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天使は時に、殺人鬼を演じなくちゃいけない。
裏ぶれた感じの小路にある倉庫には、ありがたいことに女神の光が届く窓があった。
首尾のよさに上機嫌になって鹿皮のローピング・グローブを脱いでいく。
女神の
「これさ...あんまりぴったりしたモノを選んだら、
外科手術でもしなきゃ脱げないって聞いたよ。
...でも、大丈夫。
もともとアメ公のカウボーイがはめるものだし、
オレの手にはちょっと大きいくらいだからね 」
生暖かい皮を鼻に押し当てて嗅ぐと、幸福の微粒子で胸がいっぱいになる。
母親にバッグで殴られて育ったガキの頃は、この匂いと切れた口に広がる血の味とがオレの充実だった。
「...好きなんだ。 この肌触りとニオイ 」
死んだ細胞の滑らかさ。それが
残像を曳いてオレを吹っ飛ばす懐かしい殴打がよみがえり、心臓が興奮で締めつけられる。
深呼吸を繰り返すたび、首や身体に巻いたチェーンが擦れて、シャラシャラ歌った。
肉体を拘束してくれるものなら、なんでも好きだ。
鎖は逃げたくても逃げられない、追い詰められた愛の快感をくれる。
「アンタにも何かお気に入りはあるの? 」
脱いだものを黒い皮コートのポケットに仕舞ってから、大切な大蛇をキズつけないように、そっとホルダーから外していく。すると、女神に捧げてもう無いはずのペニスが鞘からカオを出したような、痺れるような臨戦前の気持ちになっていく。銃が脈を打って嬉しがっているのを感じた。
「なあ、訊きたいんだけどさ。 アンタは生きてて幸せだった? 」
洗礼を受けた日の去勢の傷はとっくに癒えた。
だが、酷薄な痛みの記憶は残る...
それがイヤなら、なるべく頻繁に檻の外へ引きずり出して、弄ぶのがいい。
手垢にまみれた記憶はもう、もとの残酷な輝きを失っているはずだ。
思い出の中の痣だらけの
「やれやれ、ホントに無口だな...
アンタに老後があったなら、さぞかし寂しい余生だろうね 」
ため息をついて、そちらへ行く。
途端に男がもがきだし、壁際の酒瓶が倒れる音がした。
歯軋りの合間にキチガイとか言った様な気がする。
「そんな凄いカオするなって。 オレはマトモだよ...多分 」
故郷のシーサーと見紛う形相にはあきれたが、汚い床で芋虫みたいにくねくねしたのは身体を起こすためだったらしい。雑誌記者はこの時間の光でもわかるほど埃で真っ黒になっていた。
一言云えば抱き起こしてやったのに。
向こうはガンを飛ばし続けてるが、こっちはとっときの笑顔で返してやった。
「...どうせこれから皆、死ぬか救済されるかのどっちかなんだ。
Darknessの時間は誰もが棺桶でおネンネしてる。
だーれもアンタの悲鳴を聴いちゃくれないけど、叫びたかったら遠慮はするなよ 」
そいつはヒトの親切を無視して、叫ぶ代わりにちょっとだけ顎を上げた。
「やっぱり、N.Y.Xの噂は本当だったか 」
初めて口を利いたというのに非常にどうでもよさそうに喋るから、まともに応えるべきかあしらった方がいいのか迷ってしまった。いちおう使命もあることだし、何を話すか悩みながら装填をチェックして、それから口を開いた。
「どんな噂かは知らないけどね...
今までブン屋の蟻どもがN.Y.Xの蜜に群がるのを、オレたち死告天使はこうして片っ端から潰してきた。
ま、あの女...
...なんだけど、悪いが最期に一発やりたかったら、この銃が相手だ。 よーく考えてくれ 」
死の矛先を見る表情は人それぞれだ。素っ頓狂な顔のまま死ぬヤツが大半だけど、時々いまみたいにジッと見つめられる時がある。子供相手がそうだ。年寄りはさすがに年季が違う。長く生き続けてきただけあって、一番ブザマに生に執着するのは彼らだ。 ...意外だよな。
「...なぁいいだろ、教えてくれよ。 アンタらは、オレたちのメシアをどこに隠したんだ? 」
「...... 」
「おいおい...
生きたまんま指先から千切りにされたいの?
そんな下品なショー、オレにさせないでくれよな 」
「キチガイ...お前らみんな、狂ってる 」
オレは思わずフいてしまった。なにかもっと、こう...他に言い様ないわけ? 助けてくれぇ! とか。
「...あは、それはたまに言われるけどさぁ。
なんで他の奴らは狂っちまわないの? こんなに酷い世界なのに..変だろ、常識的に考えて 」
「そう思ってない人間が大部分なだけだ。なぜそれが分からない。
狭い籠に隔離されてないで表に出ろ 」
だんだん歯痒くなってきた。
嘘ばかりに囲まれて盲目のまま、のうのうと生きてきたのはそっちだ。思い知らせてやりたい。
「...深刻だな。正しい羊はたった1匹で、迷ってるのが99匹なんて、イエスの想定外だ。
ま、オレたちニュクスには新約聖書は関係ないけどさ 」
「...なんだニュクスって 」
がぜん眼を光らせて突っ込んでくる相手の勢いに驚いた。
N.Y.Xといったらニュクスに決まってるだろ。
「罪深い智恵の実を持つ人々を清めてくれる、救いの女神じゃないか...
月の鏡にその身を映せば、黒い心を全部外に掻き出してもらえる。
オレたち天使はその洗礼を受けた時に、穢れのなさを証明した。
だからこうして聖時刻を歩けるのさ。
考えてみな...汚い心なんかあるから傷つけあって、世界は少しずつ腐りながら死んでいく。
だったらそんな物、最初から要らないだろ? 」
「.......... 」
「N.Y.Xを信じない奴らは一体なにを心配してんだか...全然わからないね。
アンタだって一日中ボーっと幸せに過ごす日があるよな? 救済はそれと同じだよ、お な じ。
永遠の夏休みだと思えばいい 」
「.......... 」
「はぁ...ノーコメントか。結構肝が座ってるなぁ。
ウチの番人を4人も病院送りにしたって伝説は、どうやら本当っぽいな。
...さて、そろそろ
教団が公認したメシア候補は他にもいる。
だけど、オレにとっては北川彰が、導くべき唯一の子供だ。
よりによってオレが守護するはずのメシアを奪いやがって。
ずっと捜し続けていた...この男。
いつか逢ったら、いろいろ喋ってみたいと思っていた。そして...
願いは叶わなかったようだ。男の顔の平静さは変わらない。
何もかも予定通りだと言わんばかりに、傲然とオレを見た。
「...教えるつもりはない。
だが俺の方は.. 死ぬほど知りたかった事がわかった。
なのに、お前らには何一つ渡さずに済む。
...満足だ 」
それ以上クチを利くつもりはないと言いたげに横をむいて、窓を見上げた。
女神の光は敵にも等しく降り立った。
ただの月では無いことを知ったのに、世界の真理を知ったのに、こいつは、―――
「―――そう... 残念だよ、良い天使になれた筈なのに。
アンタは、強い人なんだな。 それなら救いは必要ないか 」
オレは膝をついて、迷子の羊のゴミだらけの髪を撫でた。
いつも、
いまなら、この男のことだって天使のように愛せるんだ。
「..悔い改めよ。 そして祈れ、
眼をきつく閉じている男の唇の間に、銃口を割り込ませた。
銃身をカチカチ揺らす歯の震えが、いつかこの蛇で犯した誰かの恐怖の感触を伝える。
浅く速い呼吸、嫌悪に歪んだ顔、でも一つだけ違う。この男は怖がってはいない。
刺激の全てを余す所なく愉しむために、オレはしっかり目を見開いてトリガーに集中する。
もっと、もっとじっくり入れてやるから、その眼を開けてくれと祈る。
「...ッ 」
撃鉄が落ちるまでの恍惚のひと時を、
重い反動の瞬間を、
体中を巡る愛情に理性をむしり取られ、奮えながら貪った。
ごりごりと奥にねじ込むたんびに血だまりは池になり、海になっていった。
さっきまではあたりまえに生きてた奴が、いまや鮮血地獄にポッカリ浮かぶオフェーリアだ。
この幸せのまま、細胞も血管も熔け
神経が灼き切れて、心よ...壊れてくれ。
繋がりながら殺す敵は、やっぱり強烈に素敵だ...
「...はい、岳羽ですが 」
「“心”が眼に見える形になった。
..そう申し上げたら、貴方はお信じになりますか 」
「はい? どちらさま.. 」
「人は、過去を思えば遡ることが出来ます。
また、未来を心に望みどおりに描くことも出来る。
大空を思うがままに飛ぶ事さえ。
意識の移動は、過去も未来も空間も自在...
“シャドウ”が作り出す逢魔の刻は、それを本当に叶えてくれる。
...このように“私”は、仮定しています 」
「...シャドウ...
誰なんだ、あなたは? ラボの誰か? 私を知ってるなら、 」
「誰? 難しい質問だ...
“私”は貴方を尊敬している者、とでも申し上げましょうか。
聞いて下さい。私はあなたを助けたいんです。
あの黄昏の石は今までも、この地球上にずっと存在していた。
あなたはその隠された秘密を発見したんだ。
この事実は世に新秩序を出現させる.. そうですね?
人が何かを発見し利用する、それは時の縦糸に知恵の横糸を滑り込ませて、変化を織り上げていくことだ。
でも、あの石は横糸にはならない。
私の推論が正しければ、あれは人にとって幸福の模様を描きはしない。
あれは、糸を切る鋏だ! 」
「ちょ、ちょっと待ってくれませんか。そういっぺんに話されても... 」
「化け物ですよ、 ...化け物が出るんだっ!
人間の心は、怪物なんです。
あの石は人から黒い怪物を誘い出すんです。
もう何人も試した。
い、いま論文を書いています。
私はあれを”シャドウ”と名づけた。
書き上げたらあなたに捧げるつもりです!
...私はあなたの発見が人類史の鋏にならないように、あの怪物をコントロールしたい、完全に!
お願いです、私を理解してください、私はあなたを崇拝しているんです。
あなたを理解できるのは私だけだ、だから...」
「どなたなの 」
「いや、 ...間違い電話だ 」
岳羽は襟に指をかけ、ネクタイをほどいた。
二ヶ月ぶりに帰った家は、玄関に入った瞬間から、岳羽の疲れた身体に冷えた憂鬱を送り込んだ。暗い顔つきの妻、梨沙子はダイニングの椅子で身体を硬くして待っていた。また言い争いを始めるつもりだろうか。――その予感がしたとき電話が鳴り、彼は安堵を覚えながら受話器を取ったのだった。
「間違いですって? ...嘘よ 」
梨沙子はこみ上げる怒りを押し殺した。いまは静かに勝ち誇りたい。
「だって、何度も掛かってきたわ。
あなたはいつ帰るのかって。 その度に私が感じた...思いなんか、あなたには分らないでしょうね 」
夫がいつ帰るのかも知らない妻。その事実を突きつけられるたび、心の奥底から冷え冷えとした暗闇が湧き上がる。そしてそれを夫へぶつけることで、再び屈辱を味わうのだ。これは自虐だと梨沙子は思った。
「ラボにかけるように言えば良かったじゃないか 」
いわれの無い叱責でも受けたかのように、彼女の夫は憮然とした態度をとった。顔つきは弱々しいままだが、梨沙子は知っている。この気弱い印象はただの生まれ持った見せ掛けの顔に過ぎない。本当の彼は、一度決めたらテコでも曲げない、頑迷な人間だということ。いまは梨沙子の方を見ることも無く、――それも眼をそらすのではない。着替えて早く休みたいからだ。――苛々と風呂場に行きたそうにしている。
「お忘れになったんですか? 携帯もラボも知らない人間には教えるなと言ったのは、あなたです 」
岳羽は黙り込んだ。言い負かされたつもりはない。
頭の隅で帰宅を後悔しはじめていて、そちらに気をとられていたのだった。
「...どうして嘘をつくの 」
「嘘ではない。 本当に、わけの分らない電話だった。
間違いか、そうでないなら勘違いだ 」
やるせなさそうに溜め息をついてからすばやく理性を上塗りし、つとめて穏やかに妻を向いた。
「最近のきみは被害妄想が過ぎるよ。
僕は仕事をしているだけだ。 ...きみやゆかりのために 」
その岳羽の言葉は、梨沙子の諸々をえぐる。彼女ははっきりと蒼褪めた。子育てのため、外で仕事をしていない主婦である自分の立場。夫の何も責められないのだと、暗に言われているとしか思えない。確かにそれだけなら被害妄想かもしれない。が、―――
「...全部わたしが悪いと、そうおっしゃるんですか 」
一体どこから出しているのかと岳羽が驚くような、低い怒りの声だった。
「誰も悪くなどない... じゃ、こう言えば満足なのか? “僕が悪かった” 」
梨沙子は不意に笑った。
口角を下げたままのその笑いは、涙が滴り落ちるにつれ、彼女の顔を歪んだ哀しみに崩していった。
「いつもそうなんですね。 ...いつも、いつも!
私は悲しくて泣いてるんじゃない、情けなくて泣いてるのよ。
どうしてこんな目にあわせるの。どうしてよってたかって私を!? 」
膝の上で震える拳を握りしめ、むせび泣きそうになるのをどうにか堪える。
「...なぜ.. なぜ、断ってくれなかったんですか。
お情けにすがって生きろというの? これから先もずっと、ずっと...
あなたさえ鴻悦の言いなりにならなかったら、私はゆかりと二人で生きていくつもりだった! 」
抗えなかった結婚が、こんなにも孤独を強いられるものだったとは。いまにも梨沙子は体中を掻き毟って叫びだしそうになった。
(――分ってしまった。私は、この人を愛し始めているんだ。
なのに、この人にとって私は、押し付けられた厄介者でしかないのよ。
ひどいじゃないの。どうして自分の心なのに 思い通りにならないの?
愛さないでよ、この人を好きになったりしないで!
お願いだから! 惨めなだけじゃないの、そんなの...)
「...きみにそんな勇気があったとは、知らなかった。
ごめん、機嫌を直して。 ...別れたくないんだ。 一緒にゆかりの将来を考えていこうよ 」
しばらくティッシュで涙を押さえていた梨沙子は、“一緒に”という単語に少し落ち着きを取り戻して、残りの涙を飲み込んだ。しかし言葉にしか縋れない危うさは、彼女を、命綱を探らざるを得ない不安へと追い込んでいく。
「...何をしてるんですか。 あなたは何か隠してる。
何ヶ月も帰らずに、一体何をしているの? 鴻悦と、コソコソと... 」
「ご当主の事をそんな風にいってはいけない。 あの方は、私にチャンスをくれた 」
「...お願いだから、信用させてください。
あ、あなたが私を愛せないなら、せめて私にあなたを信用させてよ!
このままあなたと一緒に居ることなんか、できない! 出来るわけないじゃない! 」
岳羽は妻を落ち着かせようと腕を伸ばしたが、無我夢中で彼女は払いのけた。
―――距離があるとは、こういうことなのだ。彼女は思い知っていた。
自分の愛や情は、相手のそばに居ればこそだ。
(遠くで待ちわび、愛しい人に思いをはせる。――そんな恋は出来ない。
いつだって誰かの傍に居て愛されたい。
離れては身も心も冷めていくばかりの、私はそんな女なのよ! )
「...しばらくラボに泊まる。 元気で.. ゆかりを頼むよ 」
拒絶を受けた岳羽は無機質に言った。再び出て行く夫を、もう梨沙子は見なかった。
彼に浴びせたかった声にならない叫びは、内に篭らせて泣くことで、少しずつ鎮まっていった。
夜明けが近づく黎明の時刻、ようやく彼女は立ち上がり、
娘の眠る寝室へと足を引きずっていった。
かわいいね。 ゆかりちゃん。
...ごめんね。
ごめんなさい、お、お母さんね、ゆかりちゃんしか..
あなたしか、いないの、
大きくなっても、お母さんみたいな女には、なっちゃだめ。
...約束、してね、
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