Persona3小説 13. 畏怖 ☆ 忍者ブログ

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13. 畏怖 ☆




 イゴールの訳知り顔にはムカついたが、ベルベットルームでの休息のおかげか、身体の回復はめざましかった。振り子が静かに時を刻むあの部屋で、ぐっすり寝たあと、次の影時間を教えられて、俺はタルタロスを後にした。

綾時が消えた大扉を、今度は、振り返らなかった。







湾からの寒風が吹き過ぎる街中に、Nyxの緋文字やビラが踊っていた。

寮の近所も例外ではなかった。一体どこのカルトが信奉しているのだろう。ああいうのはインチキが相場と思っていた。デスを呼び寄せた滅びの到来を願う人々に対し...説明のつかない、微かな嫌悪が浮かんだ。

(案外、裏で綾時が“皇子”でもやってたりしてな )

靴裏で縒られ汚れてゆく、ビラの一枚を踏みにじる。


「彰君...大丈夫? 」

寮に帰ると、山岸がおずおずと声をかけてきた。彼女の気持ちはありがたいが、別に落ち込んではいなかった。 ...タルタロスの冷たい床を這いながら、俺は、一つの可能性に気づいていた。

...全ては推測だが、試してみる価値はある。


「北川... もう、決めたのか? 」

綾時を殺すのか、殺さないのか。 ―――皆が、腫れ物のように俺を扱う。
居心地が悪いというよりも、...何も言えないのが辛い。

俺たちは仲間なのに、なぜ俺だけが知ってしまうのだろう。


 僕らは、共にある存在のはずなのに。
なんで、僕だけが思い出すんだろう...



(そうか...ファルロス )

辛いよ、と呟いた彼の気持ちが、初めて解かった。

(“タナトス”は、月に怯えていた彼が、陽の下で俺に託した希望かもしれない )

彼を信じよう。 ―――“デス”ではなく、彼を。










「あれきり学校に来てないよな、リョージのヤツ...
今頃どこに居て、どんなツラして、ナニ考えてんだろうな... 」

綾時の告白から五日後、放課後の教室で、教卓に肘をついて落ち込みを露にする順平を前に、彰は胸の中で痛いほど溜息をついた。

“タルタロスにヒキコモって悲壮なツラで自分を姦る算段を立ててる”―――なんて冗談は、口が『寄生獣』のようにガバッと裂けても言えるはずがない。もちろん、真実もだ。

(...何度でも...なんて、まさか、本気じゃないよな )

ファルロスと同じ碧く光る、だが、人とは思えない怖ろしさを湛えたあの眼。
自分を、一人の人間として扱わぬ行為。

それでも、彰は彼を憎むことが出来なかった。

彼は、ファルロスでもあるのだから。
それに、綾時に”きっかけ”を与えてしまったのは、自分の弱さだ。


(考えろ。 ...俺に出来る、最善を )












あれから一週間が過ぎた。美鶴の提案で、夜、寮のロビーにアイギス以外のS.E.E.S.が集い、今後どうするかを話し合うことになった。

突然“滅び”という未来を突きつけられ、不安を曖昧にしか口に出来ない皆の様子、やけっぱちになったゆかりの言葉に、順平が声を荒げた。

「お前...なんだよ、そのノリ? 冗談言ってる場合かよ?

死ぬって話だぞ! 怖いに決まってんだろ!? 」

ぶるぶる震えながら拳を握り締め、皆の顔をねめつけた。

「みんなも何ゴリッパな事言ってんだよ!
“絶対死ぬ”って意味、考えたんかよ!? 」

「じゃあ伊織はどうなんだ? 望月をどうしたい? 」 美鶴に釘をさされ、彼は項垂れた。

「オレに出来る事なんか無いっスよ...殺せんのは、抱えてたコイツだけなんだし 」

ゆっくりと顔を上げ、横で黙ってやりとりを聞いていた彰を、怒りがこみ上げ始めた眼差しで睨んだ。

「大体、お前の...せいじゃんか...そんなエラいもん抱えながら、気付きもしねえでさ... 」

その言葉に一瞬色を失いはしたが、相変わらずの無表情に、更に順平の怒りが煽られる。彼は立ち上がり、乱暴に、眼の前の鉄面皮の胸倉を掴んだ。

「お前が育てちまったんだろ! お前のせいみたいなモンじゃねえか!! 」

自分がいまどういう状況に置かれているにせよ、綾時という親友を失う辛さを抱える彼に、とても反発する気になどなれない。
彰の静かな眼が、頭に血が上った順平を、まともに見つめた。

「...何とかしろよ!! お前”特別”なんだろっ!? 」

ヒステリックに揺さぶりだした順平を、美鶴が制した。「やめろ、彼のせいじゃない 」

皆、そんな事は分かっていた。彰を責めることは、当時、彼に綾時を封じるしかなかったアイギスを責めることでもあるのだ。そして、綾時...“デス”を呼んだのは、他でもない美鶴の祖父だった。全ては、過去のもたらした、巨き過ぎる負の遺産だった。


「...俺は逃げない 」

彰が初めて口を開いた。
美鶴は彼の表情を伺い、真意を探した。そこには、ただ...読めない何かへの決意だけがあった。














クリスマス・イブの深夜―――

電気を消した暗い部屋の中。机を前に椅子に座り、頭の後ろに手を組んで、彰はカーテンを開けたままの窓を眺めていた。

冷たく冴えた冬の月を見上げる彰の前には、ノートパソコンの画面が、ぼうっと青白い光を放っていた。

そこには、日本庭園を背景に、覚醒前の綾時と彰が並ぶデジカメ画像が、表示されている。


今日、彼は久しぶりにメールチェックをした。
たまっていた受信箱の中に、山岸からのものもあった。

添付されていたJPGを開くとき、彼の心は沈鬱だった。そっとしておくべき傷を、わざわざ掻き毟るような自分の行動の説明がつかない。それでも開いてしまった画像には、無表情の自分の隣だからこそひきたつ、彼―――綾時の、屈託のない笑みをたたえた姿があった。

前回の会合から二週間が過ぎ、皆の気持ちがそれぞれに固まりつつある。
綾時を殺さない...たとえ勝利を否定されようと、”ニュクス”に挑む。その未来へ。


パソコンの電源が急に落ち、スクリーンに映しだされるフィルムが、汚れたそれに差し替えられたように、寒月の色が様変わった。

聖夜の、棺の立ち並ぶ時間が始まる。













背後に伸びた魂の緒が、風に煽られた蝋燭の炎のように、揺らいだ。


「...来るなら、今夜だと思ってた。

いつも、満月の一週間前は、俺たちの秘密だったから 」


後ろに立つ存在への呼びかけに、闇の奥から誘うような、低く穏やかな声が応えた。

「ファルロスを望んでも、無駄だ。 ...彼は怯えて隠れてしまったよ 」

暖房は入っているはずなのに、急に寒さを覚える。微かな気配が肩に迫るのを感じ、組んでいた腕を降ろし、語気を強めて彰は警告した。

「...ここで何かしたら、山岸が感付くぞ 」

両肩に置かれた手が、彼の首を撫で上げた。頚動脈の上を冷たい指が這い、顎とを往復する。まるで愛撫のような怖ろしさだ。

「...彼女のペルソナは、僕を察知できない。
...この部屋の全てを攪乱するなど、僕にとっては容易なことだ 」

その言葉に黙り込んだ彰の、シャツの胸に手が下りて来る。前かがみに身構えようとした動きを否定し、掴まれた布が叫びをあげて引き裂かれた。ボタンが千切れ飛び、机に、床に転がる硬い音がした。

「っ... 」

胸から肩までの素肌を夜気に晒し、反動で、しなり項垂れた彰の首筋に、熱い息が触れる。

「抵抗、 ...しないんだね。 ...なぜ? 」

(しても、どうせ無駄な癖に... )
彼の非人間的な腕力を思い、彰は暗い視線を膝に落とした。心臓が、怯えを訴えて音立つのが分かる。諦めが繋ぐ絶望と恐怖に、今度も自分の心は耐えてくれるだろうか。

「ひょっとして、無理やりされるのが好きになってしまった?
それとも、 ...僕とのセックスが、忘れられなくなったの? 」

ステレオのように襲う響きに、彰は、激しく首を横に振った。髪が頬を打つ。
刹那、悔しさがこみあげた。

「あの時は、 ...綾時の“終わり”が視えなかったからだ! 」

「...よかった。 喜ばれては、困るからね 」

その言葉に彰は椅子を回転させ、背後に立っていた存在を見上げた。綾時の眼は、塔で逢った時のように、碧い輝きを帯びていた。頭が思い出すより身体がそそけ立ち、哀しみに這い寄られた彰に、彼は酷薄な笑いを返した。

「なぜそんな眼をする? 無用な情けは要らないと、思い知ったろ?

...僕は滅びの訪れと共に、役目を終えて消える。
消えてしまえば、君は滅びの後も、永遠に苦しむ事になる 」


(この調子では、正面きって訊ねても、きっと答えない ) 

彰は彼を見つめながら、しかし胸の内ではめまぐるしく考えていた。(...何でもいい。知ってチャンスに変えなくては )

「召喚器はどこなんだ? 」 制服を探した眼が、クローゼットを振り返った。

「...必要ない 」

彰の短い応えに、顔を戻したデスの眉が顰められた。

「これだけの理由がありながら、殺せないって? 」 不意に、手が、彰の顎にかけられた。細められた眼が、形だけは以前の綾時のように彼を見下ろす。「...僕に、特別な好意でも? 」

「違う... 俺は... 」

顎を擦るほど強く彼の手を退け、彰は唇を噛んだ。人間、そしてファルロスや綾時を殺したくない自分を、いくら“デス”といえども彼らを内含する存在が、それを理解できない筈はないのに。

「そうか。 君は一応、女の子が好きなんだった。
...順平君から聞いたことがある。

けど、女性経験は無さそうだな。 ...七歳からずっと傍にいた、僕の記憶では 」

薄笑いの混じる皮肉な口調に胸を衝かれ、頬が紅潮した。

傷ついたのは、指摘された事に対してではなかった。あの時、自分が恋しがっていたのは、彼の中の小さな少年。その事実にだった。

彼の言う“特別な好意”が具体的に何をさすのかは分からないが、そう呼べる暖かな感情を自分から引き出したのは、ファルロスと...綾時だけだった。彼らといる時だけは、自分が生きていると感じることが出来た。彰は、デスの中に彼らを探すのをやめない自分の未練がましさを恥じた。同時に、順平の苦悩をも思い出す。皆の、意思も。


「これが、最後の慈悲だ。 武器を取っておいで。

...僕を殺せ。 君がそれを
躊躇(ためら)う理由など、何もないはずだ 」


彰がふらりと立ち上がった。はだけた胸元をそのままに、長い前髪と白い顔が、よぎるほど近く合わされる。

「その必要も、ない。 ...俺たちは、ニュクスと戦う。

止めたいなら、俺を殺してみろ!
俺がお前を倒せるなら... その逆だって、出来る筈だ 」

「...ニュクスは絶対に倒せない、と言った筈だ。

たとえ不滅の存在で挑んでも、ニュクスを“母なるもの”としない君は、吸収されて“終わる”こともできず、滅びの世に弾き返される 」

威圧する非情な響きに、つい竦みそうになる背をこらえる。

しばらく無言のまま、彰はたった今聞いた言葉の意味を考えた。



不意に、彼の表情が、変わった。


「...そうか...分かった 」 自分の閃きへの驚きに、その眼が瞠られた。「...デス、お前の秘密が 」


「僕の、 ...秘密? 」 数拍の後、デスが呟いた。


「ニュクスの弱点...だ 」

青ざめる顔を見据え、確かな手ごたえを得た彰の口から、連続して言葉が飛び出す。

「“定め”に支配されてるお前は、ニュクスの不利になることは出来ない。
...違うか? 」

「―――黙れッ! 」

横なぎに手の甲で顔を張られた彰の身体が吹っ飛び、TVに激突した。「っぁぐッ! 」 台の角に腰を打ち付けられ、倒れそうになり、思わず掴んだカーテンが、彰が前のめりによろばうにつれ窓を覆った。呻いて突っ伏した髪が乱暴に掴まれ、仰向けられ、咽喉を襲った手がギリギリと呼吸を圧迫し始めた。

「あの機械といい...君といい... 」

彰が腕をかきむしり退けようとするのにかまわず、衝撃でずり落ちた着衣の残骸を片手でとらえ、ずたずたの無残な切れ端に変えた。「やめろっ! 放...せッ! 」 残ったシャツの袖を彰の腕ごときつく前で縛りながら、デスは酷薄な笑みと怒りの混じる表情を歪めた。

「...アイギスを呪うがいい。
彼女が余計なことをしなければ、“彼”は最後の最後まで思い出さずに済んだ... 」

まるで自分自身を呪うような声を浴びながら、上半身を剥かれ腕を拘束され、仰向けに床に圧しつけられた彰は、絞め上げられた気道が空気を求めて喘ぐのを、不死でも肺は習慣を守るのかと、半ば混乱した頭で考えた。

「 ...ぁ...っぐ...」

「苦しいかい?
君の言うとおりさ。 ...力を与えた源だけは、君を殺すことが出来る 」

暴れる腕を押さえ、咽喉に手をかけたまま、デスは絞首の苦しみに足掻く彰の胸に跨り、本格的に絞め始めた。


「“彼”に免じて、救ってやろうとしたのに...

...邪魔をするつもりなら、話は別だ... 」


彰の全身が断末魔の苦しみに痙攣した。

「そうだ...告げてやらねば。 君の両親を殺したのは、“僕”だ 」
めろ...

頚動脈の血の暴動は、視界を紅く染め、最期に見る顔をも赤黒い渦の奥へ遠ざけていく。

「...記憶の血は乾かない...

いまわの際に望むなら、ちっぽけな肉片の“お母さん”をみせてやってもいい... 」
やめろ

碧い二つの瞳を残し全てが醜く歪み融け、

やめろ!
「なぜ、これほどの事実を、取り引き材料にしないのか...

彼らには覚悟が欠けている。 ...完全たる僕こそが”宣告者”に相応しい! 」

もうやめて!

死と生を分かつ幽明の境へ彼を押し流した。



 ――――――止せ!!

アキラを放してよ!!


(うるさ)い!! ...無力な貴様等の、指図など受けない! 」



突如、彰の全てを絶とうとした指の力が、緩んだ。


暗黒に覆われた視界の僅かな晴れ間から、一瞬、澄んだ碧い瞳が彰を見つめ、涙を零した。








ファル...ス...



閉じた瞼が微かに震わせた彰の睫毛の間にとめおかれて冷えた透明な雫に、誰かの温かい指先が触れた。

その感触に眼を覚ますと、いつのまにか、ベッドの中だった。

何もかもが悪夢の続きのように、首から上を支配していた。
薄墨のように煙る記憶、喉に頭に差し込む痛み。両目の疼き。

唯一、それらを安らぎに隠す、左半身に寄り添う体温。
左手を包む、知っている感触。


「...分かっ...てたんだ。
きっと、最後に、君は...僕を、憎むことに...なる...て...
...それ、なのに... 僕は... 」

「ファル、ロス...泣くな...  」

うまく出せるといい、と願った声は、やはり、喉の奥に絡まって掠れていた。

麻痺の残る手を布団から出し、肩で震える...月明かりがそれと知らせる彼の髪に当てた。触れているのか遠いのか分からなくても、せめて慰めになればいい。


「...僕の...名を、呼んで、くれるの...? 」

呟きは、彼の唇が肌につくった嘆きの
坩堝(るつぼ)に溶けていく。

「友達、だろ。 ...ファルロス 」

答の代わりに、重ねた手のひらに、わずかに力と熱が込められた。

「また...会えるとは、思ってなかった 」

彰に添い寝をしている身体は綾時のものだった。だが、眼の
耀(きらめ)きや口調は、慕わしく懐かしいファルロスだった。なぜ、デスに気絶させられた自分が、ファルロスとベッドで裸で並んでいるのかは謎だが、綾時とファルロスは記憶を共有している。綾時のすることだから、で、なんとなく納得した。彼流に汚染されている自分が恨めしい。

「彼...綾時が、ちょっとだけ譲ってくれたんだ。 
今日は、クリスマスイブって...特別な夜なんでしょ? 」

「イブか。 ...アイツらしいな 」

彼なら、そういうイベントにはこだわりそうだった。ナンパの口実として。だから、思い出して写真を眺める気になったのかもしれない。ちょっと譲ったということは、後で会えるのだろうか? 彰は疑問に思った。デスも含めて、彼らの様子を見ていると、綾時の身体を複数の人格が共有しているようだった。多重人格者のように。

「うん。 気の毒なんだ彼...とても。 デスや僕の記憶を...いきなり押し付けられて 」

ファルロスは辛そうな声で呟いた。ムーンライトブリッジで「信じられない! 」と悲痛な叫びをあげた綾時を思い出した。一体、どういう気分なのだろう。ある日突然、自分が思っていたのとは違う過去を思い出すというのは。

「ファルロスがいなければ、奴はいなかった。 綾時ならきっと...判ってる 」

「信頼...してるんだね 」

「んー...」

信頼か...そうかもしれない。綾時独自の優しさは、孤独癖が板についた自分の殻をも破って届いた。彼は身をもって他人を救う事の出来る人間だ。方法はちょっと理解しがたいが、効き目があったということは、正しかったのかもしれない。
綾時に助けられた自分は、今度は綾時を助けたい。なにより、恩は返さねば。そう彰は思う。

「デスだって...本当は、君が好きなんだ。 ...なのに、 ... 」

先ほど聞かされた両親の事がよみがえりそうになった。それほどショックが酷くはなかったのは、デスが関係していると薄々察していたせいだった。デスを責めれば、ファルロスが自分の事のように悲しむのは明らかだ。いまも泣いている。彼を悲しませたくは無かった。

「ありがとう。 ...もう、泣くな 」

ファルロスが、頭をもたげ、彰を覗き込んだ。
デスよりも澄んだ秋空色の、濡れた眼。 ...そして、綾時の顔で。

「近いうち、僕らは...完全に一つになってしまう。
...そうなったら...二度と逢えないんだね。 アキラに... 」

綾時の姿の内に出現したファルロスは、涙を堪えて顔を上げ、眼を閉じた。

再び自分はファルロスを失うことになるのか。彰はまた心が暗くなってゆくのを感じていた。完全に一つとは、一つになった存在の中に、ファルロスが個として在れないという意味だろうか。 いまのように、少しでも彼だけの領域があったなら、自分はどれほど救われるだろう。

「アキラ、彼...綾時が、教えてくれるって言ってる 」

「...なにを? 」

人格が複数あるというのは大変そうだ、と、彰は思わざるを得ない。頭の中に別個の人格、存在として得た記憶が複数あって、それら同士が会話するなんて。頭がこんがらかりそうだ。

ファルロスの声が、低く穏やかなものへと変化した。

「別れの、惜しみかた... 」




再び開かれた彼の眼は、灰青色の、薄い瞳に変わっていた。
先ほどファルロスだった存在は、デスが覚醒する前の、望月綾時に、なっていた。

「やっと会えた。 ...フフ 」

笑いを忍ばせた綾時の、もぞもぞした身動きが、布団の中の二人の熱を放出し、彰の首筋から頬に温かさを降らせた。

「...綾時、別れの惜しみ方って? 」 想像はつくものの、一応訊いてみる彰だった。

「しんみりするから、言葉はいらない。 ...影時間にも、限りがあるし 」

...言葉の後を追うように、綾時の唇が、デスの乱暴の痕が残る肌をたどり、贖いの心で上塗るように触れた。彼に触れられるのが、こうして求められるのが、何故か当たり前になっている。既成事実の存在と言うのは恐ろしい。彰はちょっぴり自分自身に鳥肌が立った。

「ねぇ彰、僕のこと、 ...嫌い? 」 彰の鳥肌を察知したのか、綾時が妙な気を回す。

「嫌いじゃないけど... 混乱中というか 」 

そういうことは、出会いの最初に訊いてくれ、と彰は胸で呟いた。もうすぐ会えなくなるかもしれないと分かってから、更に何かを残していこうとするなんて...酷いやつだ。

「...なら、今夜はただ、感じて 」 掠れた甘い声がねだり、綾時が彰の身体に手を這わせ始めた。「こんな風に...だんだんその気になっていく、彰が何も言わなくても...その眼に、僕は魅かれるんだ 」

抱きあうよりも軽く身体を寄り添わせ、互いの左手と右手を重ねあわせた綾時によって、彰に描かれてゆく柔らかな濡れ跡は、やがて彼の微かに上下する薄い胸へと移り、あるかなきかの僅かな粒を捕らえて憩った。それは赤子のような貪欲さと愛撫の優しさの手段をもって、彼に新たな性感の疼きを与え、小さな吐息を漏らさせ、枕に頭を擦り付けさせてしまう。
「......んっ 」

これまでの経験により、綾時の行為が持つ終わりを知る彼の眼は、その予感へと向かう始まりに身を置かれ、高まりに濡れながらも憂いを帯びた。しかし、綾時の、要求と贈与を交えて行う吸い付きに、無心に伏せられた睫毛を眺めるうち、彰は、胸に沸き蒸留し、身体の隅々まで満たす”感情”の正体に気付いた。

“愛しさ”―――初めて生まれたそれは、まだ羊水に包まれる胎児のように傷つき易く、たとえ裸身を接する相手に対してさえ、心の内より披露できる段階ではなかった。言葉にのせる代わりに、彼は、綾時の髪に指をうずめ、耳の形を覚えるようになぞり、息をつく肩に手をかけた。そして、変化にみ開かれた眼の色の、持ち主の名を呼んだ。

「綾時 」

唇を離し、問うように見つめる彼を、深い吐息と共に抱き寄せた。おそらく驚きによって一拍途絶えた彼の動きが、喜びと期待への震えを伴い、大らかに彰の全てを抱きすくめた。肢を交差し互いの存在のつぶさを感じ、硬い餓えの顕れさえも圧し付け合い、密か事にしてはあまりにも激しく、口付けを求め合った。

「彰...アキラ... 」 息衝きさえも縛るほどの堅牢な抱擁のさなか、ただ一つ自由なお互いの舌を絡め、綾時は小さくその名を呼び続けた。彰の中性的な貌に咲く、男性的な力強さをもつ交合は、彼に密接して漏らすことなく、全てを吸い、吸われあう。永遠を望み、望まれ織り成される刻の綴れは、彼らが漸く息をつき、小さな接吻を残し...離れることで途絶えた。

「...そんなにされると、...どこまでも...欲しくなっちゃう 」

微笑の内側に、かつてない喜悦を含ませた綾時に、
彰は彼の頬を撫でつつ、哀しみと愛しさを込めて呟いた。

「...また、俺の中に...隠してやれたらな... 」

彼を見つめる微かに光る双眸が、虹彩を滲ませながら潤んでいった。

頬を滑り顎から落ちる熱い滴りを彰に降らせながら、綾時は彼に視線を傾注したまま、シーツの上にすらりと伸ばされた肢の間に跪いた。眼差しで問い、うなずきで許しを得た。

そっと、紅みの浮かび始めた罪深い躯を折り、自身の組んだ脚の上に固定し、綾時は言葉もなく、彰の隠された扉...その鍵を開けるため、舌先で口全体で、蜜の代りに、丁寧に慰撫を施し始めた。

「フ...ンッ... 」 髪を散らす乱れかけのシーツを、縋りつけない綾時の躯のかわりに掴んだ彰の、 いつもは清らかさを感じさせる背筋と腰が、穿たれた小さな蠢きに呼応するかのように、艶めかしく反らされ、淫らに揺らされた。

「ぅんっ...ンッ... ン、 ...ンッ 」 すでに、その行為がもたらす、波の味を知る彼の唇は、後ろを押し開き濡れ惑わすその快感を、貪り捕えるためにきつく結ばれていた。口を開けば、溜まりゆくそれが逃げてしまう、と言いたげに、外には最小限の音しか洩らさなかった。しかし、背を首を仰け反らせ、眉根を寄せ、薄く開かれた目つきで綾時の奉仕を伺う、その悦楽を噛み締める表情は、無意識の媚態となり、綾時を駆り立て、衝動への直進路に縛り付けていくことになった。

「狡いよ、 ...えっち過ぎ 」 溢れる唾液に上擦る声で揶揄しつつも、食い入る視線を外すことができない。綾時は自分を僅かでも長引かせるため、手の甲で拭い、火照りを醒まそうと、曲げられたすべらかな肢に頬と唇を押し当てた。

彰は、静かに呼吸しながら、いましがたの荒波の余韻に身をゆだね眼を閉じていた。次が読めない恐ろしい相手、信頼できぬ相手の前では、決してできない裸での瞑目は、彼の、綾時への信頼の証でもあった。綾時が再び彼の肢を開き、片方を左肩に載せたとき、彰の眼はやはり閉じられたまま、躯をよじりベッドに手をつく事で、彼のとる体位への助けを添えた。

綾時は手を伸ばし、指に心地よい感触の彰の前髪を、軽くかき分けた。反応の全てを知るために。触れられて意図を察し、彼は呟いた。

「...一つだけ頼みが 」

「彰がおねだり? なんなりと 」

「トンじまったら、ちゃんと起こせよ 」

「うわ、プレッシャー感じちゃうな、それ... 」

そして、厳粛に肩の肢を受け止め、腰を支え、彼の肉体に、彼から受肉した身体を捧げ始めた。彰は深呼吸し、長く息を吐いて、綾時のために与うる限り扉を解放した。狭い隙間から心の手を伸ばし、自ら彼をいざなった。

「ッ! ...うぅっ...ぅあっ... 」
その瞬間の衝撃に備えたものの、綾時の儀式で飢えさせられ高まった躯は、ヌメリながら潜り込み、自分を貫きゆく猛った肉の存在感を増幅して伝え、彰に高い声を騰げさせた。皮肉にも同じ肉体による強姦が、彰の道を拡げ、綾時に奮いつき受け入れる余裕を作り上げていた。それに気付かされた彼の、全身の血潮が、不条理な興奮にざわめいた。

「あっ...すご、 いい...気持ちい... 」
綾時の脈打ちを受け入れた彰は、時間をかけて潤わせたその報いに、別の生き物のように舐めしゃぶるような、熱く滴る強烈な快感を、彼に与えた。彰の意図しないその淫らなうねりに誘われ引きずられるまま、奥へ奥へ送り込み、先から根元まで全てを彼の肉壁に収めた。「いっ、ぱいだ...りょ、じが... 」 彰の喘ぎに濡れ開いた唇から、満ち足りた嬌声が漏れた。

それに煽られた綾時は、自分を包む彼の薄い下腹を、扱ごくように撫で、こねまわした。「っ...な、か...熱ッ!...あっ! 」 刺激から守るすべのない内壁を、外側から綾時の昂りにぐりぐりと擦りつけられ、彰は制御不能な段階へと急激に追い立てられていった。「あっ...あぅっ...んっ...あっ、だめぇッ! 」 ぐしゃぐしゃに乱れたシーツと同化しそうなほど、躯をくねらせ、痺れにのたうつ。

「はぁ、いくよ、 ... 」 綾時は締め付けられ蠢かれ、これ以上続けば襲い来るだろう暴発の予兆を怖れた。それでも、さらなる生の高みを目指す本能が、綾時を彰に衝きたてさせ、揺さぶらせたがって喚きだす。興奮を残酷にも抑えながら、ゆっくりと始められたそれは、究極に一つになりたがるお互いの精神が、阻む肉の檻をいかに破るかの手段であり、それ自体が目的でもあった。
「あっ...んっ...んあっ...あっ... 」
「彰...アキラッ...とまらなっ..ごめ.... 」
「...あっ!ああっんっんんっあっあっあっあっあああっ! 」

壊すことを恐怖しながら、壊さんばかりの激しさを止めることができない。彰が自分との性交によって、髪を躯をガクガクと揺さぶられ、極限までのけぞり喜びを露わにし、嬌声をあげつづける有様は、驚愕と驚嘆の両極から綾時の理性を引き裂いていく。

境の定かでは無い忘我の域に至るにつれ、交接を繰り返し生み出される快感の全てが、頭上へ昇華し絶頂へ導かれていく。光が背を貫き昇り、頭を真っ白に灼き、細胞が死滅し、その報いに生命の奔流が堰を切って彰に注がれ始めた。その熱さと勢いを体内に感じた瞬間、彼もまた達し、お互いに、自分が持つ全ての生を相手に捧げつくした。







「...は、」

彰の上に倒れこんだ綾時は、真っ白な灰になった気分を味わっていた。影時間とはいえヤった後に腰が立たない、という経験は初めてのことで、三週間ぶりに受け取った深い充足と虚脱は、コトの後もしばらく彼を、極から極へと漂わせていた。


「...星が、視えた。 ...星の核に、綾時が、いた... 」

彰は、絶頂の瞬間にみた不可思議な幻視を反芻していた。

星の中で胎児のように丸くなる綾時。
彼を前に、剣を掲げる自分の姿が―――



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