス・・・?」
(・・・彼はダメです。 彰さんにとって危険です。 とにかくダメです!!)
「―――なッ!?
そーゆー事だったのかああ!? クソッたれが!!!」
彰の突然の大声に、綾時はその場にズデンとひっくり返った。
順平が戻り、彰にS.E.E.S.の常備薬・(アレといえばアレで通じる)抗菌解熱効果もあるメディカルパウダーを渡した後、一緒に部屋を辞した綾時は、一人マンションに帰った。
デスクに向かい、試験範囲を再確認して、帰りがけに買った順平おすすめの参考書を開いて、覚える、という作業を始めた。読めば頭に入るので苦ではない。
「すいへーりーべーぼくのふね、ななまがるしっくすくらーくか・・・・・・ふむふむ」
かなりはかどった頃、頭休めに伸びをしながら、今日、口実どおりに一緒に勉強していた最中に、順平に訊かれたことを思い出して、綾時はちょっと考え込んだ。
「あーあ、疲れたな。 ちっと休むべ。 ・・・ほいこれリョージの分」
「あ、どうもね~」
「・・・あーうめー。 ・・・ったく、なんのタメなんだかね、試験試験て。
リョージよぉ、オマエなんか将来なりたいもんあんの?」
「将来? うーん、特に無いけど」
「ホストとかどーよ? 結構ありがち?」
(過去すら知らないのに、将来ねぇ。
過去の僕は・・・なにか、なりたいものってあったのかな・・・。)
最近ではもう、記憶を取り戻す努力もしなくなった。現在は、それなりに楽しい新しい生活が始まっている。後ろを振り返ってもしかたがない。(それに、記憶喪失なんて、もう一度記憶を失った時と同じ目にあうか、頭でも打たないと治らないらしいし )と、TVドラマで学んだ綾時は結論していた。
「ふぁー。 ・・・・・・もうすぐ0時か。 シャワー浴びて寝よ」
15分後、綾時の部屋の明かりが消えた。夜空のもうすぐ満月になる月が、彼のマンションを照らしていた。
(・・・・・・・・・・・・。)
デ・・・ス・・・
(う・・・ん、・・・)
デ・・・ス・・・
(だれ・・・ ・・・?)
・・・ス・・・
(?...くる、しい... )
・・・ス・・・ デ・・・ス・・・
(やめ・・・・・・)
「・・・・・・ッ ・・・・はあ、あ、あうっ・・・な、なに・・・!? 」
突然襲った胸の痛みに、綾時の身体が跳ねた。それは仰向けでは到底耐えられないほどの衝撃で、すぐさまブランケットの中で四つん這いになって胸を抱え込んだ。
「なんだ・・・ ・・・ハァ、こ、これ・・・痛ぅ・・・ あうっ」
部屋の中は、薄気味の悪い緑色の、汚泥のような光がカーテンを透かして射しこんでいた。
その事に気付く余裕も無い。綾時の胸を襲うそれは、まるで何かに胸を食い破られ血管も筋肉も引きちぎられていくかのような、恐ろしい激痛だった。彼は身体をあらんかぎりに捩って、苦悶と戦おうと必死に力を込めた。
「・・・・・・いっ・・・いたた・・・・・・こ、これはし、死ぬかも、・・・ハァッ ・・・ハァ・・・ッ」
全身が痙攣する。目が飛び出さんばかりに開き、息を止め、綾時は胸を押さえ震えながらかきむしった。心臓の辺りから拡がり続ける痛みは指先にまで及んだ。頭はただこの痛みが過ぎ去ることのみを願い続け、もだえ苦しむままどの位の時間がたっただろう。
「 ・・・ッ ・・・・・・?」
永遠かと思われたそれは、唐突に止んだ。
部屋は、元の暗さに戻っていた。
「うっ・・・ ・・・ごほっ、」
引いていく痛みに、極限まで引き伸ばされていた緊張の糸がきれ、綾時は枕に突っ伏した。
「ちーっす」
「・・・あ、お帰り」
12月1日、いよいよ一年の師走が到来した。
大事をとって二日目の欠席をした彰の部屋に、夜、順平がレジ袋を提げてやって来た。
「マジでこんだけでいいのか? 少なすぎね?」
「うん。 あんま食欲ないし」
正直に”トイレの大が怖い”だなんて、誰にも言えるはずが無い。
買ってきてもらったゼリー状の総合栄養食を受け取り、ちゅるちゅると啜る彰に、そーいや、と順平が言う。
「リョージの奴も、急に体の調子を崩したとかで今日はガッコ来なかったなー」
「え、・・・風邪か、なんか?」
彰がハッとして聞き返した。
「それか試験勉強のしすぎか・・・? ハハッそれはねえか」
「・・・ありえん。 サボってどっかで口説いてんだろどうせ」
妙に力のこもった否定の言葉に、順平はにんまりする。
「ハハッ 言うよーになったじゃんよアキラ。 最近、めっさクラかったかんなー」
「悪い・・・心配かけて。 たぶん立ち直った」
「そーでないとな。 オマエ、ちっとリョージに爪の垢もらった方がいいんじゃね?」
「いらない。 ・・・俺が穢れる」
彰の落ち込みが、女にフラレたものだと勘違いしている順平は、それを聞いて笑い転げた。
「”ケガレる”って・・・ ギャハハ」
一方、彰は不吉な予感に戦々恐々となってゆく自分の心を、否定しようとしていた。
黄泉路の糸が視えない綾時。最初にそれを確認したのは一週間前のポートアイランド駅だ。 昨日訪ねてきた彼の一向に死ぬ気配の無さに、内心、彰は漠然とした期待すら持ち始めていたのだった。
ひょっとして、彼は何かの“例外”ではないのか・・・と。
それが、今日になって綾時が体調を崩した。 ・・・油断を切り裂いて、胸を破裂させそうな暗雲が立ち込めてくる。
「順平・・・」
「ひーひー ・・・あん?」 笑いすぎて涙がちょちょぎれていた順平は、彰の硬い声に驚いて顔を上げた。彼の表情の蒼白さに、怪訝な顔つきになる。
「・・・お前、綾時ん家の場所、知ってる?」 ゆらゆら揺らめきながら自分から伸び、綾時に続いているはずの魂の緒。彰はそれを不安げにみつめていた。距離がわからない状態でこれを辿って歩くには、体調が悪すぎる。
「なんだ? オマエ知らなかったの? ちっとまて、・・・ケータイにメモったはず」
順平が、「あいつ確か四日前に引っ越したんだぜ」と言いながら、自室で充電中だった携帯を取って戻ってきた。
「転送すっから。 アキラなら教えてもヘーキだろ」
「ああ、頼む・・・」
(明日、もし綾時が、学校に来なかったら―――。)
彰はその日、不安に苛まれる一夜を過ごした。
12月2日水曜日の正午。
「ここか・・・」
見上げたそこには、瀟洒な造りの小さな6階建てマンションが建っていた。
携帯をもう一度確認し、集合ポストで【望月】のプレートを追認した後、彰は奥のホールからエレベーターで最上階へと向かった。
体調はまだ万全とは言えなかった。他人様には言えない場所に異物感が残っていて、歩く、座る、立つ、どのような動作においても、それを意識せざるを得ない。
しかし、学校から順平の、「今日もリョージは休みだじぇー」というメールが入った直後、身体の全てを無視して身支度をした。
“嫌な予感”がまたしても当たるのでは。―――
いたたまれない思いで一夜を過ごし、今日、焦燥にかられながらたどり着いたドアの前。
初めて他人の家を訪れる時に感じるような緊張はなく、ただ無事を確かめたい、その想いだけが、即座に彰にチャイムを鳴らさせた。
(頼む、どうか、)
一度目は無反応、二度目も無反応。
寝てるのか倒れてるのかどっちなんだと叫びだしそうになりながら鳴らした三度目の連打で、ようやくインターホンから微かな音が聴こえた。
「...はい」
(生きてた。)全身から力の抜ける程の安堵に包まれ、目眩すら襲った。後ろに倒れそうになって、あわや持ちこたえ、彰はスピーカーに顔を寄せた。
「俺・・・ 北川だけど、・・・大丈夫?」
「え... ...ちょっと...まってて...」
綾時の声がした。 明らかに具合の悪そうな声だ。
(寝てたんだろうか・・・。来ない方がよかったかもしれない。
・・・電話でも済んだはずなのに、・・・。)
無事、と分かって余裕の生まれた今だからこその後悔に、彰が迷いを感じはじめた時、内カギを開ける音がして、ドアが開いた。
「あ? ・・・ああ、綾時か」
「いらっしゃい・・・」
一瞬、彰が(・・・誰?) と思ったほど、普段の見かけとは別人のように違う彼が、玄関の上がりかまちに立っていた。
バスローブをはおり、生乾きの髪が前に降ろされた姿は、明らかに風呂あがりといった様子だ。が、だるそうに身体を傾げている。心なしか目の下に隈の浮いた顔色も悪い。
「ごめん、おまたせ。 ・・・シャワー上がったところだったんだ。
・・・昨日、浴びられなかったから・・・気持ち悪くて」 タオルで頭を乾かしながら待たせた詫びをした。
「そうか・・・。無事ならいいんだ。 じゃ、」
とりあえず安心した。あとは邪魔せず休ませよう。 ・・・そう思って、きびすを返そうと彰が片手を上げた。
「まった。
ここまで来といてナンでしょ。寒いから、コーヒーでも淹れるよ。
さあ入って。 ・・・ほら、開けっ放しじゃ、僕が風邪を引く」
迷う彰に微かに苛立ちの気色を見せた綾時は、袖を掴むと、部屋へと引き入れた。
結構広いな、と彰は思った。そこはワンルームらしい一室で、寮の自分の部屋の4倍以上の面積はあるだろうか。大きな窓の外には、もやに霞むムーンライトブリッジの眺望があり、米粒ほどの車の往来だけが、風景の中で動いている。
天井まで一面に収納があり、テレビやデスクも埋め込み式になっている。下にあるのは細長いリビングテーブルだけ。フローリングの床が、足の下で暖かい。
(順平に教えてやるか・・・”ちゃぶ台はなかった”って) 賭けは俺の勝ちだな、と彰はほくそ笑んだ。
(にしても、本当にバスローブなんて着てるヤツ、実在するんだな・・・。すげー・・・。)
壁から引き出したベッドをソファー代わりに座り、彰が好き勝手に色々考えていた間に、テーブルにコーヒーを出していた綾時が、彼の隣に腰を下ろした。
「引っ越したって聞いたけど。 ・・・まだなにも無いんだ?」 添えられたミルクをたっぷり入れて、かき回しながら彰が感想を述べた。
「うん。 もともと自分の荷物って無いに等しいから、
家具とか殆ど、ビルドインの部屋にしたんだ。
・・・今日は、どうしたの? ひょっとして、心配してくれたとか?」
「心配というか、・・・そうだな、たぶん」 突っ込まれては困るので、曖昧にならざるを得なかったが、言われてみればそうかもしれない。彰はうなずいた。
背を丸めてカップを両手で包んだ綾時が、口元だけで弱々しく笑った。
「残念・・・だな。 せっかく彰が来てくれたのに・・・」
僕としたことが・・・
・・・襲う元気もないなんて・・・」
一瞬で部屋が寒い空気に包まれ、時間がカキーンと凍結した。
この状態は水商売用語で、俗に「天使が通った」と言い表される。
ジョジョで言うところの”ザ・ワールド”に近い。
「・・・・・・・・・それは好都合。ところで、どこが具合悪いの?」 止まっていた時が動きだし、彰が尋ねた。
綾時はカップを置き、苦しげな表情をつくり、胸を押さえた。
「二晩続けて・・・いきなりココがすごく痛くなって。
僕、もう・・・・・・死んじゃうのかな・・・」 蚊の鳴くような声でそうつぶやき、突然、泣きそうな眼になり、後ろに倒れて両手で顔を覆う。
「やめろ! 死ぬとか言うのは・・・許さない。 お前が教えたんだ。・・・違うか」
叱咤口調で言ってしまってから、ナーバスになり過ぎている自分を意識した。しかし、綾時に限っては本当に死期が視えないので、冗談でも言ってほしくはなかった。
しばらく顔を隠したまま黙って仰向いていた綾時が、眉根を寄せて横向きに身体を折り曲げた。胸を押さえ、苦しげな表情になり、「い、いたた・・・」悲痛な声を出した。
「綾時!? ・・・・・・医者・・・医者、救急車呼ばないと・・・」 慌てて立ち上がった彰が、携帯を取り出し、操作し始める。
「まってアキラ・・・ 人生最期に、見る顔が、ジジイの医者なんて、イヤだ。
・・・・・・できれば若くて美人の女医さんにして・・・ ナースさんでもいいけど・・・」
「お前・・・この期に及んで、・・・すごいやつ」 呆れのあまり手が止まった。
「来て・・・。そばに、彰・・・僕の手を握ってて。
休んでた間・・・ずっと不安だったんだ。
僕、本当に死んじゃうかも・・・。一人でいるのが怖いよ・・・」
涙を浮かべた哀訴に、一抹の不安を覚えた彰が、差し伸べられた綾時の手を握った。その時だった。
「のわっ!?」 体重をかけてグンと引っ張られ、綾時の上に思いっきりバッタリと這いつくばる格好になった。待ってましたとばかりにがっきと下半身を脚に挟まれ、身動きがとれない。
「や、やっぱり・・・・・・。絶対そうだと思った・・・」 悔しさに下唇を噛んで彰はわなわなと震えた。
「あ、察してた? ・・・僕を意識しちゃうなんて。かわいいなー」
「うるさいっ ・・・放せ!」
病気のクセにどこにそんな力があるのか、幾ら暴れても綾時はニンマリ笑い眼のまましっかと脚を絡め、胸の上の彰の顎をからかってくすぐりだす。
「一昨日から誰ともヤってないし、これはもう、神様からのデリヘルって感じ?」
「待て、いまお前いいこと言った。デリヘル呼んでやる。そして俺は帰らせろ」
「僕はセックスにお金は払わない主義なんだ。・・・覚えといて」 凄みを効かせて綾時が見つめた。
「真顔で言うな真顔で!」
しかし綾時は、ふと、本当に真顔になった。
「今晩にでも、本当に死んじゃったら・・・。どうしよう、僕・・・」
「お前、ほんとに病気なんだろうな・・・?」
「・・・胸が痛いのは、誓って真実だよ」
「天罰だな、間違いなく。長鳴神社の霊験だ」 賽銭箱に毎回千円以上は突っ込んでいる彰が大きくうなずいた。
「人一人の命を救ったこの僕が、天罰だなんて・・・
そうか・・・。
彰が、実は悪魔か堕天使か犯罪者なんだよ。
余計なことした僕に、神様が怒ったんだ。・・・きっと」
こいつ脳でもワいてんのかとボーゼンとしている間に、綾時の手が素早く彰の両脇の下をくぐり、絡めたままの脚も使って、勢いをつけて自分の上に引き上げた。「よいしょっと、」「うわっ何す・・・っ!」
「・・・・・・悪者には罰をあたえないとさ。・・・そうでしょ?」 間近く彰を見つめる半眼の薄い瞳が妖しい光を帯びてきた。
「一人で話作るな・・・」 その手にのるかと身構えた。三十六計逃げるにしかずだ。
その途端、綾時の脚が緩んだ気がした。すかさず彰がベッドに手をつき、後ろを向いて逃げようとしたところを、綾時は即座に足払いし、再び自分の上に倒れこませた。「わっ... 」羽交い絞めのような形で同じ天井を向いて重なった。彰の両脚の外からバスローブを割った自分の裸の肢を絡め、しっかと抱えて前で手を組み、もがく彼の後ろから、綾時は吐息交じりの甘え声で耳元に囁く。
「ねえ、彰。 ・・・アソコ、・・・まだ治ってないよね?」
「な、治ってない! ムリだ、絶対ムリ! わ、わかってるだろ!?」
(こいつは、悪魔だ!)と、この時、彰は確信した。彼の腰の下で昂ぶりつつある綾時の硬さをまざまざと感じたからだった。
「フゥ・・・ わかった。 ・・・先っちょだけでもとか絶対言わない。・・・僕を信じようよ」
無念やるかたない、と溜息を一つ吐いて、綾時はそのまま彰の耳朶に吸い付き、顎を引いて望みどおりに向かせると、舌先で全体を舐り始めた。
「ひゃっ・・・ぁ・・・ッ、」 その痒いような気持ちいいようなくすぐったさのトリプルアタックに思わず彰が首を竦めて縮こまってしまった隙に、前で組まれていた白い手が解かれ、いつの間に右はボトムのホックとファスナーを外して中へと忍び込み、左は素肌を押さえつけながらするすると彼のTシャツを捲くりあげ、裸の胸を露出させた。「あっ いやぁっ!」背後の綾時の腰に手をついてなんとか離れようと試みるものの、彼が指を開いた手のひらで乳首をさわさわと擦る感触に痺れを覚えて腰がひくつき、自分から綾時の手の内に転がり込む破目になった。
「あれ、ちょっぴりおっきくなってる・・・乳首もココも。 ・・・フフ」 綾時が笑みを含んだ息を耳に吹き込む。小さな突起を指先で愛でる様に転がし、もう一方で彰の主張を助けるように根元まで鞘を引き下ろし、輪を作った親指で段差を弄り始めた。
「あうッ・・・ ・・・もぅいやぁ・・・っ、・・・なんれそんな、・・・っ的確、・・・なんだよぉ!」
他人の指の蠢きにさえ、ひくん、ひくん、と間断なく、好き勝手に自分を揺らす腰の疼きに、腹立たしさと切なさとヤケクソが綯い交ぜになった。堅く眼をつぶり眉を寄せ、彰は綾時の上で躯を捩り、熱くなりゆく自分と彼との温度差を、なくすのだといわんばかりに髪を背を擦りつけた。
「・・・僕が気持ちイイところ、なんだよね実は。 ・・・他の男なんて、君以外知らないし・・・?」
彰を嬲っているとなんだか自慰でもしてるみたい。そんなことを頭の隅で思いつつ、彼の素直な反応で、高まりゆく自分をせめてもと、肢を封じ絡め接する躯に、小刻みに圧しつけて慰めた。
「んぃっ ・・・はぅ、・・・ぁんっ、・・・んっ、ふ・・・」 甘い旋律を洩らして悶える腕の中の彼に、眼を細めながらの綾時の指は、更なる音階を求めて彰を奏でるのをやめない。「・・・もっと、聴きたくなっちゃうよ・・・彰。そんなに、・・・僕に虐めてほしいの・・・」 すっかり濡れそぼった彼の耳朶を甘噛みし怖ろしい囁きを染みとおらせる。それすらにもぴくぴくと活き良くもがく手の内の小鳥を、残酷に絞め駆り立てたくなる気持ちに抗えなくなりそうだった。
「・・・どっちがいい? 中と外」
なか、とは何だ・・・。享楽の小波に揉まれながらも朦朧と受け止めた彰が、急に訳の分からない不安に駆られて叫んだ。「外に、外に出して・・・っ!」 まだ傷ついたままの後ろが怯えて疼き、震えた。「な、なかはだめ・・・」
「・・・ふふ。 そういう意味じゃないのに」
フィニッシュは口か指かの選択肢を与えたつもりが、興奮を誘う不自然な反応を贈られて、綾時はその小さな罪のお返しに、胸でたゆたっていた指を彼の頬に移し、やや反らせて湿った首筋を啄ばみながら舐め上げた。「・・・ひぁっ」そのまま彰を味わいつつ顎に舌を這わせまつらわせて形を心ゆくまで愉しんだ後、小さく喘ぎを続けている唇へとたどり、高まりの予感と共に重ねた。
「んふっ・・・・・・」
すでに待つように薄く開いた歯列を己の舌でさらに誘い開き、奥深くに隠れていた彰の温かな濡れ蠢きに餓えるように挑みかかり、吸い上げ引き込んで、肉隗の息衝きを感じながら、綾時は自分と彼との小さな咬合を、性交の代わりに置き換えて、激しく求め始めた。
「・・・んぅ、・・・っん」 綾時の手中の虜はもはや熱く熔け散りそうで、唇から引きずり出された部分は口角を変えるたびに潤みが溢れ、その怖れを知らない無尽の動きは、考えもしない方向へ彰を揺らし、引き戻した。優しくも限界まで伸ばされ、残酷にも限界まで覆われ、何一つ隠し立ての出来ない相手ある性行為が、躯の門を開封し、歯止めの効かない現実へ彼の手をとり誘い出していく。
「いっ、イ・・・もぅ、もぅイかせてっ・・・あっう、お願い、綾時っ」
キツく握り締めた指の中で極限まではちきれ、許しを乞い終焉を訴える彰を、綾時は無言で抱きすくめ、頬を押し当て、惜しみつつ、彼の解放を待つ全てに・・・終わりを与えた。
「あああぁ・・・・・・ ・・・また、やっち、まった・・・」
半ケツのまま、ベッドの上で頭を抱える彰に、綾時がしどけなく乱れた着衣の前を指した。
「・・・さて、どうしよっかな、僕のコレ。 人生最期の元気かも・・・」
「・・・くぅ・・・。
・・・い、痛いこと、しない・・・なら・・・」
「ふふ。 僕は上でも下でもいいよ・・・? 彰の・・・おクチならね」
「・・・ご感想は?」
「ゲロマズ・・・」 キッチンへとよろめきつつ駆け込む彰に、綾時が肩をすくめた。
「そりゃ三ツ星級とは言わないけどさ。
・・・もうちょっと、色気のあるコト言ってほしいなぁ」
そして、寂しく眼を伏せ、流しに顔を突っ込んでいる彰には聞こえぬように、そっと独りごちた。
「未練なのかな・・・これ・・・」
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