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終末の預言
――ヨハネ黙示録 六章 『死神』――
「デス」この名を胸に刻め。
蒼ざめたる馬に跨り、冥府王ハデスを従える者。
彼こそは剣・飢饉・死病・地上の獣をもって、地上の四分の一を破綻せしめる権威。
大地震を引金に、太陽は荒布で塞がれ光を失い、
月は切刻まれ血に染まり、天の星は力尽きて落ちた。
――ヨハネ黙示録 二十章 『審判』――
私はまた、多くの座を見た。
それぞれに座る者たちが決められ、彼らには裁くことが許されていた。
私はまた、救世の皇子の証と神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。
純潔を誓い、獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。
彼らは生き返って救世の皇と共に千年の間統治した。
その他の死者は、千年経つまで生き返らなかった。
これが第一の復活である。
第一の復活に預かる者は、幸いな者、聖なる者である。
この者たちに対して、第二の死は何の力も無い。
彼らは神と救世の皇の祭司となって、千年王国を、救世の皇と共に統治する。
――ヨハネ黙示録 二十一章 『世界』――
私はまた、新しい天と新しい地を見た。
最初の天と最初の地は去っていき、もはや海も無くなった。
そのとき、私は玉座から語りかける偉大な声を聞いた。
「見よ、神の幕屋が人の間にあって、神が人と共にたたずみ、その主となり、人々の眼の涙をことごとく拭い去ってくださる。
もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦も無い。
旧きものは過ぎ去ったからである 」
すると、玉座に座られている方が、
「見よ、私は万物を新しくする 」と言われ、また
「書き記すがよい。これらは信頼に足る、真実である 」と告げた。
「事は成就した。
私はアルファであり、オメガである。
初めであり、終わりである 」
広い天蓋の陰に篭るポロニアン・モールの外では、黄昏の空を通り過ぎる霧雨が風を光らせていた。
豊潤な大気に包まれ薄い虹が架かるひっそりとした土地。ここに人知れず妖しげな魔術を執り行う、ルネサンス時代の錬金術師パラケルススのような青年が住んでいる。彼は実家の薬局『青ひげファーマシー』のアルバイトという、何とも俗世に溶け込んだ一面ももっていた。
薬理学部出たての青年錬金術師、いや薬剤師の江戸川
(なあんか、イヤ~な予感が来たりて笛吹いてんだよな...近頃 )
彼はそれをつまみあげ、眼の前にかざして胡散臭そうに眺めた。緋色の組み合わせ文字で何かのシンボルが描かれている。無精ひげを掻きながら、彼は紙きれをヨレヨレの白衣のポケットに突っ込んだ。
ぶらりと調剤室に戻った彼は、友人がテーブルの上に置いておいたカードの山を崩しているのを見咎め、指を振りたてて抗議の声をあげた。
「あ~、何やってんだイクツキ、触ったらダメダメですよ!
霊的エネルギーとか乱れちゃうだろ、」
「おやおや、失礼 」 幾月はパッと両手をホールドアップをして笑って見せた。 「...変わったカードだねえ、新作かい? 」
「トレードお断り。 ホレ、どいたどいた 」
「別に欲しいわけじゃないさ。
いつもきみが使ってるのと違うみたいだから、覗いただけだよ 」
「あー、これか。 『
「...アポカリプスって、聖書のヨハネ
「そうだ。 ん、おまえクリスチャンだっけな。
タロットは、エジプト・ギリシャ神話や旧約聖書以外にも、
あの預言書に由来する絵が多いんだな。 この死神とか、審判とか 」
江戸川が人差し指でスッと引き出した一枚を、幾月は見下ろした。
「死神...ねえ。
“見よ、人の子の形をした方が、手には鋭い鎌を持っておられた。
天使が神殿より降りて叫ぶ。
『鎌を振り、刈り取られよ。地上の穀物は実った。』”
これなんかそうかな?
...神に仕える農夫が現れる、十四章の場面みたいだよね 」
「そうそう、さすがイクツキ。
今世紀最大の魔術師“エドガー・ケイシー”の解釈はまさにソレだが、
しかし、おれのカードはちょいとばかし違うんだなぁ。
黙示録第六章の『
蒼ざめた馬に乗って黄泉を従え、地上を剣と死病と獣とで蹂躙する、
四騎士のラストナンバーを表している 」
「デス...死病と獣、」 ぼんやりと繰り返した幾月が見つめる禍々しいカード、馬に乗った黒衣の髑髏が描かれたそれには、他のカードとは違う特徴があっ た。アルカナの名称欄が空白になっていて、書かれていない。「どうしてこれだけ、何も書いてないんだろう。DEATHが不吉だから? 」
「不吉...ああ、そういう見方もあるかもな...
でも、何も書いてないのがもう一つあってな。 愚者の“ゼロ”ってのがそうだ。
番号の無い『愚者』と、名前の無い『死神』。これは同一人物の生と死を描いているのだよ 」
「二枚で一人か... なるほどね 」 腕を組んだ彼に肯きながら、江戸川は手早くカードを集めて山に戻した。
「まあ元ネタが違っても、要は普遍的なエネルギーをカードから引き出せればいいんだ。
重要なのは手札と使い途の相性だからな。
聖ヨハネが終末を幻視した預言書である黙示録に、
全てのアルカナの寓意が隠されていると、おれは仮定した。
そして研究開発したのが、この“黙示録カード”だ。
おれの
アテュってーのは、あれだ、大アルカナの事だ。
詳しくはこれを読め、江戸川デッキ・大全集、書きかけで極秘だが、特別にコピーしといてやろう 」
「はいはい、ありがとう 」 どっちにしても、わからないよ。と、幾月は肩をすくめた。「そもそも、江戸川センセイが夢中になってるそれ...タロットってなんなの? 」
錬金術師はデキの悪い弟子を見るような心底呆れた眼差しを向けた。
そして、薄笑いを浮かべた幾月に人差し指を突きつけた。
「おまえ、いつもながら、よくそういうことを簡単に言えるもんだな。
それをおれに説明させるなら、立ったままガイコツに朽ち果てる覚悟をしておけ 」
彼は眼を閉じ、念じるように語り始める。
「はじめに言葉ありき、アルファはオメガへ。
宇宙
まさに小宇宙とは人間そのものである。
タロットには、東西の占術、数秘術、錬金術、カバラ、ギリシャ神話、ミトラ、ヘルメス思想、エジプト密儀、東洋哲学、キリスト教神秘主義などなどなど...
ありとあらゆる世界の秘儀が複雑に、流動的に組み合わされている。
ま、エルサレムのユダヤ神秘主義者の手で確立されたカードが、一般的に使われてる物だがな。
...眼が虚ろになってるが、そんな調子で講義の初日は乗りきれそうかね? ん? 」
棒でも呑んだように突っ立って視線を彷徨わせていた幾月は、数秒遅れて江戸川を見た。
「...あ、ごめんごめん。 遠慮しとこう。せっかくだけどいま...
“アルカナはどこにあるかな?” とか、そーいう事しか考えてなかった。 むはは 」
首に手をあて醒めた表情になった江戸川は、何かを思いついた。「お前にぴったりの、
「...これだ。 通称、人魚の魔女薬と呼ぶ 」
「ふむ、マッスルドリンコみたいだな。
ちなみに、今度の効果は? 」 幾月はそれを受け取ることなく、疑わしそうに眺めた。
「テキメンに咽喉が潰れて声が出なくなる。 さあ、飲むんだ!
なんじ災なる舌とギャグ持つ蛇よ、さっさとアッシャー界へ帰還するがよい! 」
江戸川は呪いの言葉を吐きながら実験対象に飛びかかった。羽交い絞めにされビンの口を押し付けられ、彼の薬の恐ろしさをイヤというほど知り尽くしている幾月は、必死にもがいて両手を振り回した。
「わっぷ、えええ江戸川、お、落ち着いて、ハイ、しッ深呼吸して~ 」
「抵抗してはならん! to know, to will, to dare, to be silent!
今まさに世の浄化のため、我は敢行するのだあ! 」
背後に雷鳴を轟かせ粛清をかけていた牧師もとい薬剤師がようやく諦めたのは、揉み合う内にビンの中の液体がすっかりこぼれてしまった後だった。すさまじい乱闘に疲れ果て、ヨロヨロと離れた二人は、それぞれ飛ばされたメガネを拾い上げてハァハァと棚に寄りかかった。
「ぜぇーぜぇー、 ...わかったか!
おまえのくだらん質問や冗談は以後永久に禁ずる!
素質のある奴しか、オレさまの弟子にはなれんのだ。
お笑いの師匠だって同じ事を言うだろう。これは予言ではない、断言だ 」
幾月の方はといえば、江戸川の冷徹なる裁きはそっちのけで、キョロキョロと服がよごれていないかと点検していた。そして奇跡的に濡れずにすんだスーツにホッとして、顔をあげた。
「んははは... まあ、そう言わずに。
じゃ、薬はもらっていくよ。
いやその、魔女の方じゃなくてだね...さっき調剤してもらったやつ 」
「あ、そう 」 やんわりと回避された江戸川は、新たに出した水薬を残念そうに引っ込めた。ガサガサと袋を出して錠剤を入れた後、領収書を打ち出す。
幾月が置いた料金と引き換えにそれを渡しながら、彼はふと神妙な顔になり、首を傾げた。
「あのな。 処方箋出されちゃ渡すしかないが、おまえ...あんまそれ、飲やりすぎるなよ。
習慣性の強い薬なんだからな 」
「ああうん... 判ってる。 いまはちょっと酷いんでね。
じゃ、親父さんによろしく 」
微笑みと無表情の間で唇を吊り上げた幾月がドアへ向かうのを見ることなく、江戸川はレジに代金を放り込んだ。
「うい、毎度~ 」
(...最近見ないなぁ、イクツキといっつも一緒に居た医者... )
一人になった店内、首を振り振りカウンターに肘をついた江戸川は、
先ほどの不気味なビラを白衣から引っ張り出して、もう一度とっくりと眺めた。
「エックス、エヌ、ワイ。 銀の円、血文字。
インディオ神話の
...違うな、これは六章の血の月だ。
つうことは、
万事解決とばかりに、ビラをクシャクシャに丸めた彼だったが、
それをゴミ箱に捨てる寸前、「あ 」っと一声洩らして手を止めた。
そして手の中の紙クズを見つめ、愕然と呟いた。
「まさか......奴らが? 」
マンションに着いて駐輪場に自転車を置いた後、僕は小雨に濡れた肩を払った。こういう天気の悪い日に外へ出なくてはならない事を考えると、免許を取るべきか悩む。
車か...
...無理だな、僕には。
玄関のライトを点けて部屋に入ると、真っ暗な隅にいた彼がもぞもぞ動いて、まぶしそうに毛布から顔を出した。
「ただいま、戻ったよ 」
「...うぅ、あ。 あぁぁ 」
「どれがいいかな。 君の好み全然知らないから、テキトーに買ってきちゃったけど 」
おかゆのレトルトパウチで一杯のレジ袋から今晩の食事を品定めしていると、床を転がったり這ったりしながら、彼が足元に擦り寄ってきた。
3日前までは、いちおう直立出来てたのに...もうここまで進行してしまったか。
「ふーむ。 他の奴らより劣化が激しいねえ 」
このままではそのうち、一人で排泄が出来なくなるかもしれない。
そうなったら...どうしようか。施設に預けるわけにもいかないし。
...やっぱり、何らかの権力をもたないと不便だ。
桐条の力を自由に利用できる立場が欲しいな...
「うー。 ...ぅぅぁあ。あ 」
...あんなに表情豊かな男だったのに。
他の被験者と同じようにすっかり表情筋がゆるんで、雨ざらしの
「あー。 ぁぁ... うあぅ、」
ズボンの裾を引っ張ったり、膝に抱きついたり。
動作はとてもゆっくりだが、その生態は1歳位の幼児に似ている。
こちらを見上げて、開けっぱなしの口から涎を垂らしてるところなんか、そっくりだ。
「嬉しいのかい? それとも、悲しいのかな...
ここじゃ脳波を調べられないから、判らないね 」
口を拭いてやろうとして、顔に触った。
...そういえば彼に自分から触るのはこれが初めてだと気づいて、自分でも驚いた。
他人に触るなんて、普通なら絶対ありえないが...
...そうか。 さわれるのは、反抗されたり拒絶される心配が無いせいか。
誰かがこの部屋に居る、そんなことはこれが初めてなのに。
もっと緊張してもおかしくないのに、僕は全く素のままでいられる。
シャドウが無いだけで、人間はこんなに安心できる存在になれる...
「世界中、僕以外の人がみんなこうだったら...
いや、それは困るかな? 生活できなくなってしまうね。
...ある程度の数は、シャドウをコントロールできる人間が居ないと駄目か 」
こちらの話を理解できてるのかいないのか、彼は僕にしがみついて身体を揺らした。
「...うう、あぅっぅぅぅ... 」
まともな内の一人になりたかったと言いたいように。
「仕方ないだろう? ...君は“私”に興味を持ち過ぎたよ。
他人に踏み込むときは、もっと気をつけないとね。
君みたいなお節介の知りたがりを、苦痛にしか感じられない人間だって居るんだよ 」
「うー。 ...あ、」
「ははは、同じ精神科医の癖に、僕がどんな人間か解らなかったのかい? 」
「...ぅぅぅ、あぅう、」 首を傾けて見上げる様子がなんだか無性に子供っぽくて笑ってしまった。
「ふふっ ...すまないね。
こうなっちゃもう、いいさ。 ...どうでも 」
睡眠導入剤入りの食事を与えようと思ったが、どうせこぼすだろうから、床に座ってスプーンで一口一口与えてやることにした。その間中、身体をだらんと弛緩させ、真っ暗な瞳で呆けたように僕を見ている。
こんな目に遭わせた人間が誰か解っているはずなのに、この無防備さは何だろう。
...まるで、楽園のアダムのようだ。
何の疑いも無く、僕が与えるモノを口に入れて、飲み込んでる...
次第にひろがる、初めて感じるような..暖かい感情に戸惑った。
神がアダムを創り、庇護していた時の気持ちって...
「...僕だけの、人間か... 」
「ん...ぁああ、あー。あー 」
「言葉を話せないっていうのも...良いものだね。 ペット・セラピーみたいな効果があるのかねえ 」
シャドウが抜けた初期段階のテストでは、言語性IQが著しく衰えていた。
論理的思考は可能だが、それを言葉にしたり、動作に結びつけることが出来ないらしい。
丁度、重度の鬱か無気力のようだ...
習慣的な事はなんとかできるが、複雑には動けない状態、とでもいうのか。
喜怒哀楽といった情緒も、一切無くなっているのかもしれない。
経過観察を進めながら、いろいろ薬を試してみるか...
この人は、病院にいる被験者とはちょっと反応が違うようだ。
まず第一に、患者のほうは、こんな風に僕にベタベタ触ったりはしてこない。
「う、うう。 うぅぅぅ... 」
「保護者を求める本能が優先してるのかな...
病院にいる被験者のほうはソレすら無いみたいだけど。 ...君って変種なのかい?」
「あーう、ああぁー、」
「はいはい、もうちょっとあーんして。 口から食べないと胃腸が運動不足で衰えるよ。
一生点滴は、さすがに味気ないだろう? 」
はは、悪意も好意も自我も無い真っ白な人間て、ほんと安心できるね。
考えたことも無かったけど、mental retardation専門なら、臨床医になっても良かったな。
二袋平らげてお腹が一杯になったのか、でかい図体でごろんと僕の膝にひっくり返った。
慌てて身を引いたが間に合わなかった。重い。
このままじゃいずれ足が痺れる。ちょっとずつ身体をずらして足を伸ばした。
抱きついたまま倒れた彼は、僕の太腿に頬擦りしてるようにもみえた。
今にも眠りそうに薄眼をあけて...
力が入らず曲がらない指のまま、盲目の人が彫像でも撫でるように僕を確かめている。
そっと手をどけても、また同じことを繰り返す。
こちらが諦めるまで続けそうだ。
こうなる前から、話して解かる相手じゃなかったしなあ...
「君のスキンシップ好きは、先天的なものもあるのかな...
...前にも言ったろう? 僕はヒトに触られるのが厭なんだよ 」
「...う、うぅぅ... 」
手首を払って脚で押さえつけたら、どことなくむずかるような声を出した。
昼間は放置されたままだから、人恋しいのかな。
うーん、変なケースだ。
他のサンプルは、そういう情動も失くしてるのに。
...まだまだデータ不足なのか。 増やさなくては...
悲しそうな顔になった気がしたので、仕方なく手を自由にしてやった。
再び身体を触られる感触、それが嫌で、微かな吐き気がこみ上げる。
...薬が効くまでの辛抱だ。
「...は、 ...わかった。 好きなだけ触っていい。
いまの君はまるっきり赤ちゃんだ。 何とか、我慢できるさ... 」
「......う...ぁ、」
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