Persona3小説 11. 死神の恩寵 ★◆ 忍者ブログ

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11. 死神の恩寵 ★◆



港区夜景の底にある一室で、青い目が刻み続ける時計の針を見つめていた。

この数日胸を締めつけていた陰惨な痛みは、彰が彼と共にいた間だけは和らぎ、再び彼を
(たがね)のように(さいな)み始めていた。

彼は、部屋で独り、深夜を待っている。
これから戦わねばならないはずの、命の火を消されるような苦痛。その渦中、彼にはひとつだけ分かった事があった。

死にたくない。
...生きていたい。

誰かが、自分を産んだ筈だ。
誰かは、自分を望んでくれる筈だ。
誰かを、自分は望む筈だ。

彼はずっと、それを、探し続けてきた。
“女性”の、中に。 ...それが、この世の“定め”のはずだったから。
最後に気付いた自分の中の“未練”。
それが、彼に、希望の見えない未来を告げるまでは―――


いつまで経っても襲ってこない痛みに、却って不安になった。
時計の針が、0時を指したまま、進んでいないような気がする。

窓へ眼を移すと、 いつのまにか外の色がおかしい。

しかし、それを眺めているうちに...
...締め付けられる胸や、無意識の怯えすらも落ち着いてくるようだった。

夜景の奥には、いつもならば、深夜でも車のライトが行きかう事でそれと分かる、ムーンライトブリッジがあった。しかし、いまは一幅の古びた絵画に封じられたように、そこには何の光点の動きもなかった。
彼は立ち上がり、着替えた。そして部屋を―――後にした。


空も地面もおかしな色になって、人の姿が消えている。

橋の中央で、彼は、自分を差し招く夜天の満月を仰ぎ見た。
ただ一つの帰るべき場所であるように、月は煌々と輪郭を融かし、そこに在った。
昇るためのきざはしが無いのが、不思議なくらいだった。



「...探しました 」

彼は、背後を振り向いた。
そこには、―――碧く耀く、ふたつの光点の持ち主が、彼を射抜くように見つめ、立っていた。

「...ようやく分かったんです。

初めて見た時からずっと感じていた、
...この気持ちの正体 」

彼女は、彼にとってはお馴染みの、敵意を湛えたその美しい瞳を 彼から離さぬまま、首を横に振った。

「あなたはダメ...

あなたは―――“ 敵 ”」

「僕が... “敵 ”...?


...そ...

―――私は、最後の一体...なのに、貴方を倒す力が、ない...

...そうだ...
―――だから、だからいまは...全てを賭けて封じる...!
今夜と同じ満月の...

―――あの子の...心の奥...あの暗闇の中...に...

ずっと前にも...こんな... 

僕は......誰だ?
君は......?」

血塗れた地面が、硬さを失う。足もとが崩れてゆく。自分の存在が、崩れ―――

「わたしはアイギス。
対シャドウ非常時制圧兵装のラストナンバー。
...シャドウを倒す為に生まれてきた機械 」

「......倒す...ため...」 紅く、黒い、波が。

「そして...
あなたの本当の名は“ デス ”...
10年前、私が封印した、シャドウ! 」

―――ふたつの氷片のきらめきが向けた敵意には、彼に対してではない、贖罪の色が混じっていた。

「貴方は強く、私は捨て身で封印するしかなかった。
...あの場にいた、人間の少年に 」

碧い光の円らが彼の眼にも宿る。生まれ変わるたびに失った、記憶の欠片が繋ぎあわされてゆく。

「そう...10年前だ... 
この世界にうまれてすぐに、僕はこの橋に降り立った。

僕は、生まれるはずのない、姿無き13番目の属性を持つ者...
...みんな、僕を” デス ”って呼んでた...

でも、生まれたとき、僕の力の一部は砕けてちって、きわめて不完全な状態だった...
そうだ、僕はずっと、アキラの中にいたんだ...!

最初の“ 試練 ”に手を貸した...
新たな存在に、生まれ変わって失った記憶...
そのせいで...
それこそが、“ 終わり ”の引き金とも知らず...

...12の力に引き寄せられるようにって...
僕が、彼を追いやった...

...そして...
...そし...て... 」

心が、血を流しながら悲鳴を上げた。
胸を縛り苦しめる二条の鎖が、彼をあざ笑う。
それは残酷にも気付かせた。
望みの無い未来、そして、自分が犯した―――罪を。


「そうか... 初めて わかったよ...  

自分が誰で  ...何をする者か...
そして... 何を、した者かを!」

君に、受け入れてはもらえない...存在。
それが、僕だったんだ。






...アキラ...


「     ん... 」

暗闇の中で、誰かに自分の名を呼ばれた気がした。
助けを叫ぶような、許しを請うような、悲しい声だった。

意識が目覚めの段階を急速に駆け上がった直後に、部屋のドアが激しく叩かれた。

「...おきて、北川君、起きてッ
アイギスの居場所が、わかったのッ! 」


それから起こった出来事は、青天の霹靂をもたらした。

俺たちが駆けつけたムーンライトブリッジ。
その中央のアスファルトに崩れるように座り込んでいたアイギスは、手を差し伸べた。
流せない涙の代わりみたいに俺の手を強く握りしめ、

「貴方を...守れなくて...ごめん...なさい... 」

それだけを言い残し、機械の両眼は光を失った。

綾時が、その先に、悄然と佇んでいた。
背後から影時間の月光が彼を包んでいた。

「信じられない...こんな事って... 」

彼は手で顔を覆い、震えながら叫んだ。

「彰に特別なペルソナ能力が目覚め、
それと同時に12のシャドウが目覚めた...
それは...彰の中の僕と1つになる為だったんだ 」

綾時が、上位のシャドウで、“デス”という“滅び ”の宣告者?
そして、俺の中に居た、ファルロス...だって?

目の前で起こっていることが現実とは思えない。
不可解さの海に溺れそうになりながら、何をも言えず、俺はただ、彼を見つめていた。

“タナトス”を
(そな)えた俺やイゴールやエリザベスと同じく、彼に黄泉路の糸が無い理由――――それは...彼が、人間では無かったからだと言うのか。
全部...目の前の綾時に繋がっていたというのか。 ...10年前からの俺は...
空白になりかけた頭に、彼の声だけが響く。

「シャドウたちの目的...
それは“母なるもの”の復活なんだ。

“死の宣告者”...

その存在に引き寄せられて、
“母なるもの”の目覚めは始まる...

全て...僕が原因なんだ。
ごめんよ...
それに...君たちには、まだ...

大事な...事を...伝え... 」

言葉の途中で、胸に指を立て苦しみだし、綾時は意識を失った。
月光がつくる、彼の頬に落ちる窶れの濃い影が、まるで、血の涙のように視えた。


「......リョージが“死の宣告者”で、オマエの中に入ってただと...?
んなバカな事ってあんのかよ... 」

昼休みの教室で、黙りこくって下を向いていた順平が、信じられない、と、昨夜から繰り返す同じ言葉を、吐き出した。

「...... 」

俺には、何も、答えられなかった。 
二つの空席が、暗い影を胸に落とす。昨夜から、唇が貼り合わされた様に、言葉が出ない。

一夜が明けて、考えに考えた末、綾時に訊きたい事は山ほど俺の中に存在していた。
昨夜の彼は、ファルロスであった頃のようではなく、俺たちに真実を伝える意思があるようだった。いまの彼なら、俺の疑問に待ち望んだ回答をくれるかもしれない。願いを、きいてくれるかも知れない。

どうして、俺に“タナトス”を残したのか、教えて欲しい。
ファルロスが、悪意でこんな事をしたとは、やはり...信じられない。

あの哀しげな姿、何も言えず苦しんでいた眼。
俺にはとうとう、わかってやれなかった何かに、彼は怯えていた。

そして... どうして両親が死んだのか、知りたかった。

交通事故ということになっている、二人の死因。
でも、ずっと俺は、それを心のうちで否定していた。
そんな大事故で、子供だった俺が無傷でいられる訳が無い。

彼は、...あの場に居た筈だ。
両親が死んだ時に、取り残された俺に、アイギスが、彼を封じたのだから。
俺は、知らなくてはならない。 ...真実を。

「北川、伊織。 ...彼が、目覚めた。 夜になったら、4階の部屋に集合してくれ 」

美鶴からそれを告げられたとき、漠として不明だった前途の、視界が、やっと開けるのだ、と...俺は思っていた。

床の一点を見つめ続けている順平が、「...チクショウ、リョージのやつ 」 と呻いた。
親友が、突然なにか別の者に変わってしまう...その苦しみ。

俺は...彼のうな垂れた姿に、ファルロスを失った当時の、俺の姿を重ねていた。

なぜ、ファルロスは、綾時として出現したんだろう。
(そうだ...)
タルタロスの鐘の鳴った夜、死んだ理事長が言っていた。
 


間も無く甦る...“滅び”を呼ぶ者
“デス”と呼ばれた究極の存在がね。

絶望に満ちたこの世界に
”全ての終わり”が来るのさ...
全ての死...
しかしそれは、全ての始まりでもある...

人は世界を満たし尽くし、
まっ平らな虚無の王国にしてしまった!

もはや”滅び”によってしか救われない。

預言書に曰く...
“滅び”は“皇子”の手により導かれる。

そして“皇子”は、全てに救いを与え、
“皇”となって新世界に君臨する!


あの時は、狂信者の戯言かと思っていたが...やっぱり狂信者だ。

全てが死んだら、何が始まりになるというのか。 0からは何も生まれない。
全てが死ぬなら、”皇子”とやらも死ぬはずだ。矛盾している。

けれど...綾時の頭がおかしいのでなければ、“デス”の部分は本当だ、ということになる。
理事長は、倒すと見せかけて、12のシャドウを呼び寄せようとしてた。

しかし、12のシャドウを集めても、俺の中に綾時...”デス”がいなければ、それは無意味に終わったはずだ。

俺は...親戚の家から、寮に追い払われたとばかり思っていたが、違ったのだろうか。理事長が仕組んだことなのだろうか。
分からない。訊こうにもヤツは美鶴の父親を道連れに、彼岸へいってしまった。

綾時は、それを“運命のイタズラ”だと言っていた。
彼にも分かっていないのかもしれない。

ファルロスが言っていた、10年前に始まり、多くの人に望まれ、やがて来る”終わり”。

それが、“滅び”か。
確かめなければ...



「綾時くん... 大丈夫なの? 」 山岸が、心配そうな面持ちで尋ねた。

「ありがとう...僕なら大丈夫だ 」 彼が微笑を返す。

その口調は、低く、穏やかだが何かを決心している...そんな印象だった。
しかしその顔色は、とても大丈夫にはみえなかった。

(昨日の夜に別れた時の綾時とは、別人...なんだ )

正しくは、昨日の彼は、いまの彼の一部でしかない。それが...俺に、複雑な心境をもたらした。
自分に深く関わったデス・ファルロス・望月綾時。それぞれが、いま全てひとつになりました、といきなり言われても、一体どうしたらいいのだろう。

俺だけでなく、恐らく皆が皆、それぞれの心の奥に怯えと沈鬱を抱えていた。場を、重苦しい空気が支配している。
...彼は、俺を一度も見ようとしない。



綾時は静かに語り始めた。

ニュクスのもたらす、人の手では防げぬ”滅び”と自らの”役割”について。
自分の出現こそが、滅びの確定であると。

理事長の言っていた、“滅び”
全ての人間がシャドウに精神を食われ、生活を失くし、死に絶える。
まさしく、この世の終わり...

回避方法は? と訊かれて、綾時は眼を伏せ、うつむいた。

「な...なによ...まさか、防げないとか言わないよね...? 」 ゆかりが思わず立ち上がった。

「...済まない 」 綾時が、搾りだすように言った。

それは本当に心の底から詫びている声音だった。
俺は、嫌な汗をかきながら、これからすべき事を頭で整理しはじめた。

「待ってよ! なに謝ってんの!? そんな...確定って事!? 」

彼は、膝に置いた手を握りしめた。

「そうさ...鐘が鳴ったのを聴いたろ...あの時、すべては決したんだ。

僕は宣告者...
死を宣告する者。

僕は...存在そのものが、滅びの確約なんだ。
恐らく...次の春は、もうやって来ない... 」

その場にいた俺以外の全員が、息をのんだ。

「それって...すぐじゃねえか!! 」 順平が椅子を蹴立てて身を乗り出した。

黙りこくっている全員の顔を見回して、一瞬ひるみ、次にわざと明るく声を出す。

「ヘ...ヘヘン。 み、みんな、何ビビっちゃってるワケ?
ニュクスだか何だか知んないけど、
そんなん...倒しちゃえばいいジャン!
今までだって、ずっと勝って来たジャンよ! 」

しかし、綾時は首を微かに横に振った。

「それは無理だ...
ニュクスの前では、力の大小なんて問題じゃない。

死なない命が無いように...
時の流れを止めてしまえないように...

ニュクスを消すなんて事は...決してできない 」

「そんな... 」 呆然と呟き、順平は顔を背けた。「アリかよ、そんなのッ!! 」

全員、動揺を隠せないようだ。
俯いていた綾時が顔を上げた。視線はテーブルに落としたままに。

「僕は、シャドウが集まって生まれた存在だ。

なのに人の姿をして、君たちとこうして話せたり、喜んだり悲しんだりも出来る。

これは、..僕が彼の中に居た事の恩恵だ 」

綾時が、初めて俺を見た。 

(君にはこの意味がわかっているはずだ ) というその眼差しは、しかし別の想いを俺にもたらした。

俺の中に居たことで、シャドウでありながら人の感情を得てしまった...それなら、きっと彼は苦しんでいるはずだ。ファルロスが苦しんでいたように、彼も。

「...おかげで僕は...君たちに選択肢をあげられる 」

「選択肢...? 」 ゆかりが呟いた。

綾時はうなずいた。

「ニュクスの訪れは...もう避けられない。
でも、その日までを苦しまずに過ごす事は...できる。

僕を...殺せばいい 」

そう静かに言い終えたとき、彼は、俺から視線を...離さなかった。

「僕が消えれば、影時間に関わる記憶は全て消える。
つまり君たちの記憶から、この救いの無い現実を消すことができる。
もう何も...決して思い出すことは無い。

滅びの訪れは一瞬のものだ...何も知らずに迎えるなら、苦しまずに済む。
本来、僕の性質はニュクスと同じ。 だから殺すなんて出来ない。

でも彰のおかげで...今の僕には、僅かだけ人の性質があるんだ。
彼の手でなら、たぶん出来る 」

皆が一斉に俺を見た。 ...思わず、という感じで。

「もし僕を殺さなければ...全てが今のままだ。
避けられない間近な死を怯えて待つだけの、救いの無い日常が、ただ続いていく...
でも僕は...君たちをそんな目に遭わせたくない 」

静まり返った部屋を見わたし、綾時は立ち上がった。

「すぐに決めなくてもいい。 少しだけど...まだ時間はあるから。
12月31日...今年の大晦日。
それまでに、考えておいて。
それを過ぎると、僕は影時間の闇に溶けて、もう君たちの触れられない存在になる 」

「リョージ...? 」 意味を図りかねた順平が、彼の顔を見た。

「どうせ、僕は、ニュクスの訪れと共に役割を終えて消える存在だ...

僕の心配は要らない。
大晦日になったら...また来るから... 」

最後にそう言い残すと、彼は振り返ることもなく、部屋を出て行った。

「お、おい、待てよ、リョージ! 」 後を追いかけようとした順平を、山岸が止める。

「待ってっ! 今、気配がパッて消えたの。
追いかけても、綾時くん、多分もうここには... 」

「どう...したらいいの?
死に方選べ...なんて、言われたって! 」 ゆかりが呆然と呟いた。

「...ちょっと外に出てくる 」 そう皆に言って、俺はドアに向かった。

「待てよ、オレも行く! 」 俺の態度に何かを嗅ぎつけた順平が後を追ってくる。しかし、

「すまん、順平。 ...ここは俺だけで 」 辛かったが、そう言わねばならなかった。
「なんでだっつのッ! まてってばよッ! アキラッ! 」

順平の怒声を背に、部屋を飛び出した。

影時間が近い―――方角をみつめ、見当をつけて、俺は駅へ走った。







タルタロスの塔を前に、彰は嘆息した。

(思えば、いままでここに何度足を運んだだろう。
訓練のため...ペルソナのため...タナトスのために。
何もかもが無駄だった...
ここで費やした全てが無駄だったのか... )

彼はファサードの扉を開き、一階ホールに足を踏み入れた。
いったい誰が掃除をしているのか磨きぬかれた表面に、
鏡像を映す石造りの床に、靴音が響く。

目的の相手の姿は、探すまでも無い場所にあった。
階段が行き止まる荘厳な大扉の前に、綾時は立っていた。

彼は扉を見上げていた顔を、ふと下ろして呟いた。

「そうか。 ...君には、視えているんだったね 」

「綾時...いや、ファル、ロス...? 」

彰の呼びかけに薄く笑んで振り返り、ゆっくりと階段を降り始める。

「僕が君にとってどっちなのか、決めかねているの? 」

下までつくと段に腰をかけた綾時は、突っ立ったまま一心に食い入るように彼を見つめる彰に、隣に座るよう指さした。

「本当に、ファルロスなんだ... 」

膝を抱え、彰は、綾時に統合されたファルロスを探すかのように、懐かしみをかみ締めながら、彼を見続けていた。
訊きたいこと、言いたい事の数々が、胸につかえて出てこない。
彼にとってあの小さな友人は、やはり、特別の存在だった。

「...あの頃は、楽しかったね。 二人きりで、色々話した。
...僕は、あれが、永遠に続けばいいと思っていた... 」 綾時は伏目がちに微笑んだ。

「彰を絶対にわすれない。 ...そう誓ったのに、
僕は、やっぱり忘れてしまった。

...事故のせいなんかじゃない。
生まれ変われば、記憶を失くす。
―――初めから...そういう定めだったんだ 」

「綾時... 」 綾時に手をとられ、頬に押し当てられた彰の胸に、ファルロスの思い出が去来した。

デスで、ファルロスで、綾時。―――その彼は、そっと手を離すと、両手を段におろし、エントランスホールの高い天井の一角をみつめた。

「...みんなには、ああ言ったけど、
...本当は、早ければ早い方がいい。
残り少ない生の時間を、一ヶ月も、
恐怖のために浪費することは...無い 」

「そんな事、言われても、俺には... 」
先ほど突きつけられた、二者択一。まだ実感がわかないそれに、彰が惑いの表情を浮かべる。

「いま、手を下してくれさえしたら、全てが明日から一新される 」

「...出来るわけない、殺すなんて! 」
冗談じゃない。気色ばんだ彰に、彼は冷徹な視線を向けた。

「...君には、僕を殺すに足る、充分な理由があるんだ。 
それを、今から教えよう 」

「?... 」

「不思議に思わなかったの?
なぜ、自分の黄泉路の糸が視えないのか 」

「それは...“タナトス”が、いるから...だろ? 」

彰が眼をみはった。それが当然だと思っていた。
現に自分は生きているし、自身の事は、視えないだけだ...と。

「そのとおり。 ...だけど、わかっていないね。

いまの君は、“不滅”だ。 ...死なないんだよ。
死なないということは、”生きていない”ということだ。
だから、終焉の糸が視えない 」


「な...んだって... 」 俺が、死なない...だって?

「あの別れの朝、僕は...
君を自分と同じ属性を持つ存在にしたんだ。

世界が滅びても、君だけは助かるからさ。
...子供らしい、発想だろ? 」


「同じ...存在?... 」 呆然とする彰。


「...死神、だよ。

君を避けられない滅びから救おうと、
無い知恵しぼった幼稚な考えが、
人にとって、この上ない地獄に突き落とすことになった...

済まない...で、許されるとは、思っていない 」

(俺が...死神? )


「今は君にも分かっているはずだ。“タナトス”であることが、何を意味するのか。

人々が滅ぶ瞬間をその眼で視、全ての生命が死に絶えた後も、
君ひとりが死ぬことも出来ず...

飢えの無い肉体と...人の精神のままで、
...永劫の孤独の闇に置かれる 」

愕然と眼を見開く。
自分を死ぬほど追い詰めた、あの光景。この眼の力。
それら全てが、彰の脳裏を回り、擦れた悲鳴が唇から洩れた。

「...うそ...だ... 」
彰は耳をふさいできつく眼をつぶった。もう綾時の何をも聞きたく無い。

「嘘じゃない。
...せめて僕に、ファルロスがした事を、償わせて欲しい 」

綾時は、彰の髪にかかる指を引き剥がしながら、耳元に顔を寄せた。

「聞くんだ。
君にはみんなの手前、二つの選択肢を与えた。
...実は僕にも二つある。

このまま君を不死不滅の存在のまま滅びの後の世に置き去るか、...殺されることによって、君をタナトスの呪縛から解放するか、だ。

僕が人として死ねば、君の苦しみも消える。
この意味―――わかるね? 」

「そん...な... 」

綾時は立ち上がり、彰へ向けて、断罪を待つように両手を広げた。

「僕を、タナトスの剣で屠ればいい。
...それだけで、君は救われる 」

「イヤだ! 何があっても、ファルロスを...綾時を...殺すなんて、俺にはできない、
...絶対に!! 」

彰の青ざめた頬が一転、紅潮し、涙が伝った。
身体は、綾時にすがり付いてでも訴えたかった。
動けなかったのは、
彼の姿の、刃以外は受け付けぬといった、優しい拒絶のためだった。

「...草木の一本も無い世界での、
“永遠の孤独”がどんなものか、...君は、想像すらできないの? 」

「...それでもいい。
何も悪くない綾時を、 ...殺すくらいなら... 」
顔を手で覆い、激しくかぶりを振った後、
表情の消えた面持ちで、ゆっくりと綾時を見上げた。「俺は... 」

いまは碧く光り始めた薄い色の双眸が、絶望に染め上がった彰を鋭く貫いた。

「所詮、僕は消える存在だ、と言ったろ。
...分からず屋だな。
これだけ言っても、駄目なら... 」

彰から視線を外して落とした。考え込み、しばらくの後、
再び綾時は、伏目がちに彼を見据えた。

「あっ... 」 制服のリボンタイに伸びた綾時の手が、片一方を乱暴に結び目から引きほどいた。
ブレザーの衿を掴んで手繰り寄せ、彼の豹変に表情を喪った、彰の顔を覗き込む。

「...そんなに“僕を憎む理由”が欲しいなら、望みどおりにしてあげるよ 」

タイをゆっくり引き抜きながらそう言うと、眼に怯えの色が浮かび始めた彰を後ろ手にねじりあげ、背後から彼の脚を蹴って床に跪かせた。

「い痛っ...なにすん...だ綾時っ 」

恐ろしい力で両腕を後ろから引っ張られ、
肩と腕の関節が、嫌なきしみの音を立てる。

無理やり交差させられた手首に、紐のようなもの...いましがた奪われたタイが巻きつけられ、食い込むのを感じ、全身が総毛立ち、汗が噴き出した。

「いま、君が...最も畏れていることさ。 ...手加減はしない 」

真上から、冥い囁きがした。

その言葉に弾かれて暴れだした彰の髪が掴まれた。
何本かを千切り抜かれ、引きずられ、床に顔を押し付けられた。

「うぁっ...」頬に硬い痛みが拡がる。

「くっ...綾時、は...ファルロスは、そんな奴じゃ...ない、 」

絶望に次ぐ絶望は、それでも彰に細い希望の糸を探らせた。

しかし後ろからズボンのベルトを引き上げられ、吊られ、腰を突き出す格好で冷たく堅い床に這わせられた時、恐怖に耐え切れず、彼は上擦りながら叫んだ。

「や、やめてくれ...ほんとに、痛いんだ、
...まだ痛いんだよッ!!
やめてっ!! 綾時ッ!! 」

「僕は”デス”だ。 ...彼より、非情な存在だ 」

凍えるように冷たい声が、彰の全身に浴びせられた。
これまで聞いたことも無い声、暗闇に攫われるようなその響き。
打ちのめされ、すくんだ彰の脇腹を掠め入り込んだ手が、容赦なく、彼のベルトを解いて前を開いた。

「やめて、綾...時、りょうじ...や...めて... 」

腰から腿までをいきなり冷えた空気に曝され、わななく唇から、愁訴が漏れた。
甦ったあの激痛への予感に、彰の周囲に暗いカーテンが下りた。身体と心を切り離してしまいたい、心身の乖離への切望が、そうさせた。

「...悔いているかい?
君に劣情を抱くような僕に、無用な情けをかけた、
...これは罰だ 」

優しさの欠片もなく尻に爪が立てられ、怖れに縮み上がった傷だらけのソコを、嘲笑うように指先で撫でられた。「 ...ッ 」 雫を含んだ彰の睫毛がきつく閉じられる。

綾時が彰の前に移動し、膝をつき、彼の襟首を髪ごと掴んで仰向かせた。
空いた片手で、見せつけるように自分の前を開けると、

「...口を開けて 」

命令され、薄目を開けた彰の顔近くに、綾時の...まだ変化の無い下半身があった。
唇に親指をかけ顎を支えていた手が、耳のそばへと移り、彰の食いしばった歯を、両側の付け根から頬に指を立て抉じ開けようとする。
「っが...ぅ... 」
抵抗はしばらく続いた。しかしついに彰は、自分の歯で頬の粘膜を容赦なく傷つけられる痛みに耐えかねて、指の食い込むままに歯列を開いた。

「んふっ...んっ... 」

間髪入れずに侵入してくる綾時の性器に占められ、口腔内の空気がハナへと抜けた。
舌や上あごがそれに触れないよう、口を大きく開いて激しくかぶりを振るする彰に、
「喰い切りたかったら、そうすればいい...本望だ 」
残忍な笑みでそう告げて、綾時は、指を彼の咽喉へと這わせた。
喉仏を撫でられて、思わず唾を呑み込んだ彰の口内が閉じられ、綾時のモノを熱く包み込む。

「 っ......む 」 そのままで鋼の力で固定された彰の、閉じられた瞼から、溢れた涙が滴った。半ば放心状態のまま、顔をゆっくりと前後に揺さぶられる。
舌の上に押し付けられ、擦られる綾時が、少しずつ、これから自分を責め苛むための力を得てゆく。
奈落へと落ちつつある自分を、止めることができない。
...凄惨な哀しみが眼の奥を刺した。

「ぅっ...ぐ...ぐぅっ... 」

無理やりの注送によって、大きさは、奥へと迫りつつあった。
先走りの味が舌を染めた。

こみあげて全身を貫く吐き気に下肢を震わせ、後ろ手に縛られた腕をよじって親指を握り締めた。仰け反ろうとする躯は、髪の間に入り込んだ指が頭を掴み、引き戻し、凶器と化したそれが咽喉奥に、頬肉に、突き入れられる。
そのたびに湧いて溢れた唾液が、いつしか彼の下あごを濡らしつくしていた。

「...んっ  う... 」
終わらせれば後ろは助かるのでは、という考えが頭を掠め、涙を流しながらおずおずと舌を、昂ぶった綾時に這わせ始めた彰を嘲笑うかのように、突如、それは引き抜かれた。

「ッあふっ...はっ...ハァ、はぁ、 」

血走った暗い瞳を見開き、荒い息をついた。
見上げた綾時の眼は、醒めた色のまま。
肩をつかまれ、再び上体を折らされ床に押し付けられる間、諦めと抵抗が胸で争い、自由にならない身をもどかしく捩らせた。
寒さの中に放り出されたままの腰は、全てが縮こまっていた。
たとえシャーペン程度の直径でさえ、絶対無理だと予感させるほどに。

「うっ...りょう、じ...く、...くちで、させて、
...俺...こわ...い、 」

「...お願いされると、弱いけどね。
こうして君を陵辱したいのも、僕なんだよ 」

悪寒に震える内腿を、外側から自分の腰を抱える手で撫で上げられ、彰が鋭く小さなうめきをあげた。綾時は、彰の後ろに膝をついていた。
右手を眼の前の素肌の腰にかけ、親指で薄皮をひっぱり、無残な窄まりを露にし、左手を添えた己の先端を、彰の裂傷に押し当てた。

「...ゃああ――!! やめろ―――ッ!! 怖いッ!! 」

広いホールいっぱいに反響する彰の高い悲鳴が、びりびりと彼自身の鼓膜を打った。

最初の一撃は、むしろショックのあまりに一拍のあいだ、無感覚だった。
その溶岩に侵食され始める感触は、直後に残酷な急激さで彰を襲った。

「...イタイッ!! ああッ  ッ!!―――ッ!! 」

それはまさしく、何の前戯も施されていない彰のアヌスを、裂き破りながら内臓へと貫き始めていた。

身体中をまさぐられていることにも気付かず、彼は絶叫し続けた。
気持ちの悪い粘度をもった熱い液体が、つるつると彰の開かれた肢を伝い落ち、引きずりおろされた下着を紅く染めていく。
制服の内側で苦悶を爆発させながら全身を緊張させ、彼は獣のように、背後から綾時に犯され始めた。

「言った ...だろ... 手かげんは ...しないって... 」
「―――ッ! ―――ああッ! 」

脈打つうねりを彰の血塗れの内部に叩き込みながら、
綾時は彼の制服のあちこちを探っていた。
ズボンの左ポケットに目的の物をみつけ、引き抜いて、床に置いた。
両腕で彰を挟み、手を床につき、確実な支点を得て力任せに彰を揺さぶり動かす。

彰の悲鳴が途絶えた。想像を絶する苦痛に、意識が飛びかけていた。
眼から口からとめどなく体液が流れ、叫びの代わりに床を濡らした。

...動きが止まった。

綾時と繋がれたまま、縛られていた腕が解かれ、
躯を仰向きに反転させられ、
右手に召喚器を握らされた時、
彼の心に生まれたのは、―――

「殺すんだ。 ...君に仇なす敵だ。
いま殺らなければ、また姦る、...何度でも 」

召喚器を握ったまま、微動だにせず血を流し続ける彰に、綾時が言い放った。
動けば気を喪いそうだった彰は瞑目したまま、わずかな力の回復を待った。

「ほら、...殺さないと、 
...苦しんだあげく、永遠に...そのままだ。

――――――殺せ! 」

顔を覆う乱れた髪が震え、微かに傾けられ、間から彰が綾時を見つめた。

「...どうして...そんな目で、僕をみるのさ 」

噛み締め過ぎてひび割れた唇がうごき、吐息にちかい囁きが紡ぎだされた。

「...ファ、ル.. ロスが、言って.. くれた...
おれが.. 苦しむ、のは、絶対、に、イヤ、だ.. て..  」

必死に言葉をつなぐ彼を、綾時は蒼白な顔で見下ろした。

「...なら、...綾時、だって.. 同じ、はず.. だ... 」

それだけをやっと言い残し、彰は意識を手放した。

蒼褪め、眼を暗く
(みは)った綾時がタルタロスの内部に消えたとき、床に残された彰と彼とを繋いでいた魂の緒が、とぎれた。










-claplog darkside 闇ファルロスはかく語りき
-



「..キラ、ごめ、ん...どうしよ、..どうしよう!? どうしようッどうしようッッ!! 」

血糊がじくじくと滲む部屋...
記憶の中の傷痕のように乾くことのない、罪の流す赤い涙...

「っどうしたら、いいんだ、..どうしたら...ッぼく.. 」

僕を殺してすり替わったやつが、タルタロスの深層に落ちて震えながら泣いている。
彼のことは自分のことの筈なのに、全身で感じるのはこれが他人事だ...ということ。

いま..
彼の心の裏で、僕の胸はとても静かで冷たい。

蔑ろにした奴らのことなんか、大嫌いだ。
正しいよね。僕は、ただしいよね? アキラ...
君を傷つけたのは、絶対に僕じゃないんだ!! 信じてくれる..よね..

「..平気だ。 ...そうだ、よ。 人間 じゃ、なかっ たん だ...
っう.. きっと.. 僕は、平気 なんだ... こんな こと...ッうっ 」

...まだ、泣き続けてる。誰もいないのに、声を殺して。
ほんとうに馬鹿で...くだらない。
僕の友達だけだな、下らなくない人間は...
デスも、こいつも.. 僕の花を、手折った。
僕だけの絆...たった一つ咲いた花だったのに...

「ッう... ううっ.. みん、な... 」

うるさいな... どうして僕はここにいなくちゃいけないの?
こんな所に縛り付けられては、身動きがとれないよ。
...花壇を、こっそり見にいきたいのに。

「じゅんぺい..くん、 ..みんな、...うぅっ 」

大事な、だいじな、僕だけの花。
冷たい手足も温かくなる、あの心臓の音...
僕だけを見て笑う、キレイな人...
また会って話せるなら、僕のぜんぶと交換してもいいのに...
...なにしてるの?
そんなに自分を殺しそうに抱きしめたら苦しいよ!

「うぅッ たすけ..て...だれか.. 」


―――君を助ける人なんか..いないよ。 ..どこにも。

「..な..に 」

もうすぐここに..やつらが、やってくる。
怖い、こわい、大きな眼は... 何もかも、お見通しだ..


「やつら って...」

君には、遠過ぎてわからないんだね..
初めてこの世界に来た日...
...人形と、かくれんぼした、あの夜のこと..


「知ってる...よ 」

...本当に?
僕だってよくわからないのに、君なんかにわかるはずないよ。
...たった一つの宝物だったのに。
君たちは壊した。
...許さない。
デスも、きみも、みんな消えちゃえばいいんだ!



タルタロス... この滅びの塔を、彼の花壇はそう呼んでいた。

暗く、湿った空気が澱んだ通路。。
時折、どこからか水滴の滴り落ちるくぐもった音がする。
それに続いて、キィキィと喚きだす闇の塊りたち。
ここに、来たばかりの狂気の影たち...
そのうち、集まって、食い合って、どんどん大きく真っ黒になっていく...

...それを、友達がやっつける。
あっさりでもないけど、とにかく倒しまくる。
影踏みの時間だ! 誰が一番大きな影を踏めるかな?

アキラが影の番人を倒したら、僕は大喜びで手を叩くんだ。
とても誇らしい気持ちで、胸がいっぱいにいっぱいに膨らむんだ!

でも、あんまり長い間ひとつのトコロにいると、
相手が同じ影ばかりになって...面白くない。
だから、人形を操って、友達と彼の花壇を階段まで送ってあげる。
みんな、僕の人形を見るとびっくりして悲鳴をあげる。

僕が、鬼だね!

追いかけっこのはじまりだ。
うれしくってみんなと一緒に駆け回る。
僕はおもちゃの鉄砲を振り回して、みんなをばんばん撃つ!
みんなは、一緒になって人形を切り刻む。
なんて楽しくって、愉快だったろう!
もっともっとみんなと遊んでいたい。
殺し合うダンスが、永遠に続けばいい...
...そう、願ってた。

綾時のすすり泣きが、しずかになった。
自分から何も出て行かないように、身体中を縮めて閉じこもっている。

...辛いのは、わかってるよ。
僕だって君と、同じだ。
..でも僕はね...君に同情なんか、してやらないんだ。

...ねぇ、逃げないなら僕を自由にして?
早くしないと、あいつらがきちゃう。

ねぇ、心の扉を開けてよ!
ここから出して!
僕だけでも、逃がしてったら!


「...あいつらって、なんだい 」

彼は僕のいる胸に向かって、低い声で小さく呟いた。

君がみんなの正体をバラしたりするから、お仕置きしにくるんだ。
卑しい階級のやつらが... 用済みになった僕らを...
...ねえ、僕、いやだよ! あんな
下賎(げせん)なやつらに!
君のせいじゃないか!
僕だって...どんなに定めがイヤだったか!...
...出してよ、ここからだしてっ!!


「...なんで? どうして僕が.. こんな眼にあうの... 」

ぽつり、ぽつりと呟かれた言葉は、ここに来てから何度も聞かされた繰り言だ。
洞窟の竪穴に落とされて、暗闇に転がり落ちる小石みたいに消えた。

そうやって、絶望してるけど。
そのうち君だってやつらのように、真っ黒になってしまう。
何も辛いことなんか、ないみたいに...

世界に吹く風のように、
自由に欲望のまま流離うに決まってる。
“大いなる母”と一つになったら...



...とつぜん、束縛が解けた。

僕は急いで綾時から抜け出して、離れた。
そのまま壁に融けこんで這い上がり、天井に張り付いた。

...一安心して見下ろしたら、
彼は血溜まりを避けるように、壁にもたれて座り込んでいた。
虚ろな眼差しで、ぼんやりと心を彷徨わせている。

こうしてみると本当に、ただの人間だ。
アキラよりも背が高くて...色白で、
死天使の双翼みたいな真っ黒な髪に、蒼穹に翳った薄い雲のような眼の色。
でも、彼からは闇の欠片も感じない。

それか、逆に.. この優しい寂しそうな顔に夢見がちな眼をもつ、均整のとれた身体は、上位の悪魔が下界を誘惑するためにとる姿...地上の愛の化身みたいだ。

僕の姿も、そうとう情けないけど...
...こんなんで、ちゃんと、戦えるのかな? 無理みたいにみえるけど。

なんにもできなそうな彼を放り出して、
自分だけさっさと眠ってしまうなんて..デスは酷い...
本当の力を扱えるのはデスだけなのに...
彼は、デスに嫌われてるのかな。あの、人間らしさのせいで。

本当に... 体に残されたのが、僕じゃなくて..
本当によかった。







時の淀みが支配する塔...
その底辺にいる僕たちの元まで、啼き声のざわめきが忍び寄ってきた。
とうとう来た...
僕は首を竦めて、天井の隅に溜まる影に気配を隠した。

綾時が顔をあげた。涙も枯れ果てた表情からは、とうに血の気がなくなっている。
その眼が、ドアもない部屋の入り口... 通路の角をみつめた。

遠くから、大勢の葬列みたいに不吉な気配が迫ってくる。
硬い表情に変化した彼が、何を思い感じているかはわからない。

でも、あの身体は闇のものだ... 
たとえ彼がまだ自覚できていなくても...
きっと...

やつらが姿を現した―――
ヘドロに表面が覆われたようなゼリー状の肌をした、様々な貌の仮面をいただくシャドウ。

不気味な触腕をゆらゆらと挙げ、
闇の澱のように這いずり襲ってきたのは、マーヤの大群だった。

床に腐った血のような跡を曳きながら、視界を埋め尽くし、
残酷な性急さで、裏切り者を生贄に奉らんと殺到してくる。

「...ッ!? 」

綾時は慌てて立ち上がった。凍りついて壁に背をつけ、
眼の前の光景のあまりのおぞましさに、かえって魅了されたように瞳をみはった。

「...えっ... 」

貪欲の影が仮面を掲げ、ぶよぶよと這いより、綾時の靴を舐めた。
引っ込めようとして捕らわれ、片足にシャドウの接吻を許した彼の肩が震えた。

...デスよ。
闇の女神の息子、死を司りし皇子よ。
我は憂いている...
そなたが地上の者共と交わり過ぎたことをだ..
...だが案ずるな...
我ら闇の末裔が、生臭い血肉を浄化してやれるだろう...


「..嫌だよ!
違う...ちがう! ぼくは、僕は死神なんかじゃない... 僕は、人間だ!! 」

搾り出された悲痛な叫びは、それを理解するはずのない
下郎どもの歓喜に沸く皮膚に吸い込まれた。

床に波打つ汚らしい数多の手が、闇の世界の高貴な存在に伸ばされ、
彼を捉え包もうとざわめく。

「あッ... やめてよ! 来ないで!!... 」

マーヤ達は、貌が無いにも等しい仮面の奥から、
精気への餓えを隠さぬうなりを迸らせた。

彼のくるぶしに絡みつき、下半身を闇色に染めていった。
「く... うッ..! 」
だんだん内側へと侵食している。彼と同化しようとしている。

眼を背けてあげたいのに、絶望にすがめられた綾時の悲しい表情に、
視線を鹹め捕られて動けない。

まるで僕が視えてるみたいに、こちらを見つめて、
目尻から苦痛に満ちた涙を一すじ零した。

「...これが、本当の僕?」

何かへの憧れと切望と、...諦めと。
それらを一言に滲ませ、彼は、祈るようにシャドウのただ中に崩れ折れた。
もう一度、天井をその哀しい眼に映し、眉を顰めたかと思うと、
両手を...前の汚れた床についた。

眼を閉じて首を垂れ、床を掻き毟るように握り...隷属の姿勢をとった。


僕は驚いた...
...仮にも、デスがまだ中にいるのに。

こんなやつらに触れられ、汚辱されるのを、あの傲慢な彼が許すはずがない。

「...はやくして。 ... はやく。
はやく僕を..闇に還して! ...ぼくを消してしまえ!... 」

びっしりと蠢く黒い手に呑み込まれる綾時を見せ付けられ、
僕は肌を突き刺す戦慄に支配されていた。
初めて闇に侵食され苦しむ彼...それも薄汚い下等な狂気の闇...

綾時は腕を捕られ、髪を引きずられるように、仰向けにされた。
シャドウの中に埋葬されるように。

彼の身体を貪りつくそうとしている闇の末裔は、
天上の闇の裾に触れ、引き裂けるこの恩恵に、喜びを隠さなかった。

「...ウッ...ッ!...」

地上の欲望のままに齧られ、啜られるたび、
悲鳴を噛み殺す綾時の唇から、汚れた血の泡が、苦汁のように吐き出された。
シャドウに身体の全てを探られ、人間らしさを殺ぎとられていく。

全身を襲う凶悪な改革に、彼の皓々と白い貌が喰いしばり、壮絶に歪んだ...

...助けるとしたら、僕しかいないのに。

あの大きな月の眼に縛られて脅されていた時みたいだ。
触れたくなくて、あんな目に遭うのが嫌で嫌でたまらなくて、
無防備な裸で枷にはめられた様に動けない。

“僕じゃなくて良かった...”
強い後ろめたさが、胸で渦を巻いてる。

「ごめん... 見捨てちゃって、ごめ
んよ... 」

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