Persona3小説 Seven. 頽廃へ 忍者ブログ

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Seven. 頽廃へ



純潔を保つ人間ほど、私の手に堕ちやすい者は無い。

禁欲は、淫蕩を呼び覚ます。
孤独のさなかで燃え上がる、淫らな夢。
理性と肉体の束縛から、影は逃れようと這い出す。

欠けたる人間よ、
私が贈る夢魔を受け取れ!

失われた半身を望み、欲し、喰らうがいい。
それだけがお前を満たすだろう。


クク...

...そうだ、
喰らえ! もっとだ!

フフフ... ハハハハッ
...人間よ、貴様は天使になど成れんぞ...

ク...ククク
視ろ...あれが何か分るか? 名も無き孤高の王よ。

人の生はな.. 
汚穢(おわい)から理想へ、理想から汚穢(おわい)への往復運動に過ぎない。

その迷いの振り子は、人間に存在理由を渇望させる。

それを得たと思い込んだ者が
“答え”なるものをこの意識の海に放つのだ。

人間が思い込んだものは全て、ここにある。

人間が信じたものは全て、この小宇宙に集う。

嗤えるだろう? 自らを滅するモノを創りだしたのは人間自身だ。
そして自らを救うモノもな。

彼ら全てが腐り死ぬまでの、意味の無い繰り返しだ...

貴様はその無間地獄に終わりを与え
そこに
ただ独り残る、清浄な虚無だ。

貴様が告げる滅びによって
宇宙の記憶に封殺された、神々の監禁は無に帰す。

吸われ尽くした混沌の後に満ちるのは、虚空だ。

アエテルの光もエレボスの闇も消え失せ、
永劫続くであろう、美しい“無”なのだ.. 貴様は、な。

ほうら...呼び声が聴こえるだろう?
時空をこだまする、あの騒々しい呼び声が。


あれは、
貴様の誕生を望む声だ...






私はその日、朝から外の工房で溶接作業をしていた。


シャッターを開け放した広い間口からは晩秋の涼しい風が流れ込んでいた。私は大きな溶接ロボットが放つアークの青白い光を調節中だった。例の辰巳に出来たラボからの発注で、特殊な規格の外装を作っていたのだ。

ラボ。――厳戸台にあったエルゴノミクス研究所は、昨年、辰巳の人工島に移転した。桐条の学園都市の中央に建つ、まるで塔のような円柱の建造物。朝、出社のために駅に向かうときに自ずと眼に入るのだが、その度に漠然とした不自然さや不安を感じて仕方が無かった。

どうして、大学や大学院の傍ではなく、高校の近くに研究所を建てたのだろう。

普通そのような専門機関は、人材を調達し共同研究が可能な学部に併設するものだ。
...不自然だと思う。

でも、私以外の周囲は、特にそう感じてはいないようだった。
丁度、島内で空いていた広い土地がそこしかなかったのだろう、と同僚も言っていた。

自由に電力拡張のできる桐条お膝元の島に建った、不思議な塔...その『エルゴノミクス研究所』への異動の打診が私に来たのは、つい先月のことだった。

それは、通常の異動とは様子が全く異なっていた。
最初に渡された守秘義務要項が並ぶ契約書らしきものを前に、私は悩んだ。
エルゴ研究所に入る前は、研究目的や必要なスキルについて一切教えてはもらえない。
その代わり、保障や給与・賞与は大幅にアップする。

また研究所内で得た情報は、所属中はもちろん退職後も、いかなる理由があろうと誰にも
漏洩(ろうえい)し てはならない。企業秘密に属するものであれば不思議ではないかもしれないが、問題は、その“いかなる理由”の中に裁判や刑事訴訟、法に関する事まで含まれていることだ。これはつまり、研究所で何か事件が起こっても一切公の場で証言してはならない、という拘束を意味する。むしろこれは違法ではないのか。

私は自分の倫理観がとくに優れているとは思っていないが、このように束縛を多くせざるを得ない研究...そこになにか後ろ暗さを感じてしまい、上司にす ぐ返事をすることが出来なかった。裏腹に、これだけの莫大な資金を投入して行なわれている研究とはいったい何なのか? という強烈な興味にも当然誘われ た。迷いの内に私は、自分がどこか深くて暗い森の中を、うろうろと彷徨っている気分に沈んでいった。


あの人は、そんな私の迷いの中に現れた。

背後からかけられた声は、かつて胸に刺さったまま今も残る記憶に触れ、なぞりあげた。その瞬間、私は全てを攫われたように動けなくなった。頬が熱くなり、心臓が逸りだす。それを押さえた自分の手は、おかしいほど震えていた。期待なのか虚しさなのか曖昧なまま、私は振り返った。

脱いだ薄いコートを手にかけて、外の光を背に薄暗い工房の入り口に彼は立っていた。

「岳羽先生... 」

貴方の名をこうして呼ぶ日が再びくるなんて。
記憶の中の気弱げな笑みは、わずかな時の経過の痕を残して目の前にあった。
かつて私の恩師であった人、岳羽詠一郎...
その人は、自分の求める学究の、先駆的存在だった。
彼に学び、手法や思想に憧れるうち、それは徐々に苦しみを伴う混迷に変わって行った。
私は、彼の才能に憧れているのか。それとも、それを含む姿や身体全てに憧れているのか。

自分の感情の正体が分らなかった。
彼の唱える概念や研究によって急激に私の物の見方は変わり、それよってあの頃の私は全く新しい私に改革された。初めは弟子として捧げた純粋な尊敬だった筈の気持ち...それがなぜ、夜毎に彼を思い浮かべ体を熱くさせ、寂しがらせる情念に変わってしまったのだろう。
女だからだ、とは思えなかった。
そんな一般化は無意味だ。こんな事が、全ての女性に起こる訳ではないのだから...

近づいてきた彼が懐かしげに微笑み、私が再び口を開くまでの間、
諸々の感情や記憶がさざなみのように心と体に押し寄せてきた。

「う、嘘でしょう、どうして...ここに?

先生が、助教授職を退かれたと聞いた時は...私... 」

もう二度と会えないと思ったのに。その彼の表情は、両手で口を押さえた私の眼に浮かんでいるだろう涙を認めて更に笑い目になった。彼は手を伸ばし、私の頬骨を指で拭った。

「...ありがとう。 君が元気そうで良かった 」

全身に満ち足りたやすらぎが舞い降りてきたというのに、心臓の鼓動が外へ聞こえてしまいそうに高鳴っている。社外秘の工房にこうして入れるということは、彼は...

「でも、同じ桐条にいらっしゃったなんて、吃驚しました...いつからこちらに? 」

「...もう、3年前になるかな。

あの頃、私が着手したかった研究には、莫大な資金が必要だった。
だが私は、学会を追放されたも同然の人間だ。
どの大学も研究所も招き入れてはくれず、途方にくれていたものだ 」

彼は僅かに眼を伏せた。私もなぜか一緒に地面を見てしまった。彼が苦しかった時に傍にいられなかった悔しさなのか、彼の敗残の姿を見つめるのをためらったのか...自分でもわからない。

「...立てないときというのは、本当に立てないものだね。
私は、前途になんの光も見出せなかった。
毎日が、ただ虚ろで...何の意味も無い 」

何か言いたい。そう思って唇を開いて息を吸い込んだ。
なんでもいい、心を言葉に変えて捧げたいと願ったのに。
何も出てこない... かけるべき言葉が見つからなかった。
私にとって彼は天才であって、それは誰もがひれ伏すべき存在だった。

誰か別の人間について話しているような気さえする。
虚ろな彼が全く想像できず戸惑う私には気づかないまま、
彼は顔をあげて遠くを見るような顔つきになった。

「そんな時だった... 教授が、桐条の周辺研究機関の口を紹介してくださったのは 」

私に視線を移した彼は真面目な表情になって、いまに至った自分の状況を説明してくれた。まさか彼が辰巳のエルゴ研の主任研究員だったなんて。私が参入の 承諾を躊躇っている間にも、ずっと彼はあそこにいたのだ。私が毎朝眺めては不審がっていた、あの塔に。少し滑稽な気持ちになった。

「説明する前に、君には知っておいて欲しい。
...私がエルゴ研で行う研究開発の本当の目的は、ご当主に上程した計画とは違う。
あれは、桐条をスポンサーにつかせるための建前にすぎない。

当初、ご当主に持ちかけたのは、ある新種の物質を使ってのゲノム構築法だ。
再生医療のアプローチとしてね。

発見された物質、私たちは黄昏の羽根と呼んでいるが、それは無機物と有機物の間にある垣根を取り払い、接続するものだった。
これを利用すれば...適切に天然ゲノムを破壊し、そこに選択的に設計した人工ゲノムを置き換えることが可能だ。飛躍して例えるなら、必要な養分補給さえあれば、人の脳を搭載したマシンを造る事が出来る 」

「人工設計が可能な、細胞の創出...ということですか 」

「そうだ。
成功すれば、脳が死ぬまで人は生き続けることが可能になる。
それだけじゃない。
メモリーに記憶をバックアップすることで、脳さえも人工化することが出来るかもしれない。
もしそうなれば、人類が手に入れるのは...永遠だ 」

「...にわかには、信じがたいお話ですね 」 私は唖然とした。いくら尊敬する師とはいえ、何の実感も得られない話だ。

「君がそう思うのも無理は無い...
...黄昏の羽根は、そのような未来を予測させる奇跡だった。
私はご当主から賛意を戴き、必要な資金と施設の提供を受ける事ができた。

だが...やはり... 」

不意に感情のよみにくい顔になった彼を、私はまじまじと見つめた。
彼の暗い眼はその一瞬光を失い、虚ろさと不安を帯びた。

「...奇跡には、代償が必要なのだね 」

「代償って、何ですか? 」

それを話すには、自分の元に来てくれる事が必須なのだと、彼はつぶやいた。

「私には、必ず果たさねばならない目的がある。
もう、私の理論は完成している。
人工知能に人と同じ精神を与える...その方法だ。
心理分析を取り入れ、人間にあって機械に欠けるものを補い、機械と精神を融合させる。

学会の誰にも理解されなかった思想だ。 だが、黄昏の羽根はそれを実現させた。
私の理論は現実になり、――後は、私が望む人類の未来に向けて、これから造り上げる子供達を旅立たせるだけだ。
桐条に、私は真意を明らかにしなかった。
彼らはきっと私の理想を理解しない.. ..私を
放逐(ほうちく)した人々のように。
だから、このことは秘密裡に進めなくてはならない 」

そしてまた私を見つめて微笑むと、彼は握手を求めるように手を差し出した。
その時、左腕にかけていたコートがずれ、彼の左手に輝く誓いの指輪が視界に入った。

「だが、君には...君だけにはぜひ、僕の真実の手助けをして欲しい。
頼む... 僕を、傍で支えてくれないか 」


...私は、彼の手を、―――









刑事部屋で大きく椅子にもたれかかり、受話器を耳に当てたまま、黒沢はむっつりと目の前の固定電話を睨みつけていた。時差を考慮して様々な時間帯にかけているというのに、一向に相手が捕まらず、もう三日間になる。
苛々と息を吐いて受話器を置こうとしたとき、プツンとコール音が途絶えた。

「...Hello?」

榊貴(さかき)隆一さんで、間違いありませんか 」

彼は身を乗り出し、咳き込んで尋ねた。しばしの沈黙の後に続いた男の声は若く、自分と大差ない年齢を想像させるものだった。

「...はい、そうですが 」 距離の遠さを感じるそれは耳に快い声音だった。だが明らかに警戒の響きを含んでいる。

「初めまして。
私は東京都港区警察署捜査一課の黒沢と申します。
貴方は以前N.Y.Xという宗教団体に在籍されていましたよね? 」

手帳を開いて拳で伸ばしながら、黒沢はボールペンを握り締めた。以前うっかり金具のスナップを止め忘れた警察手帳がデート中のジェットコースターから振り飛ばされ弧を描いて飛んでいった時以来、用心深い。そういった心の隙で、この機会を逃がすわけには絶対いかないのだ。

「捜査一課...刑事さんですか。
ええ、3年前まではいました。
...ですが、いまはもう何の関係もありません 」

職分を名乗っても、淡々と感情を抑えた相手の声色に、変化は無かった。

「その件について、確認させて頂きたい事がございまして...貴方を捜していました 」

「私をですか... なんでしょう 」

「貴方が3年前にN.Y.X教団からの脱退を決意した、その経緯についてです 」

「...あれは... 」

そう言ったきり、榊貴隆一は黙った。黒沢はコツコツとペンで手帳を突付きながら待っていたが、微かな息づかい以外なにも伝わってこないので、言葉を続けた。

「...我々はいま、N.Y.Xが関わるとみられる殺人事件を追っているのです。
ご存知でしょうか、昨年の九月に港区白河通りで起こった、ジャーナリストの惨殺事件。

貴方は過去、N.Y.Xの中枢に携わっていた方だ。
それが文化庁宗務課の仲介を得て、法の力で信仰をお捨てになった。

その時の状況について、幾つか事実確認をさせて頂きたい。
...捜査にご協力願えませんか 」

「ああ、あの...日本の新聞で読みました。 ですが... 」

きっぱりとした要請に榊貴の口調がゆらぎ、変化した。何か迷ったようだが決心し、ごくりと咽喉を鳴らした。

「...黒沢さん、とおっしゃいましたね。
貴方が絶対にN.Y.Xの関係者では無いということが、どうして私にわかります? 」

ポカンとした黒沢は、なるほどそうかと納得し、慌てて否定した。

「おれ.. いや私がN.Y.X教の信者だなんてとんでもない!
うちは先祖代々、筋金入りの氏子ですよ。
家族全員、朝は神棚にかしわ手を打ち、お祭りでは御輿を担ぐのです 」

「はぁ、神社の。 しかし... 」

とってつけたような言い訳とでも取られたのだろうか。相手の声に再び警戒の色が戻るのを感じ、黒沢は唸った。今すぐ自分の言を証明する手立ては一つしかない。部署内にいる他の刑事にちらっと視線を走らせ、彼は決心して大きく息を吸った。


「...信じて頂けないなら仕方がない。 ここはひとつ、
祝詞(のりと)を一席ぶちましょうか 」

「は、のりと? 」

「神様にご挨拶やお願いを申し上げる時の言霊ですよ。 えー、では...そうだな。

氏神(うじがみ)常世長鳴鳥(とこよながなきどり)が活躍した岩戸開きで奏上されたという、天津祝詞(あまつのりと)でいきましょう。
ちとウロ覚えですが、私は神主じゃないのでご容赦願います。
エヘン。

高天原に神留坐ゥ~
神魯岐神魯美の詔以てェ~
皇御祖神伊邪那岐大神ィ~... 」

朗々と神徳を称え始めた刑事の一芸を、あっけに取られて聴いていた榊貴だったが、何を言っているのかさっぱり内容が分らない上に、本物かデマカセかも分 らない。これ以上聴いても無駄だと判断した彼は、ノッてきた黒沢を途中で強引に遮った。いっぽう黒沢は、周りで笑いだした刑事を目つきと手振りで威嚇して いた。

「わ..っかりましたわかりました、もう結構です、結構ですから! ...変わった刑事さんだな 」

黒沢はにやりとしながら祝詞をやめた。ムッとした声を作って、目前の天の岩戸を開くべく、早口で唱えはじめる。

「...ヒフミヨイムナヤコト モチロ ラネシキル
ユヰツ ワヌソヲ タハクメカ
ウオヱニサリヘテノマスアセエホレケ!

はぁ...なんてことを。神威ある祝詞を中断させるとは榊貴さん、どういうおつもりですか!?

今の
祓詞(はらいことば)はアフターケアです。
貴方に神罰が下っては大変ですからな。 くわばらくわばら... 」


語気の強い恩着せがましい口調に、榊貴はすっかり萎縮したようだった。

「す、すいません、どのくらい続いてしまうのかと心配だったもので...失礼しました。
貴方がN.Y.Xではないのは解りました。 ただ... 」

「...まだ聴き足りないですか。 では稲荷祝詞をいきますか 」

即座に相手がしどろもどろに断りはじめるのを聞き、黒沢はぐっと渋面を作った。やがて榊貴は、どう切り出そうかと慎重に言葉を選びながら、声を潜めて話し始めた。

「こう申し上げてはなんですが...
貴方がた警察に、あの教団の闇を暴く事ができるのですか。

N.Y.Xの太秦洋子...近年全く表に出ず、死亡説まで流れていますが、あの女帝が過去にふるった猛威は、既に日本の隅々にまで及んでいる。
与党やマスコミ、人権委員会の中にさえ、多くの信者がいるはずです。

だからこそ今まで、教団の反社会的行動を、誰一人糾弾することが出来なかった。

彼らN.Y.Xは、日本の国教になろうと画策し...
膨大な信者の票を使って政党を影から操っている。
...もう、日本は駄目だ。

私は、祖国に絶望したのです。

...黒沢さん、教えてください。いまの警察に、何がおできになるのか 」

次第に低くなってゆく榊貴の声を、黒沢は相槌をうちながら静かに聞いていた。最後の問いかけに混じる悲しさに、彼は一瞬、捜査と組織の現状に思いを馳せた。それらを振り払って真剣に訴えた。

「万が一、刑事告訴にもちこめなかったとしても、私は一人で何年かけても捜査を続けるつもりです。
被害者が遺した...あれが事実であれば、野放しに出来るものか!

だから、全てを話して欲しいんだ榊貴さん。貴方に危害が及ぶような真似はしないと約束する。
証拠が全く足りないんだ。 どうかこの通りです 」

「...亡くなられた方は、銃殺されたそうですね。信者だったのですか? 」

「被害者が信者ではない事はハッキリしています。
実家には仏壇がありましたが、彼自身は何の宗教にも属していなかった 」

「それでも、殺されたあげく身体を切り刻まれたんだ。 貴方だって、怖いでしょう 」

「そうですな...昔の阿部定事件を連想させるような、惨い状況でした。
だからこそ、私は被害者の無念を晴らしたい。
私の事ならご心配なく、蛇の道はヘビだ。

過去にN.Y.Xを追っていたジャーナリストが何人か、不審な死を遂げている。
だがどれも証拠不十分で、起訴すらできなかった。
あの教団には、何かある。それも、政治家の力などではない。
もっと違う...得体の知れない、何かだ 」

監視カメラの謎、そして陰惨な事件現場。まるで本当に優子が言う透明人間が犯人であるかのような、全くの痕跡の無さ。それら全てに対して感じる不気味な怖気。黒沢の言葉に言外に込められた意味に、榊貴は肯いた。

「...中枢といっても、私がまかされていたのは金勘定ですよ。
信者から吸い上げたカネを蓄え、各方面に効果的にバラまく。

貴方がおっしゃるような“得体の知れない教義”の秘密については、
専門部署があり、真の秘蹟は役員でも知る者は限られていた 」

「ひせき? とは何ですか 」

「私が知っているのは、それが一部では
聖痕(みしるし)、聖なる適性と呼ばれていた事です。
神の使命を帯びた者にだけ与えられる、特別な加護がある...そう聞きました 」

「ふむ。適性...何か眼に見える印をつけられるということで? 」

「いや、そういうものとはまた違う。
そもそも身体に眼に見えて現れる
聖痕(スティグマ)
の原因は、信仰による強烈な自己暗示ですが、全ての話を総合するに、N.Y.Xのあれは...
何か人知を超えた体験をしているような印象でした。

世間の人やステージの低い信者には視えない時を過ごしてるかのような。
でも、それを得るには、非常に危険な代償が必要なのだとか。

私には、その代償に心当たりがあった。
長年、教団のカネの流れという俗臭面に浸かって辟易していた私は、もうN.Y.Xの邪悪さに耐えられなくなり、教団を去ったんです 」

「..なるほど。 代償とおっしゃいますと? 」

「精神崩壊しかねない危険を信者に強いることです。

...いま思えば、あれは“適性”を得るための儀式だったのだろうか...

選ばれた者は...
不思議な輝く石の鏡みたいな物の前で、何日も孤独に断食をするのです。
まるで、苦行者の様に、祈り続ける... 」

「何を祈るんですか? 」

どこか遠いところに運ばれてしまったような声になっていた榊貴は、黒沼の質問にハッと我を取り戻した。そして、すまなそうな口ぶりで、こう言った。

「申し訳ない。 それだけは言う訳にはいかない。

神の真の名は、みだりに口にしてはいけない。
それが離脱の、官庁を介した表向きの条件でした。

裏の条件はN.Y.Xの絶対的な掟、それは『一切を語るな』です。
それで私は、こうして生かされている。
もしも誓約を違えれば、きっと天使が迎えに来るでしょう 」

最後に榊貴は、「いま話した事がギリギリの譲歩 」と語り、いとまを告げて電話を切った。

受話器を置いた黒沢は、デスクの上に置いた電話番号リストの榊貴の欄に済印を押した。

そして、リストの一番上にありながら、全くの行方知れずになっている人物の名前を見つめ、長い間考え込んだ。



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