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寒い...
いた...い...
...身体が揺れるほどの身震いがし、それが、目覚めを拒む眼を、ぼんやりとあけさせた。
何故...ここにいるのか、...わからなかった。
見回してはいないが、周囲には、誰の気配も無い。限りなく体温を奪ってゆく硬い床に、ボンドで接着されたように、動かない身体。微かに耳鳴りがする。
...そうとう疲労しているのだと、俺は思った。
手に何かが触れ、その馴染みの感触から、召喚器だと気付いた。
...それが鍵となり、自分が、何を、 ...されたのかを、思い知った。
自然に眼が、魂の緒を探した。それは、タルタロスの扉の手前で、所在無げに揺らぎながら消えていた。
「綾時... 」
その名を呟いた時、浮かんだのは、
手を広げ、微笑み、死を待つ、彼の姿だった。
カタツムリのように跡を残しながら床を這い、ベルベットルームへの扉にたどりつくまで、どのくらいの時間が経ったことか。
その間、独りきりでいられたおかげで、落ち着き、冷静になれた。
腕の時計は0時のままだが、感覚では、影時間は、とっくに過ぎている。おそらく、以前の山岸のように、俺は、タルタロスに閉じ込められているはずだ。
...なら、いま出来る事は、一つしかない。
扉に寄りかかり、腕を伸ばした。僅かな力でも入ると、熱い何かが下肢から溢れ出す。脳天まで突き抜ける痛みは、このさい無視したが、その濁流の気持ち悪さ、怖気に、歯を食いしばり、ノブを掴んだ。
突然開かれた扉と共に、室内に倒れこんだ彰に、イゴールは普段どおりの上目を向けた。
「...ようこそ、我が領域へ。 彰様 」 甲高い、しわがれ声が出迎えた。
蒼き部屋の主が、傍に召し仕えるエリザベスに、手を振って指示する。彼女は力を失った彰に歩み寄り、その身体を軽々と抱え、いつもの円卓の椅子ではなく、部屋の隅にある羅紗の長椅子に横たえた。
暖炉の見当たらないベルベットルームの、人肌のような温もりに包まれ、肉体の痛みが和らいでゆく。彰に、心地よい眠気が忍び寄った。頭を振り払い、掠れた声で、イゴールに告げた。
「“デス”、に、逢った... 」
「...外界の流転は、全て、私には視えてございます。
お客人に、わざわざご説明をいただく必要は、ございませぬよ 」
「悪趣味な...奴... 」 ”全て”に込められた強さに、彰の眉根がきつく顰められた。
組んだ白い手袋の指を一本振り、老人の唇が釣りあがった。
「 ...なら、訊きたい。 彼を救うには、どうすればいい 」
「“定め”への服従が、その者にとっての、救いの場合もございましょう 」
「あんたもか... 口を開けば“定め”...“定め”って...
...綾時自身に、望みや目的は、ないのか?... 今は、人間なんだろ...
だったら、何か意思が、あるはずだ 」
「貴方がたお二人は、確かに、現し世の摂理より外れた、類稀なる異端でございますがね... しかし、あの御方の本質は、我らと同様、隠されし闇の領分... 秘密を申し上げることは、できぬご相談です 」
「秘密...? 」
「貴方には、私がすでに”啓示”を授けた筈。後は、御自身で求道されるが宜しいかと 」
しばしの間、黙り込み、胸の内で反芻する彰を、老人は興味深げに見守った。
「...啓示、か。
もう一つ... ”滅び”についてだ。 彼は”確約”と言ったが...それは本当なのか? 」
「いずれ起こる大きな災い、と、以前に申し上げたことがございますな。
ペルソナの特殊な秘蹟を、お教えした折に。
未来は、貴方の選びとる可能性の結末。
...それ以上、私が申し上げるべき事柄は、何も、ございませぬ 」
それを聞いた彰は、しばらく視線を漂わせ、再び沈黙した。
「只今のご質問... 順序が意外でしたな 」 同じく静けさを保っていた老人が、口を開いた。
「...浮かんだ順に、訊いたまでだ。
”世界の滅び”だなんて...話がでか過ぎて、ついていけない 」
「さようでございますか 」
歯を剥き出して嗤うイゴールを、不快そうに見つめ、彰は息をついた。そして、吸い込まれるように眼を閉じながら、呟いた。
「少し、休ませてくれ... 」
「...ここは、魂の還る場所。 ごゆっくり、休まれるがよろしい... 」
「...どちらかね? 」
「悪夢を見ておいでのご様子... 」
「ふむ... ならば、これはそなたの仕事。 任せよう 」
「かしこまりました、イゴール様 」
ピエタ像のように床に腕を垂らす彰を膝に抱き寄せていたエリザベスは、彼の生気の無い寝顔をみつめ黄金の瞳を瞬いた。
「血...それに、精の香りがいたします 」
「ほう。 ...悪趣味が、ここにもおったか 」
くつくつと嗤うイゴールに微笑みを返し、彰から眼を離さぬまま、美しい夢魔は、そっと囁いた。
「...貴方が望む者の姿を、おとりしましょう ...彰さま 」
―――どこまでも続く、冥い廃墟。
動くもの一つ無い、瓦礫の地平... ひび割れた大地。 風は吹かない。
太陽が見えない。 けれど今は、夜ではない。 永遠に夜は来ない。 昼も、朝も。
目的もなく彷徨っている... 無情な風景は終わらない。
心を乾かせる、それが、唯一の秩序だった。
一切の有機的な事物は、その日を境に、滅んだ。
定めの通りにそれは起こり、人々の断末魔、怨嗟の嘆きが、
永きを経て荒廃した俺の記憶を、たまさか通り過ぎていく。
俺、と、久しぶりに思ったが... もう、自分以外には、誰もいない。
自分と他人を分ける自我は、すでに役目を失くした。
かつてあったはずの思い出も、流れの無い時の中で消え失せていった。
独り、ただ...そこに在るだけの存在。
見る価値があるものなど、 ...どこにもない。
聞く価値のある音も。 以前は、”歌”を知っていた気がする...
大気を失くした世界で、歌が唄われることは...もう無い。
この眼も、耳も舌も、髑髏の眼窩の様に、ぽっかりとあるのが、一番ふさわしい。
思いつきで、眼球を包む皮膚に、爪を立てた。 意味のない温もりが、指先を包んだ。
「 」
永いこと、そこに在るとすら思わなかった、心臓が、跳ねた。
聞こえるはずの無い、いまの声は、 ...誰の、声だったろう?
邪魔な髪を振り払い、周囲の廃墟を見まわした。
依然として暗い中の、陰がつくる闇の奥を探した。
...何もいない。
(空耳...か )
絶望がもたらした小さな落胆に、久しく使わなかった頬の筋肉が動き、唇の片端が歪んだ。
「 キラ... 」
頭が真っ白なまま突き動かされ、俺の脚は駆けだした。
地を横切るひときわ大きな裂け目。
戯れに”深淵”、と名付けたその方角から、呼び声はした。
足がもつれ、膝を擦った。それでも、意思より先に、衝動が俺を前へと動かす。
「...だれっ!? 」
叫びながら、縁に這い、膝をつき、底の見えない暗黒を覗いた。信じられないことに、こだまが返り、辺りを波が震わす。
「誰か、いるならっ 応えてくれ! 」
心のどこかで、ありえないと否定しながら、それでも俺は声を張り上げた。自分の声が響く。音波を伝えるべき空気が無いのに、ありえない。一体、何が...起こったんだ。
「...ここだよ、彰 」
突然、背後から抱きすくめられた。しなやかに腕が俺の首を挟み、指が眼の前で組まれた。
背中が人の重さを受けとめ、その瞬間、覚えのある、温かい匂いがした。
柔らかい感触が、頭の後ろに押し当てられた。 吐息が髪をくすぐる。
...動けない。動悸だけが血の通い始めた胸で疾くなっていく。
「逢いに来たんだ。 ...あの世からね 」
「...綾時っ!! 」
瞼が熱くなり視界がぼやけた。 俺は...泣いて...
「ずっと傍にいたよ。心だけは、君のそばに 」
近くなのに、遠くから聞こえるような綾時の声は、優しかった彼のものだった。胸に迫る想いに、それを心の底から渇望していた自分に気付かされた。
拳で顔を拭って、腕の中で背後に首をめぐらした。彼のシャツの胸元が見えた。
夢じゃない、彼がいる。
「りょうじッ...!! 」
バカみたいに喚きながら、どこへも行かないように、彼を掴んだ。自分の全てで、放さないように、地面に押し倒した。服の下の俺を受け止める弾力が、何にも増して嬉しかった。彼は、仰向いた衝撃にも変わらず、微笑を浮かべたまま、俺を見ている。
「淋しかった? 」
「...綾時ッ なぜもっと早く来てくれなかったんだ!!酷いだろッ!! 」
胸元を握り締め、泣き喚いた。腕を伸ばし俺の髪を撫でる、その手つきが更に溢れさせる。
「それを言われると、辛いな... 僕はもう、元の冥府が定めの棲家だ。君が来てくれなきゃ、ずっと一緒にはいられない 」
「死ねなくて...
何度も、試したのに、飛び降りても、いつのまにか元に戻って... 」
「みんな僕のせいだ。 ...彰をこんな目に、あわせたのは。
...どうして、殺してくれなかったの? 」
「どうしてっ...て... 」
彼の血の気の無い唇が、下弦の月の蠱惑さで笑みに形作られた。どこか違和感を覚えながらも、涙ごしに見えたそれに、吸い寄せられ、俺は口付けた。
「ん...... 」
それ以外知らない、ファルロスの、綾時の唇。がむしゃらに、テクも無く入れた俺を、薄い舌が迎えてうっとりとさざめいた。擦りつけるように背を撫で回され、それが受け入れのサインだと知る。訳のわからない喜びが湧き上がった。 ...けれど、何かが...違う、何かが...手を止めさせる。
「...彰、もっと悦ばせて。何でもする、君のしたいこと 」
はしたない誘惑のそれを聴き、急激に...醒めてきた。 ...何故だろう。
男なら、まして俺なんか抗えそうもない、物凄く下半身にくる響きなのに...
動悸は静まり返っていた。 元のような暗闇が...胸を支配し始める。
「...お前...誰だ。 綾時じゃ、 ...ない 」
「僕は ...僕だよ。君が望む通りの、綾時だ 」
崖っぷちで重なりながら、俺は食い入るように、情欲の閃くその顔を見た。
(俺が、望む、通り...?)
途端に背がざわめいた。
...これが、こんな彼が、...俺の願望だというのか!?
「...要らない、
...こんな幻は、いらないッ!! 見せるなこんなものッ!! 」
叫び、絡みつく腕を押しのけ、救いの深淵に転がり込んだ。
どこまでも落ちる終着の無い暗闇が、悔いて恥じる胸苦しさに安息を与えていく。
浮遊感の空白の中で、意識の全てが、惨い夢の終わりに、融けていった。 ...
「結果オーライでございますが、 ...拒まれて、しまいました。イゴール様 」
「そなたが仕損じるとは。 ...なかなかやりおるな 」
老人が、肩を落とすエリザベスを慰め、彰を覗いた。 彼の寝顔は、安らかだった。
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